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黒いチューリップ 07

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 いじめ問題は世間一般では、まるでそれが中学校でしか存在しなかのように扱われている。ふざけんな。いじめはどこにでもある。頭の回転の鈍い奴、運動の苦手な奴、力のない奴、気の弱い奴、空気が読めない奴、器量の悪い奴、要領の悪い奴、仕事のできない奴は、どこへ行こうがいじめに遭うんだ。指導する立場でありながら、ここ君津南中学校の職員室でも、いじめは大なり小なりあるんだから。
 「それじゃない。その件は聞かなかったことにする、いいな?」もし生徒が事故を起こして、学年主任のオレが無免許運転の事実を知っていたとなれば学校は責任を追及される。それは避けたい。「まだ他にもあるだろう。それを言え」
「じゃあ、板垣くんが学校に持ってきた光月夜也のアダルト・ビデオを黙って借りたことですか?」
「え、……光月夜也? あのロシア人とのハーフっていう--しまった。口が滑った。
「そうです。やっぱり西山先生も知っているんですか。すっごく綺麗な--」
「バッ、バカ言え。し、知らない。そんなものにオレは興味はないんだ」
 あの板垣順平は学校にアダルト・ビデオを持ってきているのか。困った奴だ。よりによって光月夜也とは……。畜生。オレに馴染みのない女優だったらボロを出さなかったのに。『女教師 生徒の目の前で』に出演した三東ルシアに次ぐ好みのAV女優だった。
 「一日で返しました。でも最初に鮎川くんのリュックから探し出したのは山田道子なんです。あたしは、一緒に見ようって誘われただけです」
「もういい、それは分かった。違う。別の一件だ。心当たりがあるだろう」
「じゃあ、もしかして……」
「そうだ。その、もしかしてだ」もう早く言ってくれ。時間の浪費だ。早く本題に入りたい。
「関口くん達から万引きしたワコールの下着を買ったことですか?」
「……」えっ、相馬太郎だけじゃないのか? あいつが駅前のコンビニで万引きして捕まった時は、オレが燃費の悪いレガシィで駆けつけてやったんだ。叱ると、もうしませんと誓ったはずだ。まだ、あの連中は続けているのか。
「あたしだけじゃありません。関口くんたちが万引きした--」
「もういい、もう言わなくていいから。そのことは聞きたくない。それも違う」呆れた奴だ。叩けば叩くほど次から次へと埃が出る身とは、この長い脚をした手塚奈々ことを言うらしい。聞くだけ、こっちが困難な立場に追いやられていく。「オレが言いたいのは、お好み焼き屋でアルバイトをしていることだ」
「あ。それ、ですか」
「そうだ。れっきとした校則違反だろう。そう思わないか?」
「知りませんでした」
「知らなかったとは言わせない。ちゃんと生徒手帳に明記してあるからな。たまたま働いているところを、父兄の一人に見つかったんだ。しばらく止めた方がいいぞ」
「困ったな。オーナーに何て言おう?」
「学校で注意されましたって正直に言えばいいだろう」
「それが通ればいいんだけど……」
「どういう意味だ?」
「オーナーは木畑興行と関係がある人なんです」
「なに? ヤクザじゃないか」
「そうなんですよ」
「お前、どうしてそんなところで働き出したんだ?」
「森田桃子先輩の紹介です。先輩も中学二年の頃から、そこでアルバイトしてたって言ってました。あたしにピッタリな働き口があるって教えてくれたんです」
「……あいつか?」
 西山弘明は森田桃子が卒業してから、なんと千葉の栄町にある風俗店で顔を合わせていた。「あら、やだ。西山先生じゃないの」なんて気軽に声を掛けてきやがった。店の人に、知り合いなんですと事情を話して他のソープ嬢に変えてもらったのだ。まさかその話が手塚奈々に伝わっていたりして。背筋が寒くなる。この女生徒に伝われば学校中に広まるのは時間の問題だ。もちろん安藤先生や加納先生の耳にも届く。もはや身の破滅だった。
 「もう先輩は働いていません。オーナーと給料のことで喧嘩して辞めました。なんか千葉の風俗店に移ったとか、噂で聞きましたけど」
「そうか」良かった。まだ伝わってないらしい。「お前なあ、あんな先輩と付き合うのは止めろ。いかがわしい所でしか働けない女になってしまうぞ」
「別に付き合っていません。もう連絡は取っていないし。たまにルピタとかDマーケットで会ったりすると、向こうから声を掛けてくるんです」
「無視しろ。お前の為だ、それが」
「わかりました」
「お好み焼き屋のアルバイトはしばらく止めろ。ここだけの話だけど、ほとぼりが冷めたらまた始めていいから」 
「どうしよう。今月だけでも続けちゃダメですか」
「どうして」
「オーナーに借金があるんですよ」
「幾らだ?」なんて野郎だ。美人の女子中学生を借金漬けにして、強制的に店で働かせているらしい。西山明弘は犯罪の臭いを嗅ぎ取った。普通の人よりは少ないのは認めるが、それでも正義感が燃えたぎってきた。
 中国やインド、バングラディシュでは劣悪な環境で児童が、家計を助ける為に働かされて将来を奪われているのが現実だ。この手塚奈々というセクシーで可憐な少女を、過酷な労働から助け出してやりたいと思った。頭は悪いかもしれないが、その美貌を利用すれば玉の輿に乗れる可能性だってあるのだ。
 「十五万円ぐらいだったかな」
「えっ、そんなに大金を……」とても立て替えてはやれない。大家の娘との付き合いがあるし。
「そうなんです」
「とても一ヶ月ぐらいバイトしたって返せる金額じゃないだろう」
「いいえ、そんなことありません。上手くやれば……」
「上手くやれば? お前、時給は幾らで働いているんだ?」きっと安い給料でこき使われているんだろう。可哀想に。
「三千円です」
「えっ、……そんなに?」
「はい。あたしが働くようになったら店の売り上げが倍増したらしくて。最初は山崎先輩と同じで千五百円だったんですが、あたしだけ次の月から二倍に昇給してくれました。うふっ」
「……」オレは時給で換算して三千円も貰っているだろうか? 西山は自分の給料と、目の前に座る女生徒が受け取るアルバイト代を無意識に比較した。
「最近はオーナーが頻りに、あたしに言ってくるんです」
「何て?」
「あと三センチだけスカートの丈を短くしたら、時給を五千円にしてやるって。もう今だってパンティが見えそうなくらいなのにですよ。男の人って本当に、すごくエッチ。でも借金を返すためなら仕方ないかなって思ったりします。それにスカートが短いと、お客さんがチップを弾んでくれるんです。えへっ。千円なんてザラで、たまに五千円とか一万円だったりして」
「……」
 なんてこった。オレが主任手当てとして貰う五千円なんて、この脚の長いバカ娘にしてみれば、たった三センチだけスカートの丈を短くすれば一時間で得られる金額らしい。なんか情けない。すごく寂しい。これが、この世の現実なのか。
 金が無くてレガシィに給油するのも毎回20リットルづつと気を使いながらだった。満タンするなんてボーナスが出る月の、年に二回だけだ。この十四歳の娘は脚が長い理由で、倹約とか節約を常に強いられる苦労をしないで済んでいる。
作品名:黒いチューリップ 07 作家名:城山晴彦