黒いチューリップ 08
言われて思い出す。先日、携帯電話の着信音をジョン・レノンの歌声に変えたのだ。嬉しくて、真っ先に報告したのが安藤先生だった。その場で彼女に電話を掛けてもらって、ちゃんと鳴るか二人で確認したのだ。すごく気に入っていた。ジョン・レノンの曲は全てが好き。『MOTHER』は聴くと涙を堪えられない。
『ミスター・ムーンライト』は冒頭で、いきなりジョン・レノンが叫ぶところがカッコいい。そこを携帯の着信音にしたのだ。電話が掛かってきたらジョン・レノンが教えてくれる。なんて楽しい。
フォルクス・ワーゲン ポロのイグニッションを回すと同時にステレオがオンになって、スピーカーからレッド・ツェッペリンの『カシミール』が流れ出した。好きな曲だけど今の状況に合わない。イジェクト・ボタンを押してカセットを取り出した。音楽を聴く気分じゃなかった。
ああ、荷が重い。自分が行って何かしらの助けになるのか分からなかった。ただ母親は担任教師の加納久美子を必要としている。女生徒の家に足を運ぶしかない。
県道から横道に入ると、そこは同じようなモダンな家々が並んでいた。ニュータウンといった感じだ。車の速度を落として番地を確かめながら進む。
先日、板垣順平の母親から聞かされた、息子の異常な行動が頭から離れなかった。その後は、どうなっているのだろう。その件に関して母親から二度目の連絡はない。ただ学校での彼の様子に何の変化はなかった。普段どおりだ。機会を見つけて生徒に声を掛けようと考えていた。
篠原麗子の家では、義父が何かしらのトラブルで大怪我を負ったらしい。その日から彼女は学校を休んでいた。精神的にショックを受けているらしい。
そして今日、五十嵐香月の問題が持ち上がった。あの子の将来が掛かっていた。しかし、その問題に対して加納久美子は無力感しか覚えない。自分の手に余ると思った。
勉強を教えることだけじゃない。次々と生活に関係する難しい問題の相談を受けた。ところが、こっちは大学を卒業して社会人になってから何年も経っていない未熟者だ。先生と呼ばれて頼られても困ってしまう。
教師になって良かったのか、ずっと頭を悩ましていた。英語を教えているのか、それとも英語嫌いを育てていのか分からない毎日だった。原因は試験の為にする勉強だからだ。生徒は学ぶ楽しさなんて味わえない。高い点数を取った時の喜びだけだ。それは勉強じゃない。学習してもテストが終われば忘れてしまう知識だ。
授業中に最も多く生徒から質問されるのが、「先生、それ試験に出ますか?」だった。教師にとって、やる気を本当に失わせる言葉だった。
きみたち、こんなの勉強じゃない。こんな勉強は意味がないの。試験の点数なんか忘れて学習するのが、本当の意味での勉強なんだから。
そう声を大きくして生徒たちに訴えたかった。もし実行に移したら父兄の反応は目に見えている。加納久美子は教師として失格、その烙印を押されるのだ。
英語の受動態を教える時は、特に疑問を持った。多くの生徒が日本語の文章を受身に出来ないのに、英語の受動態を教えて理解できるはずがないだろう。
英語を義務教育で教えるべきじゃないと思う。文部省は英語教育から手を引くべきだ。せめて受験科目から外してほしい。中学の三年間を掛けて勉強していながら、ほとんどの生徒が英会話が出来ないまま卒業していく。それって語学の学習なの?
学校で教えるのを止めれば、きっと英語嫌いはいなくなる。みんなが危機感を覚えて、英語の学習に一生懸命になるはずだ。
ある母親は強く加納久美子に訴えた。「先生、しっかり基礎を教えてやって下さい。お願いします」
なんと返事していいのか分からない。困惑した。ただ頷いて、その場を無言で乗り切るしかなかった。後で考えてみると答えは、「すべてが基礎です」だった。あの場面で、それを口にしたら相手が理解してくれるかどうかは疑問だ。
父兄から最も多く問われる質問は、「先生、息子が勉強しなくて困っています。どうすればいいですか?」だった。
答えは簡単で明瞭だ。いつも加納久美子の頭の中にあった。ただし口に出しては決して言わないだけだ。
「お子さんを勉強好きにしたいのであれば、まず御両親が勉強を好きにならなくてはいけません」
大学の在学中に学習塾の講師としてアルバイトをしていた。何人かの母親に自分の意見を率直に言ったことがある。彼らの反応は、すぐにその顔に現れた。
︵なんて生意気な女だろう。先生だからって威張っているんだ︶
それ以来、加納久美子は父兄に対して言葉を選んで口にすることにしている。
文部省と教育委員会には疑問が多くあった。決定的だったのは神戸連続児童殺傷事件での対応の仕方だ。犯人の中学生には、母親の愛情に飢えていたと決めつけた。たかがそんな理由で、あんな犯行に及ぶだろうか? あり得ない。
事実を覆い隠して、誰もが納得して理解しやすい答えを無理やり貼り付けたのだ。こんな悲惨な事件が再び起きないようにと、全国の児童には植物を植えて育てる事と組み体操を奨励した。命の大切さ学んでもらうのと、一緒に演技をすることでお互いが支え合っていることを意識させる為らしい。
久美子にしてみれば無駄なことだった。そんな対応をマスコミが受け入れているのが信じられなかった。つまり日本の社会は、サイコパスという障害を認めないらしい。事実に向き合わないで目を背けるのだ。
疑問や不満は数知れない。これから先、こんな世界で自分が生きていけるのか自信を失いそうだった。
父親が生きていてくれたらと切に思う。彼こそが全てを曝け出して相談できる唯一の人間だった。幼少の頃から母親よりも強い影響を受けた。久美子に読書の楽しさを教えてくれた。音楽のテイストは、ほとんど同じ。水泳、スキン・ダイビング、ウインド・サーフィンは父親仕込みだ。
きっと娘ではなくて息子が欲しかったのに違いない。しかし父親は一度も、それについて不満を口にしなかった。
レンタル・ビデオ店で借りてきて映画も一緒に観た。黒澤明監督の『用心棒』と『椿三十郎』以外は全てが洋画だ。小学校の高学年になると、同じ映画を三回も続けて鑑賞したことが何度かあった。一回目は映像を主に見る。二回目は字幕を読むことに集中。最後は字幕を見えなくして映画を楽しむのだ。彼なりの英語の英才教育だった。
その甲斐あって、高校になると久美子の語学力は父親を凌ぐ。理解するのに余裕が生まれて、映画鑑賞で別の楽しみを見つけた。横目で父親が映画に夢中になっている姿を見るのが楽しい。子供みたいに喜んでいるのを目にすると、久美子自身も嬉しくなった。
番地が生徒の家に近いことを示す。スピードを落とした。加納久美子は思いを過去から直面する問題へと移す。と同時に女子生徒の母親が最後に口にした言葉を頭の中で繰り返した。
『香月は妊娠しています』
妊娠という言葉が久美子の胃に突き刺さる。なんてこと! 彼女はまだ十四歳の少女にすぎないのに。
作品名:黒いチューリップ 08 作家名:城山晴彦