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黒いチューリップ 11

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「やっぱりな」医者は自分で納得するように大きく頷く。「血行が活発になれば、同時に幼虫たちも刺激を受けて活動が激しくなるということだ」
「……」
「痒みを抑えるには静かにしているしかない」
「そんな」
「キミを刺した虫は毒を注入したんじゃない。キミの体の中に卵を産み付けたらしい」
「そんな事ってあるんですか?」
「あるよ。聞いた話なんだが……」医者は前屈みの姿勢に疲れたのか、椅子に座り直すと続けた。「私の父親は太平洋戦争でニューギニアの密林地帯まで連れて行かれたんだ。そこでは人間の目を狙って卵を産み付けようとする虫がいたらしい。刺されたら次第に視力が落ちて、いずれは失明する」
「……」
「キミを刺したのも同じような種類じゃないかな。どんな虫だった?」
「ハエみたいに黒くて小さくて、……そいつの背中には黄色いラインがありました」
「え、黄色いラインだって?」
「はい」
「ふうむ。そういうのは聞いたことがないぞ」
「……」
「珍しい。もしかして新種かな?」
「どうしたら殺せますか? この虫は」
「蚊は血を吸って栄養分を奪うけど、この虫は人間の体に寄生するなんて……」
「もう痒くて、痒くて我慢できないんです」
「古い映画になるが、リドリー・スコット監督の『エリアン』を観たことがあるかな?」
「は、……はい」いきなり何だよ。どう、それが痒みと関係しているんだ。「宇宙船の中で怪物に襲われるやつでしょう」
「その通り。素晴らしい映画だった。わたしが面白いと思う作品の一つだ。まあ、しかしだな、シルビア・クリステルの『プライベート・レッスン』には及ばないが。彼女の代表作と言えば『エマニエル婦人』かもしれないが、わたし個人としては--」
「わかりました、わかりました。それで痒みを、なんとかしてくれませんか。すぐに」
「あの映画を思い出してほしい」
「どっちの映画を? なんで?」西山は声を荒げた。しつこい。映画の話をしに五井まで来たんじゃない。オレは治療に来たんだ。
「もちろん『エリアン』の方だ」
「何か関係があるんですか、治療と?」
「どこでエリアンは成長したんだい?」
「え」
「初めからモンスターだったわけじゃない」
「……」
「卵から飛び出して乗組員の顔面に張り付き、彼の体内に寄生したんじゃなかったか?」
「……」それと、これと……。まさか。
「同じことが、キミの体の中で起きていると考えて間違いないと思う」
「そんなバカなっ」
「否定したいキミの気持ちは分かる。だけど現実に向き合わないとダメだ」
「この虫がオレの体を食い尽くすって言うんですか?」
「かもしれない。しかしだ、この小ささから考えると、そうはならないだろうな」
「どうなるって言うんです?」
「キミの体の中に棲みついて養分を吸収しながら成長する。やがてサナギとなり、時期が来れば成虫になって飛び立って行くんじゃないかな」
「ふざけんなっ。こ、殺して下さい、早く」
「待ちなさい。この虫の正体が分からないんだ。治療したくても方法が分からない」
「何か殺虫剤がないんですか?」
「あるにはあるが、……しかし」
「お願いです、それを使って下さい」
「でもな、キミも死ぬことになる危険性があるんだ」
「え、……」どうして?
「キミに害を与えずに、寄生した虫だけを殺そうとするところに問題があるのさ」
「……」
「強い塩酸をかけたり、火で焼いてしまえば、きっと虫は死滅するだろう。しかしキミも命を落とすことになる」
「つまり今のところ、治療の方法がないってことですか?」
「そうだ。この虫はキミの体の中の奥深くにまで侵入しているみたいだしな」
「……」こりゃ、もう絶望的だ。
「そこでキミに提案なんだが……」
「はい」
「この幼虫が成虫になるまで待てないか?」
「待つ? どうして」
「成虫になれば、それを研究して殺す方法が分かるというもんだ」
「そ、それまでオレは痒みに耐えなきゃならないんですか?」
「仕方がないだろう。こんな不気味な虫に刺されてしまったのが悪いんだよ」
「……」
「わたしが全ての治療費を負担しよう。痒みは少しでも症状が軽くなるように手をつくす。その代わり、この虫が新種だったら学会で発表させてほしい」
「いやだ」こんなクソ虫に自分の大切な体を蝕まれるのを、ただ見ているなんて。
「しかし他に何か方法があるだろうか。ここは冷静に考えた方がいい。別の見方をするんだ。こんな珍しい虫に卵を産みつけられて幸運だった、と。だってキミが最初の一人かもしれないんだから。成虫になった姿を見てみたいと思わないかい? 学会で発表することになれば、もちろんキミの名前も大きく出ることになるだろう。その為なら少しぐらい痒くたって我慢できるはずじゃないか。どうだろう?」
「いやだ、絶対にいやだ」
「まあ、待ちなさい。そう早く結論を出すことはない。気持ちを落ち着けてからでも遅く--」
「帰る」
「なに?」
「もう帰ると言ったんだ」
「待ちなさい。早まっちゃいかんよ、キミ」
「うるさいっ」
 西山明弘は立ち上がると、医者の制止を振り払って診察室を飛び出した。金は払わない、保険証もそのままだ。駐車場でレガシイを急発進させた時、病院から医者が追いかけて来て危うく轢きそうになった。
 エンジンをONにさせたと同時に、ステレオのプレー・モードにスイッチが入った。おニャン子クラブの曲が入ったテープが運転席にチャラチャラした音楽を流す。『かたつむりサンバ』だった。耳障りだ。今は、そんな気分じゃない。最初の信号待ちで西山はイジェクト・ボタンを押すと、出てきたミュージック・テープを窓の外へ投げ捨てた。『セーラー服を脱がさないで』を二度と聞くことはないと思った。

  67 

 「お話があります」職員室で二人だけになれる時間を見つけて、加納久美子は高木教頭に詰め寄った。
「何だ?」高木教頭は身構えた。女教師の普段とは違う真剣な雰囲気に気づいたのだろう。
「先生が国際中学で教えた生徒の中に、木村優子という女の子を覚えていらっしゃいますか?」
「……」驚いた顔を見せると、その表情を読み取られまいとして教頭は視線を外した。
「わたしのクラスメイトでもありました」
「よく覚えていない。そんな名前の子がいたか?」
「そんなはずはありません」加納久美子は言い切った。
「どうして、そう断言できるんだ? きみは」
「わたしはハッキリと覚えているからです」
「きみと私とでは事情が違う。これまで何人の生徒に教えてきたと思っているんだ」
「彼女は普通の女子生徒ではありません」
「……」
「霊感の強い女の子でした。教頭先生が処分に困っていた鏡に気づいたのは彼女でしょう?」
「そ、そんなことがあったか……?」
「ある品物を高木先生から引き取ることになったと、木村さんが話してくれたのを覚えています。彼女の表情は、いつもと違っていました」
「よく覚えていないが、どうして今頃そんなつまらない話を--」
「つまらない話では決してありません」
「しかし昔の事じゃないか」
「そんなふうに片付けられなくなりました。その鏡を、どうやって教頭先生が入手したのか教えてほしいのです」
作品名:黒いチューリップ 11 作家名:城山晴彦