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黒いチューリップ 06

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 もし古賀千秋が生徒会長に選ばれたら、書記のあたしが提案するしかないのだろうか。いくつか考えを持っている。まず、背の低い男子全員から生徒手帳を取り上げる。お前らは正規の生徒として認めてやらない。彼らの学校での言動と行動は制限する。胸元には目立つ黄色いバッヂを、そして腰のベルトには鈴を付けさせよう。いつ、どこにいても誰もが分かるようにする為だ。お喋りは不可。言葉は挨拶だけに限らせる。あいつらから笑顔を奪いたかった。将来の夢も希望も持たせない。背の高い女子と目を合わすことは禁止。廊下ですれ違う場合は一歩退いて、相手の通行を妨げないようにする。教室とか校庭、トイレも一般の生徒と別に設けよう。いずれは財産の没収も視野に入れて校則の強化を図りたかった。
 背が低い男子への暴力や略奪は校則違反にならない。ストレスの発散として黙視される。廊下ですれ違いさま、いきなりラリアットを食らわせてやろう。ああ、面白そうだ。後ろに引っくり返って気絶するかも。そしたら即座にエルボー・ドロップで止めをさす。このコンビネーションが、プロレス技では大切なのだ。
 チョコレート、チョコレート、チョコレート、チョコレート。食べていないのに体重は減らない。もうダメだ。この鬱憤を学校で誰に晴らさないと、こっちが死んでしまう。教室で自分の席に座ってラリアットを食らわせてやる獲物を選んでいた時のことだ。隣に座る転校生の黒川拓磨くんから話しかけられた。
 「小池さん、ダイエットしているんだって?」
「……」驚いた、突然で。何で知っているんだろう。
「増やすのは簡単だけど、減らすってのは本当に苦労するんだぜ」
「どうしてダイエットしているって知ってるのよ?」
「古賀さんから聞いた」
「えっ、本当?」あたし、千秋に言ったのかしら。ぜんぜん覚えていない。
「食べたいモノを控えただけじゃダイエットは成功しないぜ」
「……」今の言葉、聞き捨てならない。「どういうこと?」
「つまり心にイメージ作りをするんだ。いつも頭の中に自分の痩せた姿を思い浮かべながらダイエットすると効果があるらしい」
「へえ、そうなの。でも自分の痩せた姿なんか見たことないから想像できないけど」
「その通り」
「……」なに、こいつ。期待を持たせやがって。やっぱりチビだから馬鹿なのかしら。意味のない話なんかして。
「だけど、もし自分の痩せた姿を見る方法があったら、どうする?」
「え、どうやって? そんなの聞いたことないよ」
「それがあるんだ」
「マジで? どこに?」
「これなんだ」
「え」冗談かと思ったら、転校生はポケットに手を入れると取り出して見せてくれた。「なによ、それ? ただのメガネじゃない」
「うん。たけど普通のメガネじゃない」
「……」からかってんの、あたしのこと? レンズが丸く大きくて玩具みたいな白いメガネだった。確かに、そういう意味なら普通のメガネじゃなかった。ホームセンターにあるサービス・カウンターの横でレジャー用品として売られているようなやつだ。
「これを掛けて鏡に映った自分を見てみなよ。きっと驚く」
「……」
「次の休み時間にトイレに行って試してみるといい」
「あたしのこと、からかっているんでしょう?」
「まさか。そんなくだらない奴に見えるかい、このオレが?」
「……」チビだけど勉強が出来て真面目で静かな男子、それがこれまでの印象だ。女の子にイタズラをして喜ぶような生徒ではなかった。それなら騙されたと思って話に乗ってやるのも面白いかもしれない。失うモノは何もないんだし。「わかった。次の休み時間にトイレで試してみるよ。その代わり何もなかったら、あんたにラリアットを食らわすよ」
「え、なに? ラリアットだって?」
「いいの、こっちのこと。気にしないで。次の休み時間に試してみるから」
「よかった。気に入ってくれたら嬉しいな」
 小池和美は転校生からメガネを受け取った。プラスチックで出来た安っぽい作りだった。ちょっと期待したが手にした途端に萎んでしまう。こりゃ、きっとダメだ。じゃあ、ラリアットか。
 授業終了のチャイムが鳴って、しばらくしてからトイレに向かった。誰も見ていないところでメガネを掛けるつもりだった。一人になるのを待つ。最後の女子がドアの外へ行くと、小池和美は鏡に向かった。ポケットからメガネを取り出し、そっと掛けてみる。
 「うわっ」思わず声が出て、反射的に後退りしてしまう。鏡には別人が映っていたのだ。だ、誰なの、この子? びっくりした。これってマジック? 綺麗な子だった。呼吸の乱れが治まってから、恐る恐る再び鏡の正面に立つ。この子の正体が知りたい。
「あれ?」何でだろう、あたしに似ている。あたしの面影があるじゃん。ま、まさか、……もしかして、これが自分の痩せた姿だったりして。でも、こんなに綺麗なはずが--。
 試しに小池和美は首を振ったり、何度も口を開けたり閉じたりしてみた。鏡に映った美しい少女も同じ動きをする。驚いた。これで確信した。な、なんて綺麗なんだろう。自分の痩せた姿に見惚れてしまう。
 ちよ、ちょっと待ってよ。こ、これって見方によっちゃあ、もしかして……もしかしてよ、まさかだけど……藤原紀香に勝っていない? 驚きの発見に額が汗ばむ。呼吸も乱れる。はあ、はあ。息苦しい。やだーっ。勝ってるよ。マジで、勝ってる。信じられない。もう嬉しくて嬉しくてトイレの中で奇声を発したいくらいだった。ラリアットでトイレの全てのドアを破壊したい。この喜びを表現するには、それしかない。感動で涙も出てきた。もう絶対に痩せよう。断食してでも痩せて--。あ、やばいっ。
 ドアが開く音がして女生徒がトイレに駆け込んできたのだ。小池和美は急いでメガネを外した。今、掛けている姿を見られちゃマズいと思った。
 手塚奈々だった。このメス猫野郎、人の邪魔をしやがって。バカだから、こんな時間になってオシッコをしに来るんだ。彼女が中に入って閉めたトイレのドアに向かって、小池和美は心の中で言い放った。「あんたが男の子たちに、ちやほやされなくなるのも時間の問題だよ。このあたしが次回の『二年B組女子ベスト・オナペット』で一位になるんだから」
 教室に戻って自分の席に座る前に転校生の黒川くんと目が合う。自然と笑みがこぼれた。それを見て相手が頷く。
 「どうだった?」
「これって、すっごい」
「だろう」
「あたし、買いたい。幾らなの?」ゆうちょの通帳に十万円の残高があった。
「いいよ、お金は。小池さんにあげるよ」
「うそっ」
「もう僕は使わないから」
「えっ、黒川くんも使っていたの? そんなに痩せているのに?」
「以前は太っていたんだ。ほら、証拠を見せよう」
 生徒手帳を取り出して、ページの間に挟んであった写真を見せてくれた。「ええっ」あたしよりも太っているじゃない。「こ、これが黒川くんだったの?」
「そうだよ」
「いつごろ? これって」
「半年ぐらい前かな」
「本当? たった半年で、こんなに痩せられるの?」
「そうなんだ。頭の中に自分の痩せた姿を常に思い浮かべていたからだと思う」
「イメージ・トレーニングが大切なのは聞いていたけど……、そこまで効果があるなんて」
作品名:黒いチューリップ 06 作家名:城山晴彦