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黒いチューリップ 14

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 中学時代の友達と顔を合わせば、みんなが同じことを何度も繰り返して言う。「お前、ずいぶん変わったなあ」
 無理もない。あの頃の自分はサッカー部のストライカーとして大威張りで、周りの連中を恐れさせていたほどだ。少しぐらい自分勝手な行動を取っても、試合でゴールを決めれば許される雰囲気すらあったのだ。気に入らない奴は徹底的にイジめてやった。
 ところが今は違う。お客に頭を下げて中古の自動車を買って貰わなければならない。その利益で愛する家族を養うことが出来る。この歳で順平は、妻の連れ子だけど一児の父親だった。
 結婚を決めたのは中学三年の一学期で早かった。クラス・メイトだった五十嵐香月からプロポーズされたのだ。「ねえ、あたしと結婚してくれない?」
 突然だった。場所は教室、時は放課後の掃除当番をしている最中だ。箒と塵取りを両手に持ったまま、しばらく動けなかった。しかも彼女には、その一年前に日本代表がワールド・カップでジャマイカに1―2で敗れた翌朝、一方的に捨てられていたのだ。散々、デートで小遣いを使わされた挙句の果てに。
 五十嵐香月と付き合って、たった二ヶ月間で八十万円近くあった貯金は全て消えた。小学生の頃から少しづつ、百万円を目標に貯めてきた金だった。何か欲しいモノを買ってやればヤらしてくれると信じたからだ。Tシャツから始まって、ポロシャツ、ワンピース、水着へと進んで、ブラジャーとパンティの代金まで支払わされた。
 売り場でセクシーな下着を身体に合わせて、「これって可愛くない? あたしに似合う?」と訊かれれば、それを身につけた姿を拝ませてくれると思って金を払ってしまう。
 香月にアダルト・ビデオを借りてきて欲しいと言われた時は、これでヤらせてくれるんだと確信した。オレとラブホテルへ行くのに何か起爆剤というか、背中を押してくれる刺激が必要なんだろうと思った。そのAV女優のビデオを何度も何度も繰り返し見た。実際にヤるときは、同じ行為を香月が期待すると考えたからだ。見終わっても一人、布団の上で体の動きを練習したりした。
 佐野隼人が佐久間渚とヤるよりも早く自分が香月とできるのが嬉しかった。「オレ、五十嵐香月とヤったぜ」と親友に報告するのが楽しみだった。ところがキスもしないまま、一方的に別れを告げられたのだ。
 女の気持ちっていうのは永遠に理解出来そうにないな、そう思った。
 それに結婚の申し込み方にしても、なんか、すっげえ素っ気なくないか? 人生に関わる大切な問題だろうが。なのに妻の香月ときたら、なんか、ちょっと其処のゴミを箒で掃いてくれない? なんて調子で言ってのけた。オレの両親ですら、富津岬の花火大会でオヤジの方から焼きトウモロコシをかじっていたオフクロに申し込んだって聞いた。火薬の爆発音がうるさくて、四、五回ほど慣れない台詞を言い直して舌を噛みそうになったらしいけど。
もう少し時間と場所を選んで欲しかったなあ、という香月に対する不満は今でも残っている。
 次の言葉が耳に届いて、ようやく金縛りから解放された。「やっぱり、あんたが一番すてき」順平は無意識に返事していた。「そうだろう、やっぱり」
 また付き合ってみたいじゃなくて、もう結婚したいだった。それも二人は、まだ中学三年生なのに。何でそんなに急ぐ必要があるのか?
 順平の疑問に香月は答えた。「あたし、妊娠しているの。来年の初めには産まれる予定なのよ」
 「ええっ」
「きっと男の子」
「だっ、誰なんだ、その相手は?」
だったら、もしかして、まさか……もう処女じゃないのかよ、お前は。順平はガッカリした。オレの方は、まだ童貞だぜ。でも、ここで不満を口には出すのは我慢した。
「そんな事どうでもいいの。もう別れた男なんだし、さ」
「じゃあ、いつ別れたんだ? そんな奴なら、その子供は堕胎した方が良くないのか?」
 ふざけた野郎じゃないか、オレのあとに香月と付き合って、しっかりセックスしてから別れたなんて。すげえ羨ましい。
「いやよ。あたし、絶対に産みたい。それに、もう手遅れなの」
「マジかよ。じゃあ、結婚したら法律的にオレが父親ってことになるのか?」
「もちろん、そうよ」
「……」セックスもしたことがないのに父親になってくれと頼まれて順平は戸惑う。
「どうしたのよ? あたしと結婚したくないの」
「いや、そ、そうじゃないけど……さ」
「いいわよ。だったら他の男子に当たってみるから」
「ま、待ってくれ」
 そんな冷たい言い方はないだろう。まるで小銭を貸してくれそうな奴を捜すみたいな口調じゃないか。「分かった、父親になるよ。だけどさ、オレの親に何て言えばいいのかなあ」
 処女でなくても構わない。子連れでもいい。五十嵐香月と結婚できるなら何でも受け入れられる。
 「バカねえ、そんなこと簡単じゃない」
「え、そうか?」
「うん。オレの子供だって言えばいいのよ。女を孕ましたから結婚しなきゃならない、って」
「なるほど」
 こいつは、なかなか頭がいいなあと感心した。美人でスタイルがいいだけじゃない。こんな女は他に見つけられないだろうな、きっと。
 「じゃあ、お前の方は大丈夫なのか? 香月の両親はオレとの結婚を許してくれるのかな」
「まったく問題はないわ」
「すっげえ自信だなあ」
「もう話をして、許しを貰ってあるもの」
「マジかよ?」えらく手回しの早い女だぜ、こりゃあ。
だけど一体どんな両親なんだろう? 一度も会ったことがないのにオレと一人娘との結婚を許可するなんて。それにオレ達まだ中学生だぜ。
「うん。それとね、言っておくけど子供は双子なのよ」
「えっ。……ふ、二人も?」いきなり四人家族かよ、まだセックスもしたことないのに。
「そう」
「どうして、そんなことが分かるんだ? まだ産まれてもいないじゃないか」
「あたしには分かるの、母親だから。だけど安心して。育てるのは一人だけよ」
「はあ? じゃあ、もう一人の子は」
「人に預けて育てて貰うの」
「誰に?」
「説明するから、よく聞いて」
香月の話は順平の理解を遥かに超えていた。ホラー映画か小説のストーリーを聞かされている思いだった。「そ、それをオレにやれって言うのか?」
「そうよ。あんたなら出来るわ、きっと」
「犯罪じゃないのか、……そんなことしたら」
「バレなきゃいいのよ。あんたなら上手くやれる」
「子供を取り替えるってのは何とか……。だけどさ、その他人の子を……」 
「何よ。したくないって言うの?」
「いや、そうじゃないけど。でも、どうしてもやらなきゃならないのか? そんなヒドイこと」
「そう」
「わからねえな」
「別に順平に理解して貰いたいと思っていないわ。ただ実行してくれたらいいの」
「……」
「怖気づいたの、あんた」
「だって、きっと警察が黙っていないぜ」
「まあね。事情聴取は当然でしょう。だけど、そこが頑張りどころじゃないの」
「どう頑張ればいいのさ? 警察なんかを相手にして。オレ、まだ中学生なんだぜ」
作品名:黒いチューリップ 14 作家名:城山晴彦