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黒いチューリップ 14

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「歳なんて関係ないでしょう。上手く事故を装うのよ。しっかり計画を立てれば警察なんて誤魔化せるわ。悲しみに打ちのめされた父親を演じてしどろもどろに答えていれば、きっと向こうだって深くは追求してこない。もしも最悪の場合に刑務所へ行くことになっても、あたしはずっと順平を待っているから安心して」
「……」なんか恐ろしいことを言う女だなあ。
「あっ、動いた」
「えっ」
「お腹の子よ。ほら、触ってみて」
 香月は立ち上がると横に身体を密着させるように座り直した。そして順平の手を取ってセーラー服の中へと導き、下着の上から自分の下腹部へ当てた。分かり易いようにと思ってか、スカートのフックさえも緩めてくれる。うわあ、なんて柔らけえ。初めて触る憧れの異性の肉体だった。それも、もう少しで彼女のエッチな部分に届きそうなところ。女の甘酸っぱい香りにも包まれて目の前がクラクラしてきた。
 「どお? 分かる、動いているの」
「う、……うん」そんな事どうでもよかった。順平の関心は、ただ香月の身体に一秒でも長く接していたいだけ。
「あんたの子よ」
「うん」でも実感は全然ない。
「やってくれるわね?」
「わかったよ」逆上せてしまっていて他に答えようがない。
「もう離して」
「どうして。まだいいじゃないか」
「なに言ってんの。結婚したら好きなだけ触っていられるじゃないの。だから今はお預け」
「ちぇっ」
 ところが、あれから五年経った今でもお預けは続いている。
 中学三年の冬休みから順平の家で同棲を始めたが、そうなる前には予想した通り両親との間で一悶着あった。
 「オレ、結婚したいんだけど」
 この言葉が宣戦布告になった。オヤジが応援する中日ドラゴンズが十一年ぶりにセ・リーグの優勝を決めた日を選んだのだが効果はなかった。
 「何だって? バカ言ってんじゃないよ、お前は」と母親。
「いくつだと思ってんだ、お前。そんな言葉を口にするのはなあ、十年は早いぞ」父親が続く。
「実は子供が産まれるんだよ。それも来年の初めぐらいに」香月に入れ知恵された通りに言ってみた。
「……」
「……」
 これは効果があったみたいだ。おい、今の聞いたか? そんな感じでオヤジとオフクロが顔を見合した。「だから責任を取らなきゃならない。お願いだよ」
「相手は誰なの?」母親だ。
「五十嵐香月。クラス・メイトなんだ」
「えっ、同じ年の女か? どっかの薄汚い商売女かと思った」と、父親。
「そんなんじゃないよ、父ちゃん」
「いつ、ヤッたんだい? お前」
 この母親の質問にはたじろぐ。何も考えていなかった。「せ、先週だったかな……よく覚えて――」
「バッカだねえ、お前は。騙されているんだよ。そんなに早く妊娠が分かるわけないじゃないか。来年には産まれそうだって? それは絶対に、お前の子なんかじゃない」 
「じゃ、じゃあ、もっと前だったかもしれない」
「いつだ?」親父の口調は強い。
「よく覚え――」
「馬鹿野郎。そんなこと忘れる奴がいるか? 父ちゃんだって、しっかり初体験は覚えて――」
「プレイ・ガールとかいう風俗店を無断欠勤でクビになった年増のデブだろ」透かさず母ちゃんが口を挟んだ。
「……な、なんで、お前,そんな事まで――」
「うちでアルバイトしていた磯貝洋平が教えてくれたよ。あれは、おだてれば何でもペラペラ喋ってくれたからね」
「あ、あの野郎。……畜生、信じていたのに」
「そんな話は、どうでもいいよ」母親は父親に勝ち誇ったような表情を見せてから順平の方へ向き直った。「五十嵐香月だって? あの見掛けだけのアホ娘だろ」
「お前、知ってんのか?」気を取り直して父親が母親に訊く。
「うん。授業参観とかで何度か見たことがある。背が高いから目立つ子だけど、性格は意地汚さそうだった」
「そうだろうな。うちの息子を金が目当てで誘惑するくらいなんだから」
「見るからに、ふしだらな娘だよ。男だったら誰でもいい。すぐに自分から股を開きそうな、セックスすることしか頭にないって感じの子さ」
「母ちゃん、そんな酷い言い方はないだろう。よく知りもしないでさ」
「いいか、順平。お前はそのアバズレに騙されているんだ」父親は母親の言葉で完全に五十嵐香月という人間を理解したようだった。
「違うよ。本当に結婚したいんだ」
「何を言ってる。まだ十五歳だろ。これから幾らでもイイ女は見つかる。お前は板垣モータースの後継ぎ息子なんだ、それなりのしっかりした娘じゃないと困る。そんなスケベで、男にだらしない売女のことは忘れろ」
「だけど、もう約束しちゃったし」
「よし。だったら、そのアバズレをここに連れて来い。俺が話をつけてやるから」
「そうだ。お前の手に余るんだったら、お父さんに任せなさい。その方が母さんも安心だよ」
「……」
 順平の力では両親を説得できそうにない。翌日、とてもじゃないが結婚は難しいと香月に打ち明けるしかなかった。
 「あ、そう。じゃあ、いつ?」
「えっ」
「いつ、順平の家へ行けばいいのよ?」
「ほ、本気なのか?」
「そうよ。あんたの父親と話をつければいいんでしょう」
「お前、そう簡単に言うけどなあ。うちのオヤジとオフクロを知らないから――」
「だったら今週の日曜日に伺います、って伝えてくれない」
「マジかよ? どうなってもオレは知らないぜ。お前が傷ついて泣く姿だけは見たくないんだ」
「いいから、あたしに任せて」
 香月は、順平が心配だから迎えに行くと言うのを聞かず、たった一人で板垣家まで歩いて来た。長い髪をアップにして、タイトな水玉模様のワンピースに白のハイヒールという大人びた姿だった。これが同じ人物かよ? 玄関のドアを開けた順平は言葉を失う。それに、こんなにセクシーで綺麗な女は今まで見たことがなかった。
 居間のソファに座って待ち構えていた両親も戦意を殺がれてしまった様子だ。「初めまして、五十嵐香月です。どうぞ、よろしくお願いします」と、言われるまで固まったまま動かない。
 ぎこちない挨拶が済むと母親だけは気を取り直して、あんたの話は辻褄が合わないとか言って攻撃を始めた。しかし父親の援護射撃がない。順平と同じで、ソファに腰掛けて露わになった瑞々しい色気を発散する十五歳の太股に目が釘付けだった。
香月の方は、まるで聞こえなかったみたいに天気の話から始めて中日ドラゴンズと福岡ダイエー・ホークスで戦う日本シリーズへ話題を飛ばす。「どっちが優勝するかしら?」
 「そりゃあ、もちろん中日ドラ――」横から母親に肘で突かれて父親は途中で黙り込む。
「お母さま、その黄色いポロシャツが素敵だわ。すごく似合ってらっしゃる」
「あ、これかい? うふ、これはねえ、去年グアムへ行った時に免税店で見つけたんだ。あたしの大好きなラルフ・ローレンが空港で三割引なん――あっ、バカ。そんな話してんじゃないだろ。あんたのお腹の中の子供だけど――」
「わたし達、冬休みから一緒に住むつもりなんです。婚姻届は順平くんが十八歳になるまで待たなければなりませけど」
作品名:黒いチューリップ 14 作家名:城山晴彦