短編集47(過去作品)
その根拠としては、行動に一貫性がないくせに、同じことを繰り返しているからだ。一貫性がないと感じるのは、明らかに父親を求めているようなのに、どこかで怯えを感じているところである。
記憶の欠落が見えてくるようだ。
父親を好きだったという禁断の思い、そして、一線を越えてしまったという誰にも話してはいけないことを一人で抱え込んでしまった思い。だが、ただそれだけではないように思える。そのことが、早苗の記憶の中にある袋小路をこじ開けることを不可能にしているように思えてならない。
父親には最初、蹂躙されたのではないだろうか。怯えや身体の硬直はそのことを示しているようだ。
だが、それでも受け入れたのは、父親による力ずくではない。自らの中に父親を好きだという気持ちと、受け入れてはいけないという禁断の思いとがジレンマとなって汗として身体から滲み出ているのだろう。それも相手を思う気持ちが強すぎて、女性ホルモンの分泌を最大限にしているに違いない。
杉下は、江藤香織に父親コンプレックスを感じていた。父親に早く死なれて、幼い頃の思い出として残っている記憶の中にいるのが杉下だというのだ。
杉下が香織を意識すると、
「杉下さんには父親のような感情しかないんですよね」
こちらの気持ちが手に取るように分かるのか、少し気持ち悪いくらいだった。それからである、しばらく香織を意識してはいけないと思うようになってしまった。
そう感じてくると、意識は早苗に集中していた。その早苗も父親に何かしらのコンプレックスを持っている。しかも肉体的なものを基準として、精神的にかなりのトラウマを宿しているようである。蹂躙されたと感じたのもまんざらでもないかも知れない。
欠落している記憶をなるべくなら思い出させたくないと思いながら、欠落したままでは一歩先には進めないはずである。
彼女の視線を見ていると、どこか香織の視線を思わせる。慕われていると思っていた視線だが、その時々に怯えを感じるのだ。いや、怯えの中に慕う気持ちが含まれていると言えなくもない。
早苗が冷静な時に父親のことを話してくれた。自分からである。早苗自身も自分がこのままではいけないと感じているのかも知れない。
早苗の話の中に出てくる父親は威厳と尊厳しか感じられない父親である。
父親のことで記憶が欠落しているのは分かっている。その記憶が彼女の中でもう一人の父親を見ているのだろう。
杉下が早苗と待ち合わせをするのはいつも同じ場所なので、普段は同じ道を通っていた。その日に限って違う道を通っていくことになったが、その道は早苗も通る道だった。
ちょうど待ち合わせの場所に向う二人が道でバッタリと出会った。大通りの反対側に彼女を見かけた杉下は、横断歩道でもないところを渡ろうとする。
よく見ると彼女の顔に緊張が走っていた。怯えのような顔で、次第に頭を抱えて座りこんでしまった。
――記憶の欠落を思い出すきっかけかも知れない――
と、まわりを見ずに飛び出した。
警笛に気付いた時にはすでに遅かったようで、気がつけば病院のベッドの上だった。ベッドの横には早苗が心配そうに覗き込んでいる。
「私、思い出したわ」
「記憶の欠落をかい?」
「ええ」
父親に蹂躙されたのは間違いではなかったらしいが、そのことが欠落の原因ではなかった。むしろ父親を好きだったので、最初はビックリしたが、自分の中に満足感があった。父親が好きだと再認識したという。それでも貞操を失ったことへの女としての憤りは残ったようだ。
そんな中、父親が自分を見かけ道路を渡ろうとした。自分だけを見ていたその視線に早苗は自分の中にある女の部分に生きることを決意したという。その時である、トラックが猛進してきたのだ。父親はあっけなく即死だったという。
その時の思いを決して人に知られたくない。その気持ちが早苗に記憶を欠落させたのだ。
それを思い出させた偶然の事故。これは偶然というべきなのか、それとも、早苗の不幸というべきなのか。
杉下は、偶然を不幸として考えることは決してできなかった。偶然はこれからの二人のために開かれた未来だと思いたいのだった……。
( 完 )
作品名:短編集47(過去作品) 作家名:森本晃次