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黒いチューリップ 07

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「彼の父親の勤め先が、どうして今になって知りたいんですか?」
「……」苦しい。息ができない。
「教頭先生?」
「い、いや、……何でもない。忘れてくれ」高木将人は言葉を搾り出す。その場を離れて、夢遊病者のように自分の席へと戻った。ゆっくり椅子に腰を下ろす。放心状態。
 そうだった。黒川拓磨が転校してきて、その書類を担任になる加納先生に渡すときに、このオレが指摘したんだ。すっかり忘れていた。理解できない。どうして、そんな大事なことを覚えていないのか。自分らしくない。欲に目が眩んだのかもしれない。
 自分は教頭という立場でありながら、中学二年の黒川拓磨に騙された。このオレが、あんなクソ小僧に手玉に取られた。してやられたんだ。殺してやりたい。
 もう取り返しはつかない。地獄だ。あの鬼女房とその両親に頭を下げて、カード・ローンの借金を説明しなければならない。助けてもらわないと返済は無理だった。ああ、なんて恐ろしい。もうオレは一生、あの家族の奴隷だろう。自由はない。未来もない。
 絶望で奈落の底に落ちた高木将人に一つ確かなのは、もう二度とレンタルビデオを借りて、ダニエラ・ビアンキやジル・セント・ジョンのセクシーな容姿を見ながら、心を躍らせたりしないということだった。

   32 

 計画では決行の日は三日後だった。いくら何でも十日ぐらいは掛かるだろうと篠原麗子は見込んでいたのだが--。
 決めた、今夜やる。
 義父は撒いたエサすべてに飛びついてきた。こいつって警戒心とかないの? と心配するほどだった。わざと騙された振りをしているんじゃないかしら、と不安を感じたことも。でも転校生の黒川くんは「大丈夫。そのまま進めて」と言ってくれた。
 男って、こんなにバカだったの? それとも、こいつだけ? だけど木更津高校を卒業してんだよ、こいつ。
 仲が悪かった子が急に態度を変えて優しくなったら、あたしなら何か変だなと感じて警戒するけど。それが普通じゃないの。
 始めは朝の挨拶からだ。そして笑顔。積極的に声を掛けた。向こうが馴れ馴れしく、自分の肩とか背中とかに触れてきても嫌がる様子は見せない。こっちも義父の背中を、ふざけて後ろから押してやったりした。喜んでる。ケラケラ笑っていた。
 母親が入浴している時を見計らって、下着姿でキッチンまで行って冷蔵庫からアイスクリームを取り出したりした。呆気に取られている義父に向かって、「きゃっ。まさか居ると思わなかった。ごめんなさい」と言って慌てて二階へ上がって行く。
 お尻の丸みを強調するように前屈みの姿勢を奴の目の前でして見せたり、ショートパンツにタンクトップという姿でリビングに降りてきたりした。黒川くんのアドバイスを忠実に守った。
 お色気作戦は効果抜群。ニヤニヤしながら、麗子の身体に熱い視線を送ってきた。もう目が釘付けと言っていいくらいだ。
 決行を決めた夜、義父が用意したホット・ミルクを手に取りながらウインクして見せた。そして小声で言葉を添えた。「パパ、どうもありがとう。上で待ってるわ」
 義父は目で母親の姿を探して、今の会話に気づいていないことを確認すると黙って頷いた。
 母親が夜の仕事に出て行くと、奴は間を置かずに部屋の中に入ってきた。麗子は寝た振り。
 布団の中に手が入ってきて早熟な十四歳の身体を触りだす。耐えた。まだ早い。どんどん義父は大胆になっていく。
 いやらしい手が麗子の太ももを伝わって、股間に届きそうになった時に行動を起こした。寝返りをうって義父の方を向く。手を伸ばしてジャージの上から男の股間に触れた。
 うわっ、すごく固い。これは、びっくり。ここまでとは思いもよらなかった。オッ立つって、このことだったんだ。なるほど。サラミを薦められたのも当然だ。こんなになってたら、普段の生活にも支障をきたすんじゃないかしら。男って大変。
 しっかり練習を積んだ。サラミを買うのに一万円ぐらいは使ったはずだ。Dマーケットの精肉コーナーで適当と思うソーセージを選んでいると、後ろから店員のオジさんに注意されてしまう。
 「お姉ちゃん、むやみやたらに商品に触っちゃ困るな」
「あ、すいません」固さを調べていたのを見られたらしい。
「どんなのを探しているんだい?」
「いえ、……そのう、しっかり固いのが欲しいんです」
「固いの? それならこれかな。すごく美味しいよ」
「いえ、別に美味しくなくてもいいんです。固くて、適当に太ければ」
「固くて太い? へえ、一体どんな料理に使うんだい?」
「あ、いえ、まだ料理は決めていなくて。それなりに歯応えがあれば嬉しいです」
「ふうむ。じゃあ、これなんかどうだい? まあまあの味だけど値段が安いよ」
「あ、もう少し長い方がいいかも」
「え? これじゃ、短すぎるってことかい?」オジさんの訝しげな顔。
「……はい」か細い返事が精一杯。ああ、言うんじゃなかった。あたしって、バカ正直だから。
「そうか、なるほど」表情が笑顔に変わった。「お姉ちゃんは味は気にしないけど、固くて太い、それに長いソーセージが大好物なんだね」店員のオジさんは全てを理解したみたいに大きく頷くと、篠原麗子の下腹部に視線を集中させた。「分かるよ。オレも、あんたぐらいの年頃はそうだったから」
「……」自分でも顔が真っ赤になっていくのが分かった。
 違います。オジさんが想像しているようなことじゃありません。これは仕返しなんです。あたしは母親に元に戻ってもらって、二人だけで幸せに暮らしたいんです。それに、あたしとオジさんを一緒にしないで。そう声を大きくして言いたかったが、中学生の自分は我慢するしかなかった。
 「だけど、そういう事ならソーセージなんかじゃ意味がないさ。オレだったらサラミにするな。ほら、これ。固さといい、太さといい、長さだって、お姉ちゃんの可愛い手にしっくりくるんじゃないかな。どう? 握ってみるかい。もうバナナとかキュウリなんかは試してみたんだろう? えっ、まだだって? へえ、驚いた。最初からソーセージを選ぶなんて、お姉ちゃんは目の付けどころが人と違うな。素人っぽくないよ。かなり研究しているみたいだ。感心する。ああいう生モノはダメなんだ。長持ちしない。使えば摩擦で熱くなるからだけどさ。それに手に馴染んできたと思ったら、腐って使いモノにならないなんてことがしょっちゅうなんだ。それで男のオレが言うのも何だけどさ、こういうのは人によってサイズ的に微妙な好みの違いってのが出るらしいんだ。どんな風に自分が使うのか想像しながら探すのが一番さ。たっぷり時間をかけて感触を確かめてみたらいい。ここでオレが、ずっと見ててあげよう。ほら」
「い、……いいです」もう帰りたい。
「触ってみなったら、お姉ちゃん」
「い、いや」オジさんたら、黒くて太いサラミを持って、その先端を麗子の身体に当たりそうなくらいに近づけてくる。
「そう言わないで。ほら」
「いや、……いやです」そんなモノで、あたしを突こうとしていた。後ずさりするしかなかった。そこへ白いエプロンをした太った男の人が、お店の奥から現れた。サラミを持ったオジさんが身を引く。助かった。でも何かイヤな予感が……。
 「おい、何してんだ」
「あ、店長」
作品名:黒いチューリップ 07 作家名:城山晴彦