黒いチューリップ 13
僅か数日だけど誕生日が過ぎていたことも悪い結果に繋がった。十四歳未満だったら、児童自立支援施設とかいう、もっと楽な場所へ行けたのだ。畜生、もう何もかもが最悪。
この世の終わりだ、という気持ちで女子少年院に送られたが、自分の担任になった若い教官は、それまでとは違うタイプだった。黙っていても頭ごなしに怒鳴ったりはしない。いきなり机を強く叩いて威嚇したりもしなかった。ジャストでの万引き事件についても無理に触れることはしない。あたしを犯人扱いしないところが嬉しかった。
そりゃ、そうだ。自分は古賀千秋が店の商品を盗むのを見張りしたり、大きな身体を利用して死角を作ってやったりしただけなんだし。半身不随になった警備員にしたって、ちょっと後ろから押しただけじゃないか。階段から転げ落ちて首の骨を折ったからといって、自分に責任を追及されても困る。上手に落ちなかった警備員の過失なんだ。ざまあみろ。あたしの人生をぶち壊しやがって。
女子少年院の若い教官は綺麗で優しかった。頭の回転も早くて、動作も優雅だ。君津南中学の加納久美子先生に似ているところがあった。一緒に過ごす時間が長くなるほど、その魅力に引き込まれていく。ああ、こんな女性になりたい、と思わせてくれた。
閉ざしていた口が次第に開いていく。この人なら何を話してもいいかもしれない。味方になってくれると信じた。小池和美の大きな体に激震が走ったのは、万引き事件のことを話し出してすぐだ。それは、「どこの女子少年院に古賀千秋は入っているんですか」という問い掛けに対する答えだった。
「彼女は君津南中学の三年生になって、今まで通りの生活を送っているわよ」
若くて美しい教官の言葉に、和美は頭をハンマーで横殴りされたような衝撃を覚えた。「えっ、ど、ど、……どうひって」気が動転して舌を噛みそうになった。理解できない。そんな不公平な処分が何で下されたのか?
教官は話してくれた。古賀千秋は捕まると警察署で、涙ながらに
万引きは初めてで、小池和美にそそのかされてやったと白状したらしい。
そんなバカな。ウソだ。なんて女だろう。助けてやろうとしたのに。信じていたものが崩れていく思いに、全身から力が抜けた。ああ、悔しい。あたしは裏切られたんだ。
黙秘を続けた自分が、知らない間に主犯にされてしまう。家庭裁判所の判断は、学校での成績の良し悪しも大きく影響したらしい。それを考えたら、あの女は学級委員長で自分は書記だ。不利は否めない。
「それは違います。すべてウソです」と教官に訴えたが、返ってきた言葉は「もう遅いわ。今となっては家裁の判断は覆らない」だった。失望と後悔。再び小池和美は口と心を閉ざした。身体の中で古賀千秋に対する怒りがメラメラと燃え上がった。
数日後には事実を確かめたくてクラスメイトだった、奥村真由美に電話を掛けた。特に仲が良かったわけではないが、彼女ぐらいしか思いつかない。やはり教官の言葉に違いはなかった。あたしを裏切った女は自由の身だった。美味い娑婆の空気を吸っている。
「あいつ、生徒会長になったの?」最後に訊いた。入学した時から古賀千秋は、三年生になったら絶対やりたいと言っていた。二年生の三学期までは誰もが認める最有力候補だった。
「みそぎ選挙にするとか言って立候補したわ」
「やっぱり」万引きで捕まっても生徒会長に立候補するなんて、あの女らしい。あつかましさは称賛に値する。「それで?」
「落選したの。六人の中で最下位の得票だった」
「そりゃ、良かった」君津南中学にも、それだけの良識が存在するということだ。嬉しかった。
「かなりショックだったみたい。体育館で当選した子に殴りかかったのよ。教室に戻ってからも窓から飛び降りようとしたりして」
「へえ」
「みんなで止めたの。その後は学校に来なくなって、久しぶりに登校したら茶髪だった」
「やけになって、グレだしたんじゃないかしら」ざまあみやがれ。落胆した古賀千秋の様子を、この目で見たかった。「で、誰が生徒会長になったの?」どんな奴がなろうが、もう関心はなかったが、話の流れで訊く気になった。まさか受話器を落としそうになるほど驚かされるとは思わなかった。
「手塚奈々」
「えっ。だ、誰?」聞き間違いに決まってる。そんな……。
「あの脚の長い奈々ちゃんよ。ほら、二年B組で一緒だった」
「うそっ」
「本当よ」
「し、……信じられない」
「男子の応援が凄かったの。学校にファン・クラブまで出来ちゃってさ。鶴岡くんが撮影した水着の写真集を――」
もう最後まで聞く気になれなかった。バカらしい。将来はAV女優にしかなれそうにないバカ女が生徒会長だなんて。オナペット・ランキング一位の勢いが、そのまま選挙結果に反映されたということらしい。君津南中学の良識なんて、やっぱりそんな程度か。オナペットを選ぶ基準で生徒会長を選んじゃいけないのに。それが理解できない連中の集まりだった。さようならも言わずに小池和美は電話を切った。
長い女子少年院生活を続けるしか選択肢はなかった。もう死にたい。だけど死んだら古賀千秋に復讐するチャンスがなくなる。口うるさい教官に耐えながら、退屈な毎日を送り続ける気力を支えたのは自分を裏切った女に対する怒りだ。いつか絶対に仕返ししてやろう。
体は大きく、無口で無愛想。集団室で前から生活している十人にしてみれば、態度がデかいクソ生意気な新人としか思えなかったようだ。
「起きな。お前に話があるんだ」と夜中に枕元で呼ばれた時も、怒りで目は覚めていた。上半身を起こしたところで、後ろから顔をタオルで巻かれた。抵抗しなかった。多くの手で体を押さえられてしまう。息が出来なくて、だんだん苦しくなっていく。
「騒ぐんじゃない。大人しくしていないと殺すよ」
何だと、この野郎。ふざけやがって。あたしに命令する気かよ。その言葉に小池和美の怒りは一気に爆発した。何人かの手に体を押さえられたままだったが、後ろでタオルを握っていた女の横面に、上半身を捻ってエルボー・ドロップを放つ。「ぐうっ」命中。気を失って布団の上に倒れるのが見えた。驚いて連中が身を引く。
これで自由だ。残りは九人、全員が和美にとって憎き古賀千秋に見えた。目の前に立つリーダー格の女に飛び掛った。先手必勝。相手の出方を待つなんてことはしない。身体が勝手に動く。そして無意識にも、スタン・ハンセンのラリアットを見舞っていた。女が後ろに仰け反って倒れ込む。そのまま身動き一つしない。まさに秒殺だった。目にした光景に残りの八人が凍りつく。
父親が見ていたプロレスのビデオのお陰だ。知らずにプロレスの技が身についていた。小池和美は次々と女たちにラリアットを浴びせた。四番目のデブが反動で柱に頭をぶつけて血を流すと、興奮に油を注ぐ結果をもたらした。
お前ら、全員を血祭りに上げてやる。こうなったら、もう皆殺しだ。一人も生かしておくもんか。
小池和美は残りの連中にドロップ・キックを浴びせた。逃げようとした奴には後ろから。そいつは前のめりになって机の角に顔面から突っ込んだ。ざまあみろ。
作品名:黒いチューリップ 13 作家名:城山晴彦