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黒いチューリップ 08

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新田茂男に言い寄られて、願い事を書いただけ損した感じだ。その為に多くのクラスメイトに声を掛けて、『祈りの会』に誘わなきゃならない。なんでオレがそんなことを……。あいつに利用されたんだろうか? 波多野孝行は騙された思いだった。
 いつも夕飯の前に風呂に入った。洗面所の鏡に映った自分の姿を見ても、もう可笑しくない。笑いたくても笑えない、そんな気持ちだった。

   38

 うふっ。
 息子の孝行が行った校外学習の写真を見ながら、君津警察署の生活安全課に勤務する波多野正樹は思わず笑ってしまった。手渡された時に言われた言葉を思い出したからだ。
 「加納先生は小さくしか写っていないよ」 
 父親が美人な女教師の姿を見たがっていると思ったらしい。見当違いもはなはだしい。そういうことで校外学習の写真を見せてくれと頼んだわけではなかった。去年の暮れに中野地区で起きた放火事件の捜査だ。
 担当していた刑事が体調を悪くして長期休養を余儀なくされた。
今年になって放火事件は波多野のところへ回ってきた。
 まとめられた資料に一通り目を通した。鑑識から提出された現場の写真が三十枚近くもあった。ほとんどが火事を見に集まった野次馬たちを写したものだ。この中に高い確率で犯人がいる。これまでの放火事件の記録が証明していた。
きっと犯人は眺めのいい場所に立っている。後ろの方から火事を見物しているとは思えなかった。はっきりと顔が写真に写っている野次馬の一人ひとりを確認していく。どれもこれも普通の人で、写真で見る限りは何の特徴もない。でも波多野は不可能に近いが、それらの顔を記憶しようと努力していた。
 イギリスのスコットランド・ヤードでは、人の顔を覚えるのに優れた人物がいて、犯罪捜査に協力していると聞く。
 放火犯は必ず、また事件を起こす。性犯罪者と同じで常習性があるのだ。二度、三度と犯行を繰り返すことで、多くの手掛かりを残す。自ら自分を逮捕へと追い詰めていくのだ。
 次の現場で撮られた写真に同じ人物が写っていたら、それは有力な容疑者だ。捜査は一気に進展する。
 時間があれば写真を机の上に並べた。少しでも多くの顔を覚えたい。また、何か不自然なところがないか捜した。そしてある日、波多野は一人の少年に目を止めた。何人かの子供は写っていた。しかし、この中学生ぐらいの少年に刑事としての嗅覚が働く。
 その表情と佇まいが波多野の注意を引いた。どうして? と、もし誰かに訊かれても理由は答えられない。ただ、何となく。と、しか言えなかった。
 放火された家の長男は、波多野の息子と同じ教室で学ぶクラスメイトだった。その事実が頭の片隅にあって、ずっと消えなかった。
 もしかしたら……。
 波多野は行動を起こした。息子に校外学習で撮った写真を見せてくれるように頼んだ。
 長年培ってきた刑事の勘だった。しかし今回は、それが間違いであってほしいという気持ちで二年B組の生徒たちの顔を調べた。
 う、……いた。
 この子だ。前列に並んだ小柄な生徒の一人を波多野刑事は見つけた。放火現場で撮られた写真に写っていた少年と同一人物。予感が当たった。しかし嬉しくもない。息子のクラスメイトが容疑者として浮かんだのだ。どうやって捜査を進めよう。相手が未成年者なので慎重に行動しなくてはならない。まず、この生徒の名前と住所が知りたかった。もし住んでいる家が放火現場から遠かった場合、この少年の容疑は強くなる。近所でもないのに、どうして現場にいたのか、という疑問が生じるからだ。
 息子に校外学習の写真を見せて、この子は誰かと訊くか。……いやだ、それはしたくない。手っ取り早いかもしれないが、自分の息子を犯罪捜査に巻き込むことになる。もし、その生徒が犯人だったら、孝行は友達を警察に売ったと思うだろう。それはマズい。何か別の方法--。
 目の前に置かれた電話が鳴った。
 「はい。生活安全課」波多野は手を伸ばして受話器を取った。
「波多野か?」副署長のダミ声が耳に響く。一階にある司令室からだと分かった。
「はい」
「緊急通報が入った。君津南中学で何かあったらしい」
「えっ」今、その中学のことを調べていたところだ。
「事故か事件なのか、まだ詳しいことは分からない。怪我人がいるらしい。たぶん生徒だろう。そっちで誰か出られるか?」
「自分が行けます。ほかに誰か見つけて現場へ急行します」
「わかった。頼んだ」
 波多野正樹は重い気分になった。これが放火事件と何か関係があるんだろうか? という疑問が頭に浮かんだ。いや、それはないと思う。ただの偶然だ。そう理性で否定しようするが、刑事の勘とは違う霊感みたいな勘が頻りに反対のことを強く訴えていた。
 怪我をしたのは二年B組の生徒かもしれない。もしそうなら、これは始まりだ。もっと大変なことが、これから起きるに違いない。お前に、それを止められるか? 

   39

部落差別を残そう、と訴えているとしか受け取れない、今どき『部落差別をなくそう』と書かれた君津市役所の大きな看板の前の交差点を左折して、陸橋を通り越すと、そこは五十嵐香月の家がある畑沢地区になる。
 二年B組の担任を務める加納久美子は、放課後に彼女の母親から呼び出された。家庭訪問ではないし、普通であれば生徒の家までは行かない。行く必要がない。しかし、この場合は特別だった。
 五十嵐香月の母親は切実に訴えた。「加納先生、お願いです。こちらに来て一緒に娘を説得してください」
「お母さん、落ち着いて下さい。どんな用件なのか詳しく言って下さらないと、こちらとしては学校の仕事もありますし、勝手には動けません」
「先生、お願いです。主人は単身赴任しています。わたし一人だけなんです」
「わかりました。では、どんな用件なのか教えて下さいませんか」
「……」
「お母さん?」
「電話では言えません」
「では、お二人で学校へ来られませんか?」
「できません。こんなこと、とても……」
「申し訳ないですが、こちらは用件が分からないと動けません」
「……」
「お母さん?」事情を詳しく聞こうとすると母親は黙り込む。
「加納先生」
「はい」
「先生、娘が……。香月は--」最後の言葉を口にすると母親は泣き崩れた。
「……」加納久美子は驚いて、すぐに返事ができなかった。しかし大きな問題であることは理解できた。「今、すぐ行きます」そう言って電話を切った。
 家庭に問題が起きていて今から五十嵐香月の家まで行きたい、と教頭先生と西山主任に言って許可をもらう。どういう用件で、と説明を求められたが、よく分からないと答えた。当然、行く必要があるのかと二人は訊いてきたが、とにかく行かせて下さいと押し切った。それしか方法がない。秘密厳守が第一だった。
 安藤紫先生にも一言、声を掛けた。「もし何かあったら連絡して」
「わかった。ミスター・ムーンライトね」
「え? ……あ、そう。うふっ」
作品名:黒いチューリップ 08 作家名:城山晴彦