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黒いチューリップ 08

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 五十嵐と書かれた表札を見つけた。ここだ。人目を引く洋風の家だった。外壁はサイディングで、ツーバイフォーで建てたように見えた。屋根付きのガレージにはフォルク・スワーゲンの白いゴルフが佇む。
 「加納先生、お呼び立てして申し訳ありません。来て頂いて本当に感謝しています」
 玄関のベルを押すと、すぐに母親が迎えてくれた。顔色が悪い。憔悴しきった様子だ。リビングに通されると、五十嵐香月がソファから立ち上がって会釈した。言葉はない。不機嫌そうだ。
 カーテンと家具がグリーンとブラウンを色調にして上手にコーディネートしてあった。女性らしい優しい演出。娘のセンスがいいのも頷ける。こういう家で育てば当たり前だろう。大型テレビの横には、BOSE製の黒い小型スピーカー 101イタリアーノを見つけた。単身赴任している父親の影響は、ステレオと駐車場にある白いフォルクス・ワーゲンだけらしい。
 三人が腰を下ろすと、さっそく母親が口を開いた。「香月、よく聞いて。子供を産んで育てるなんて、思っているほど簡単なことじゃないの。あなたには将来があるのよ。一度の間違いは取り返しがつくわ。お願いだから、お腹の子は堕ろして」
「いやよ、ママ。香月、絶対に産みたい」
「……」重い空気が五十嵐家のリビングを包む。
「さっきから、こんな調子なんです。先生からも言ってくれませんか」
 母親に促されて久美子は女生徒に話しかけた。「五十嵐さん、お母さんの言う通りよ。あなたの歳で子供を育てるなんて、とても大変なことよ」言葉に説得力がなかった。宿った小さな生命を堕ろせなんて、他人の自分が言うべきでないと考えているからだ。
「わかっています。でも産みたいんです」
「……」十四歳の少女とは思えない強い意志にたじろぐ。初めて見る五十嵐香月の姿だった。
「父親は誰なの?」母親が訊いた。
「……」
「お腹の子の父親は誰なのか、お母さんが訊いているの」口調を強めた。
「誰だっていいでしょう」
「そんな事ありません。責任を取ってもらわないと」
「あたしが一人で産んで、一人で育てたいの」
「馬鹿なこと言わないで。そんな事できやしない、中学生のお前なんかに」
「大丈夫、なんとかなると思う」
「無理です」
「……」久美子は口を出せない。二人のやり取りを見守るしかなかった。
「先生」
「はい」
「黒川っていう子は転校生ですか?」
「……」突然だった。驚いて言葉を返せない。一体、どうして?
ここでも彼の名前が出てきた。
「先生」
「は、はい。そうですけど……」まさか。
「その彼と、うちの香月が付き合っていたということはありませんか?」
「わかりません」きっぱりと答えた。そこまで生徒の行動を把握できない。
「一度ですけど、香月が電話で黒川という子と話しをしているのを聞いたんです」
「……」
「香月、その子の父親は黒川っていう転校生なんでしょう?」
「……」女子生徒は母親と目を合わさなかった。
「やっぱりそう?」
「違うわ」
「じゃ、誰なの? 相手にも責任があるんだから、こういう事は」
「言わない」
「五十嵐さん、あなた一人で解決できる問題じゃないのよ」久美子も口を添えた。あまりにも頑な女子生徒の態度に呆れてしまう。
「いい加減にしなさい、香月。加納先生だって--」
 『ミスター・ムーンライト』
 加納久美子の携帯電話が鳴った。何事かと、驚いて母親が途中で口を閉じた。
 「あっ、すいません」謝るしかない。急いでポケットから取り出して応答した。ジョン・レノンの着信音は早急に変えないといけない。そう痛感した。やはり安藤先生からだった。学校で何かあったのか? 「もしもし」
 「加納先生、まだ五十嵐さんの家に居るの?」口調が早い。
「え、……そ、そう」何かあったらしい。
「すぐに学校へ帰ってきて」
「どうしたの?」携帯を握る手に力が入る。
「佐野隼人くんが教室の窓から転落したみたい。意識がないの。救急車は呼んだわ」
「えっ、まさか」つまり校舎の三階からっていうこと? 
「お願い、早く戻ってきて」
「わかった。すぐに帰るから」加納久美子は携帯電話を閉じた。二人が訝しげに自分を見ている。「すいません。学校で何かあったらしくて、すぐに戻らなければいけません」
「……」母親は無言だった。どうして、こんな大切な時に? うちの問題よりも優先すべき問題なんて、この世に有り得ません。彼女の厳しい表情から、そう読めた。
「すいません、失礼します」久美子はソファから立ち上がった。
「先生、また来て頂けますか?」
「もちろんです」力になれるとは思わないが、そう答えるしかなかった。
 「加納先生」
 リビングから出て行こうとしたところだった。後ろから五十嵐香月に声を掛けられた。口調が今までと違う。久美子は足を止めて振り返る。「え、なに?」もしかしたら考え直してくれたのかしら。
 女生徒もソファから立ち上がっていた。改めて、その華奢な身体に新しい生命が宿っていることに驚きを覚える。十四歳の少女は自分の腹部に,優しく手をやって言った。
 「双子なんです。うふっ」
 途方に暮れてしまう。五十嵐香月の顔には喜びが溢れていた。まるで待ち望んでいた赤ちゃんを授かって、幸せの絶頂にいる母親のようだった。
 ああ、この子には何も言っても無駄だ。本当に産む気でいる。そう確信した。加納久美子は返す言葉がない。何も聞かなかった振りをしてリビングのドアへと向かう。佐野隼人の容態が心配だった。無事であってほしい。
フォルクス・ワーゲンのアクセルを踏んだところで、彼が職員室で黒川拓磨に対して言った言葉が不意に頭の中に蘇った。
 『あいつ、怪しいです』

   40
 
 「職員室にいたら、いきなり大きな音がしたのよ。何かしらと思っていたら、すぐに外で誰かが大変だって叫び始めたわ。驚いて校庭に出て行ったら佐野くんが倒れていたっていうわけ。もう信じられない」安藤先生が何度も首を横に振りながら説明してくれた。
 加納久美子が君津南中学に戻ってみると、すでに救急車とパトカーが到着していた。佐野隼人の姿はなかった。車の中に運ばれたらしい。運転席で隊員が連絡を取っているのが見えた。現場は騒然としていた。
「佐野くんの意識は戻ったの?」久美子は訊いた。
「いいえ」安藤先生が大きく首を振って答える。
「助かるかしら?」
「わからない」
「三階から落ちたのは確かなの?」
「たぶん」
「……」気が重くなった。「でも、どうして?」
「わからない。だけど二年B組の教室には二人でいたみたい」
「えっ、誰なの、もう一人は?」
「佐久間渚よ」
「どうして、彼女が?」
「交換日記をしていた仲だって。でも何日か前に佐野くんは教室で彼女に怒鳴ったらしいの」
「佐野くんが窓から落ちたのを、佐久間さんは見ていたのね?」
「わからない」
「どうして? 二人は一緒に教室にいたんでしょう」
「彼女も教室に倒れていたから」
「え?」
「あたしと西山先生が発見したの。彼女は少し意識があったけど、何を訊いても答えられない状態だった」
「何で?」
「だいぶ前から体調を壊していたみたい。視力も聴力も弱っているらしいの。病気を隠していたんじゃないかしら。一緒に救急車に運ばれたわ」
作品名:黒いチューリップ 08 作家名:城山晴彦