黒いチューリップ 14
香月は都合の悪い話はのらりくらりとかわし、言いたい事は問答無用という感じでハッキリ口にした。一時間ぐらい家に居ただろうか、その間ずっと両親を手玉に取った。冬休みから同居するなんて順平だって、たった今聞かされたところだ。
「そんなに思ったほど悪い娘じゃなさそうだ。なかなか、しっかりしてる」
香月が帰ったあと、すぐに父親は順平の方を向いて言った。横で母親が裏切り者でも見るような目で睨みつけるが顔を合わそうとしない。これで決まりだった。
母親が反対するのを押し切って、クリスマスの日から同棲を始めた。順平は期待に胸をふくらませて初夜を迎えたが、香月に妊娠中なのでセックスが出来ないと、ダブル・ベッドに入ろうとして初めて言われて深く失望する。そんな事ぜんぜん知らなかった。直前じゃなくて、もう少し早く教えてくれたら良かったのに。堅くなった下半身をどうすりゃいいのさ。さらに、就寝中にお腹の子供を蹴る恐れがあるので、あんたは床に布団を敷いて寝てくれとも言ってきた。ところがだ、無事に男の子が生まれても、産後の日経ちが悪いとかで相変わらず身体に触れることを拒み続ける。
何の為に結婚したのか分からねえ。これじゃあ、新婚からセックスレス夫婦と同じじゃねえか。不思議なことに丁度その頃から母親の健康が日を追って悪くなっていく。入退院を繰り返した。順平は看病で忙しくなって、夫婦間の問題を話し合って解決するという時間がなかなか見つけられない。
募る欲求不満を解消してくれたのは、中学で香月の仲間だった山田道子だ。順平にとっても彼女は幼馴染みで話し易い相手でもあった。ちょくちょく家に遊びに来てくれたので、思い切って相談してみた。「なあ、聞いてくれ。香月の奴ったら、オレに一度もセックスさせてくれないんだぜ」
「あら。……やっぱり、そう」
「それ、どういう意味だ?」何か知っているような口振りだな。
「香月の性格じゃないかしら。セックスに対しては淡白だと思った」
「どうして」
「あたしらと佐久間渚の三人でセックスの話をする時だけど、いつも香月ったら興味なさそうにしてたから」
「へえ」
「ああいう子って結構多いらしいわよ」
「ああいう子って、どんな?」
「つまり外見は凄くセクシーで魅力的なんだけど、実際に抱いてみると手応えがなくてガッカリさせられるっていうのかな」
「お前、なかなか詳しいな」
「うん。それなりに本を読んで知識を得ているからね」
「どんな本だよ?」
「主に『女性セブン』かな」
「えっ、……それって週刊誌じゃねえの?」
「そうよ。だけど記事の内容は濃くてシッカリしている。ほかには兄貴がたまに買ってくる『週刊宝石』なんかも読んでいるし」
「……」お前が言う本は、その程度かよ。「だったら、その反対の女も存在するってことなのかな?」こいつに相談するんじゃなかったと後悔し始めたが、ふと疑問に思ったので訊いてみた。
「その通りよ、もちろん」と、言うと山田道子は片手を腰に当て、横を向いた意味あり気なポーズを取って見せた。さらにウインクまでして、「どう、あたしを試してみる?」ときた。
断る理由はない。しかし驚いたことに、その大胆な誘い方とは裏腹に山田道子は処女だった。
ラブホテルまでは自分のマウンテン・バイクに荷台が無いので、オフクロの買い物カゴ付き自転車を借りて二人乗りして行った。だけど、いざ部屋に入って行為に及ぼうとすると道子は身体を震わせて、怖い、怖いと言いながら泣き出しそうになる。勃起した先端が彼女の股間に接触するだけで、いやっ、いやっと叫んだ。仕方なく身を引くと今度は、止めないで、止めないで、だった。それを何度も繰り返す。わけの分からない女だな、こいつ。結局、一回目は裸を見せ合っただけで終わる。挿入しようとすると順平の背中に爪を立ててしがみつくからだった。血は流れてくるし、痛くて、それどころじゃなくなった。
やっと一週間後の二回目で結ばれたが、その後は会うたびにセックスするのが苦痛になっていく。もっとイイ女とヤりたい。逆に山田道子の方は頻りに順平の体を求めるようになる。
成り行き上、無下に断ることも出来ないのでホテルには行くが、順平は目を瞑り、頭の中では妻である香月のヌードを想像しながら行為に及んだ。そうでもしないと勃起しなかった。香月が脱いだ下着に顔を密着させて一人でエッチしていた方がどんなに楽しいだろうか。
数ヶ月も経つと、いつ別れ話を持ち出そうかと考えるようになった。出来るだけ相手を傷つけることはしたくない。女房に気づかれそうなので友達の関係に戻ろうぜ、と言うつもりでいた。そのセリフを口に出す覚悟で、いつものラブホテルで二人だけになった。今日が最後だ。
だけど、その日に限って山田道子の服の脱ぎ方が違った。隆起の少ない身体をくねらせながら、見せびらかすようにスカートを下ろす。少しでもセクシーに振る舞って雰囲気を出そうという気らしいが。止めろ、無理だ。反対に萎えてくるぜ、こっちは。
ところが、「お、お前、どうしたんだ? そ、それ……」ぶったまげた。
「うふっ」
驚いたことに、山田道子は妻の香月と同じチューリップ柄の下着を身に着けていた。その姿は見たことがないが、洗濯物として干してあるのを順平は何度も見ていた。周りに誰も居ないことを確かめてから、そっと顔を近づけて匂いを嗅いだことも少なくない。洗剤の香りしかしなくてガッカリしたが。
「香月が貸してくれたの。今さっきまで彼女が身に着けていたモノよ。まだ温かいし、匂いだってついているの。さあ、あたしを香月だと思って抱いて」
どうなっているんだ、一体。しかし訊くのは後でも構わない。とにかく匂いが消えていかないうちに、という思いで順平は山田道子の体に飛びついた。
燃えた。射精しても香月の下着の匂いを嗅ぐだけで、また強くすぐに勃起する。目を瞑り、想像力を働かせながら続けて五発。六度目になると匂いが山田道子の汗でほとんど消されてしまい、さすがに自分の行為が空しく感じ始めた。
「なあ、どういう事なんだよ」
ベッドの横で山田道子は、はあ、はあ、とまだ腹部を波打たせていたが順平は訊いた。性欲が満たされて、疑問を解き明かしたいという欲求が強くなった。
「え、なに? もうダメよ……あたし、もう出来ない。ヘトヘトなの」
「そうじゃない。どうして、お前が香月の下着を身に付けているんだよ?」
「順平くん、すごかったあ。これ、またヤろうね」
「おい、教えてくれ。どうして香月の下着なんか――」
「またしてくれるって約束するなら言うわ」
「……」
「どうするの」
「分かったよ」こんなのが続くのかよ、これからも。気が重くなっていく。
「これ着てみたらって香月の方から言ってきたのよ」
「どっ、どうして」意外な答えだった。思わず上半身をベッドから起こした。「何で、あいつが知っているんだよ? お前とオレのことを」
「あたしが言ったから。順平くんたら、香月のことを想像しながらエッチしていたでしょう」
「ばっ、馬鹿野郎。なんでバラしたんだ? そんな事まで」
「だって事実じゃないの。それに親友だもの、あたしたち」
「親友?」
「そうよ」
作品名:黒いチューリップ 14 作家名:城山晴彦