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黒いチューリップ 12

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「今は、……無理だけど」
「何で?」
「だって……さ、出掛けてるもん」
「どこへ行った?」
「サンプラザのプール……」
「何時ごろ帰ってくる?」
「一時間ぐらい後じゃないかな。……何で?」
「急に出張が決まったんだ。明日の朝早くに新幹線に乗らなきゃならない。その用意があるから今から帰る」
「……」
「おい、聞いてんのか」
「今すぐに帰ってくるの?」
「これから簡単な打ち合わせをして、その後だ」
「だいたい何時ごろの電車で帰ってくるの?」
「たぶん一時半ごろかな、そっちに着くのは。母さんが帰ってきたら、そう伝えてくれ」
「わかった、そう言うよ」
「じゃあ、切るぞ」
「うん」
 やばい。間もなく今日の客がやって来るというのに。こっちからキャンセルしようか。少年にとっては前金で手にした七万円を返す義務が生じる。ところが、ほとんど使ってしまって幾らも残っていなかった。それとも予定通りにプレーさせてやろうか
 午後二時半までは客が家に居るだろう。つまりキャンセルしないならば一時間から一時間半は、どこかで父親を足止めさせないといけない。
 よりによって今日かよ。急に出張が決まるなんて。せっかく上手く行き始めた少年のビジネスが存続の危機に直面していた。
 どうしようか。
 しばらく考えて、お客には連絡しないことに決めた。前金で貰っている手前もある。父親を三時近くまで外で連れ廻してやるしかない。
 電話で言った事は全て嘘だ。学校で緊急の職員会議なんかなかった。仕事の段取りがあるからサボっただけ。母親もプールへは行っていない。ちゃんと家にいた。お客を迎えるために、その仕度をしているところだった。
 第一、今日は月曜日でサンプラザ自体が休みだ。慌てたので、つい簡単にバレるような嘘をついてしまった。まだ甘いな、オレも。
 客は父親が通う近所の床屋、そこの主人だった。中年太りで、いつも脂ぎった顔をニヤニヤさせている。愛想はいいけど頭の中ではスケベなことばかり想像しているに違いなかった。
 こいつは客になる、と少年は直感した。自分の母親の姿に、嘗め回すような視線を送っているのを何度も見ている。
 母親は三十三歳になるが若作りでスタイルも良く、人目を惹くほど色気があった。高校生の娘と中学生の息子がいると知らされると、誰もが驚きを隠さない。
 一ヶ月前だ、少年が散髪に行くと都合がいいことに他に客は誰もいなかった。床屋の椅子に座って髪をカットしてもらいながら、それとなく誘いを掛けてみた。
「僕の母さんがオジさんのことを、男らしくて素敵だって言ってたよ」
「……」ハサミを持つ床屋の手の動きが止まる。間を置いて笑い出した。「わっはは。ボク、冗談が上手いなあ。あはは」
 予想通りの反応だ。こいつは満更でもない。それが事実であって欲しいと願っている。常識的に考えれば、こんな不恰好なデブを素敵だなんて言う女がいるわけがなかった。だけど不思議なことに本人だけは、そう思わない。
 自分がブスだと思っている女は、まずいない。それと同じように、自分が不細工でバカだと思っている男もいないのが事実だ。どこかに、たとえば鼻とか口元に長所を見つけ出すか、それとも太鼓腹を恰幅の良さと解釈したりして、人並みだと愚かに信じている。このデブも例外じゃなかった。
 「冗談じゃないよ。本当だってば」
「キミのお母さんみたいな綺麗な人がそんなことを言うわけないだろう。あはは」
「男の人は外見で判断できないって言ってたよ。こういう店を一人で経営しているなんて立派だってさ。それにね、内緒だけど母さんは離婚したがっているんだ」
「……それって、本当かい」
「うん。ずいぶん前から父親とは別々の部屋で寝ているしね」
「へえ、信じられないなあ。仲が良さそうな夫婦に見えたけど」
「離婚は時間の問題じゃないかな。お母さんが寂しそうにしているから、早くボーイフレンドでもできたらいいなと思っているんだ」
「……」
 さっきとハサミを動かすリズムが全然違う。まるで素人の手付きになっている。「オジさん、その気ない?」
「ま、まさか……キミのお母さんは俺なんか相手にしてくれるもんか」
「そうかなあ。オジさんみたいな人が友達になってくれたら、きっと母さんは喜ぶだろうな」
「あはは。そう言ってくれるだけでも嬉しいよ」
暑くもないのに奴が額の汗を袖口で何度も拭うのを見て少年は本題に入る。「どうする? ぼくが上手く話をまとめてみようか」

 そこからはトントン拍子だ。友達になるための御膳立てから、売春の斡旋に話が変わっても床屋のオヤジは何も言わなかった。ヤりたくて、ヤりたくて堪らないらしい。ただ何度か念を押すように訊いてきた。「本当に出来るのかな、そんなことが。大丈夫なんだろうね。君を本当に信用していいのか」
その度に、こう答えてやった。「任せてよ、上手くやるから。ただし幾らかの手数料は欲しいなあ」と。
 手数料と聞くと床屋のオヤジは僅かに首を立てに振って見せた。タダでは出来ないことは承知しているが、子供に小遣いを渡す程度で済ませようとしているのは見え見えだ。
 奴の休みは月曜日だ。その日の午後に家まで来てもらうところまで話を煮詰めてから、やっと金を要求した。七万円という金額に、さすがに床屋のオヤジは身を引く。
 「そ、そりゃあ、高いよ。相場っていうモノがあるだろう。千葉に栄町っていう遊ぶところがあるんだが、そこの方がずっと安い。それにだ、キミの母さんよりもずっと若い子が相手をしてくれるんだから」文句を並べ始めた。「そんな大金を何に使うんだ。君みたいな中学生が小遣いにする金額じゃないぞ。もう少し、まともな数字を出しなさい」
「……」少年は反論しない。相手に好きなだけ言わせて、ただ黙って聞いていた。
 ソープランドの女なんて、いくら若くても所詮は商売女じゃないか。近所に住む美貌の人妻を相手に遊ぶ方がどれほどスリルがあるか想像してみろってんだ、このバカ。そう思っても少年は口には出さない。
 「いや、勘違いするなって。金を出さないと言っているわけじゃないんだ。どうだろう、三万円ぐらいで……。すぐに払うから」
 無言に不安を覚えたらしく、直ぐに奴は譲歩してきた。「ほら、三万円だ。受け取りなさい」
「……」床屋のオヤジが財布から取り出した札に少年は目もくれない。その代わりに用意してあった台詞を口にした。素直に床屋のオヤジが七万円を出すとは最初から想定していないぜ。「わかった。それじゃあ、いいよ。この話は無かったことにするから」
「……え」
「オジさん、時間を無駄にして悪かったね。忘れて下さい」
「ま、待てよ。そ、そんな気の短い――。そしたら一銭も手に入らないことになるぞ。せっかく、ここまで話は進んだのに。すべてが水の泡になってしまうじゃないか」
「いや。そんなことはないと思う」
「どうして。オレは一銭も払わないぞ」
「別にオジさんに払ってもらわなくてもいいから」
「どういう意味だ」
「駅前にあるスーパーの店長にも話しをしてみるさ」
「何だって?」
「ほかにも何人か母さんと仲良くなりたがっていそうな人がいるんだよ」
「……」
「どうする、オジさん」
作品名:黒いチューリップ 12 作家名:城山晴彦