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黒いチューリップ 07

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 テーブルを挟んで向かい合って座ると母親は口を開いた。「学校
での順平の様子はどうなんでしょう?」
「はい。私の見る限りですが、別に変わった様子はありません」
「これまでと全く同じということですか?」
「そうです。ほかの先生方からも特に何の報告もきていませんし」
「……」母親は黙った。途方に暮れた様子だ。
「テレビ・ゲームに夢中、ということですよね?」確認の意味で久美子は訊いた。今はそうかもしれないが、そのうち飽きるだろう。そう母親に助言して安心させたい気持ちがあった。
 「転校生って、どんな生徒なんですか?」
「は?」意外な質問に驚いた。どういうこと?
「今年になって転校してきた男子生徒のことです」
「どう彼が関係しているんですか?」
「ゲームです」
「はい」それだけでは分からない。久美子は先を促した。
「ゲームは転校してきた奴から借りたんだ、と息子は言ってました」
「……」黒川拓磨が……。何か嫌な予感が頭を過ぎる。
「どうして、あんなゲームを息子に貸したのか……」
「お母さん、いずれ順平くんはゲームに飽きると思いますよ。今は始めたばかりで--」
「そうは思いません」
「……」母親の強い口調に久美子は驚いた。
「先生」板垣順平の母親は一段声を高くした。そして次に口にする言葉の重要性を高めようとしたのか、少し間を置いて続けた。「テレビには何も映ってないんです」
「えっ」事情が飲み込めない。「ど、どういうことですか?」
「順平はゲームに夢中になっている格好こそしていますが、見ているテレビの画面には何も映っていません。白黒のノイズだけがパチパチと流れているだけなんです」
「……」加納久美子は言葉を失う。
「まるで悪霊か何かに取り付かれたみたいで異様な姿なんです。昨夜ですが主人が見かねて止めさせようとしました。そしたら怒り狂ったように殴り掛かってきたんです。父親にですよ」母親は言葉を止めるとハンカチで顔を覆った。「信じられますか、先生。こんなこと初めてです。もうどうしていいのか分からなくて……。助けて下さい。お願いします、加納先生」
板垣順平の母親は応接室のソファに泣き崩れた。その姿に商工会の有力者の妻というプライドは微塵もなかった。加納久美子は、どう応えていいのか分からない。その場から動くことすら出来ない衝撃を受けていた。

   28 

 山田道子は、ずっと後悔していた。あんな手紙を出すんじゃなかった。文面は、『もし良かったら付き合って下さい』という簡単なものだった。五十嵐香月と佐久間渚に唆されて書いてしまったのだ。
 黒川拓磨くんには好意を持っていた。彼は背は高くないし、外見的には目立たない。だけど、どこか普通の男子生徒とは違う。頭は良くて、スポーツは万能だ。でも、それだけじゃなくて何か危険な雰囲気を持っていた。顔は笑っていても目は真剣そのもの。周りに調子を合わせていながら、心では別のことを考えているみたいな。常に自分の利益になるように、どう行動すべきか計算している感じだ。きっと何かを企んでいそう。いつか何か大きなことをやらかすつもりだ。そういう彼の闇の部分に、山田道子は強く惹かれた。
 これは誰にも言えないが、黒川くんと一緒に何か悪いことをしたい気分だった。何か悪いことを考えているなら、あたしにも手伝わせて欲しい。
 佐久間渚が手紙を渡してくれてから一週間が経っても、彼から返事はなかった。無視されたのかもしれない。手紙を書いた自分がバカだった。あたしなんか相手にしてくれるわけがないんだ。五十嵐香月みたいな美貌もスタイルの良さもない。佐久間渚の可愛さの欠片もなかった。あたしは、ただの普通の女でしかない。
 名前からして普通過ぎた。道子、ありふれた名前。苗字にしたって山田だから、もう最悪。両親に言いたい。娘が産まれた時に、もう少し頭を使って名前を考えて欲しかったと。ぬか味噌の中に大根をつけていて思いついたと言われても、やっぱりそうだったのと返事ができそう。
 こんな名前で、いつか素敵なボーイフレンドができるだろうか? いいや。ハッキリ言って、疑わしい。彼氏ができる前に名前を変えたい。黒川くんから返事がこないのは、あたしの名前が障害になっているんじゃないかと考えてしまう。
 彼は道子と冗談を言って笑い合う、初めての男子生徒だった。あたしを女性として認めてくれた初めての人だ。日に何度も声を掛けてくれた。うれしい。学校へ行くのが楽しかった。こんな気持ちになったのは今までにない。恋をするって、こんな感じなのか。
 片思いの経験は小学校四年生時から何度もしてきた。佐野隼人に憧れたのは中学一年の夏だ。サッカーをプレーする生き生きとした
姿に心を奪われた。一人じゃ恥ずかしいので佐久間渚を誘って、仲良くなろうと行動を起こした。ところがカップルになったのは、あの二人だった。心が痛んだ。あたしは御膳立てをしただけ。感謝もしてくれない。それでも許した。いつか自分も素敵な男子と恋仲になれることを夢に見て。 
 しかし佐野隼人を横取りした佐久間渚を許す気持ちは、如何わしい現場を見た途端に消えた。
 去年の秋だった。クラブ活動が終わって下校しようとしたところで、忘れ物に気づいて一人で教室へ戻った。
 誰もいないはずなのに誰かいる。話し声が聞こえたからだ。穏やかな会話じゃなさそう。争っているみたいな。でも喧嘩じゃない。 
 「いや、放して」女の声。
「いいじゃないか、もう少しだけ」と、男の声。
「お願い、やめて」
 忍び足で教室に近づく。げっ。び、びっくり。目に飛び込んできた光景に身体が硬直した。なんと佐野隼人と佐久間渚が抱き合っていたのだ。お互いの唇と唇をくっ付け合ったりしている。いやらしい。不潔。不味い給食の肉じゃがを食べてからは歯を磨いてないはずなのに。道子の全身から沸き上がる嫌悪感。中学生のくせして、あんた達はB組の教室で……。あたし達が学問を学ぶ神聖な場所だっていうのに何てことしてくれるの。
 佐野隼人は手を佐久間渚の腰へ伸ばした。お尻を撫で回そうとしていた。渚は身体を捩って、それを止めさせようとする。「いや、いや」
 キスだけじゃなかった、その先へ進もうとしていた。鮎川信也くんのカバンから黙って借りたアダルト・ビデオ、光月夜也の『スチュワーデス暴虐レイプ』のシーンが山田道子の頭に蘇った。あれと同じことが今、目の前で始まろうとしていた。うわー、興奮してきた。この二人、どこまでヤるんだろうか。どうせなら最後まで行って欲しい。仲良しの佐久間渚が処女を失う瞬間が見たかった。
 よし。やれっ、佐野隼人。渚の抵抗に怯むな。早くヤッちまえ。クズクズすんな。スカートを脱がせ。裸にすれば、もう逃げられない。お前も早くズボンを下ろして勃起したチンポコを出せばいい。そうすれば女は観念する。渚の口に含ませろ。しゃぶらせるんだ。
 無意識にも山田道子は佐野隼人を応援していた。仲良しの佐久間渚が嫌がっているのだから助けるべきだったが、同級生のセックスシーンをライブで見たいという好奇心が大差で勝っていた。
 おっ、いいぞ。それだ、それでいい。佐野隼人の手がスカートの中へ入るのが見えたのだ。山田道子の期待が一気に高まる。
作品名:黒いチューリップ 07 作家名:城山晴彦