黒いチューリップ 04
へえ、三千万円だって。その後に続く父親の説明は、もう聞いていなかった。五千万で二千万円もお釣りがくる。こんな家がキャッシュで買えるんだ。父親は三十年ローンを組んだらしいけど。やっぱり、五千万円で凄い。こうなったら行動開始。
翌日、休み時間に板垣順平を捕まえて頼みごとをした。そのAV女優が出演しているビデオを借りてきて欲しいと伝えた。仕事の内容を詳しく知りたい。
「えっ。オレが、かよ」
「そうよ。女のあたしが借りるのは恥ずかしいもの。あんなカーテンがしてあって仕切られているのに、その奥に入って行く勇気はないわ。お願いだから。だって順平は借りたことあるんでしょう」
「な、ないよ。そんなの借りるか、このオレが。バカ言うなって」
「嘘、言わないで。この前、学校に持ってきて鮎川くんに渡したじゃないの。光月夜也の『スチュワーデス暴虐レイプ』とかいうやつよ。あんた達がイヤらしそうにニヤニヤしてたもんだから、昼休みに道子が黙って鮎川くんのリュックを開けて見たんだから」
「マジかよ、それ」
「道子ったら、勝手に家に持って帰って、奈々と一緒に見たらしいわよ」
「そうだったのか。あれには参ったぜ。鮎川の野郎がビデオが無くなっている、なんて言ってきやがって慌てたんだ。加納先生に見つかったのかもしれないと心配してたら、翌日には机の中に戻っていたから安心した。一日分の延滞料金を支払うだけで済んだ。だけど山田道子って女は何をしでかすか分からない奴だな」
「そうよ。学校にアダルト・ビデオを持ってきても、みんなの前に出しちゃダメよ。道子は詮索好きで、勝手に人のカバンの中を覗いたりするんだから」
「……」
「だから、お願いだから借りてきて」
「わかった。だったら、そんな名前も知られていないAV女優よりも、やっぱり光月夜也のビデオを推薦するな。うふっ。お前に似ているんだよ。あ、いや、ごめん。お前の方がずっと綺麗だった。その女優の『令嬢教師強制登校』とか、『夫の目の前で犯されて』なんかは良かったぜ」
「それじゃダメなの。このAV女優のビデオが見たいのよ」
この男には呆れる。その光月夜也とかいうAV女優のセックス・シーンを見ながら、あたしのヌードを想像しているらしい。まあ、いやらしい。お前に似ているんだ、と言ったところでニヤけながら目付きがギラギラと変わる。すごく美味しそうなケーキを目の前にして、今にも涎を垂らしそうな表情だった。
「じゃあ、探してくるよ。でも見たことないぜ、そんな名前は」
「鮎川くんとかに訊いてみたらどうかしら」
「いや、オレが知らないんだから他の連中に訊いても無駄だろう」
「あら、そう」
この男って本当に信用できない。アダルト・ビデオなんか借りたこともないって初めは言いながら、結局は相当に詳しいみたいな口振りに変わった。
探すのが難しそうな言い方をした順平だったが、次の日には学校に持ってきた。えらい。なかなか使えるじゃない。信用は出来ないが、ここは評価しよう。当然、山田道子と佐久間渚がいないところで手渡してくれた。借りてきてくれたのは二本で、タイトルは『スチュワーデス ぐしょ濡れ直行便』と『愛と腰使いの果てに』だった。うわ、なんか凄そう。
「参ったぜ」
「どうしたのよ」
「君津になくてさ、木更津まで行って借りてきた」
「本当に?」
「ビデオ屋を何軒も回ったぜ。もう疲れた。これって古すぎるんだよ。どっから見つけてきたんだ、この名前。どうして、このAV女優にこだわるのか分からない。ミス東京か何か知らないけど、光月夜也だって負けちゃいないぜ。ロシア人との混血なんだ。ビデオの内容にしたら、オレは光月夜也の方がいいと思う。お前に似ているのは、こっちの方だ。犯され方はリアルっぽいし、画質だって全然いい。アダルト・ビデオっていうのはな、もちろん女優の見栄えは大切なんだが、画質とかシーンの撮影の仕方で違ってくるんだ。いかに女優を綺麗に……」
板垣順平、この男はアダルト・ビデオを語らせたら止まらないって感じ。得意な分野はサッカーだけじゃないらしい。「見たの?」香月は訊いた。
「え」
「この二本のビデオを見たってことなの?」
「う、うん。……まあな。オレも見ておくべきだと思ったんだ」
「どうして?」
「ど、どうしてって……そう、言われても」
「なんで見ておくべきなのよ、順平が」
「それは……なかなか綺麗な女優だったし、少しは香月に似ているなと思ったからだよ」
「へえ。順平がアダルト・ビデオを選ぶ基準ていうのは、どれだけ女優があたしに似ているかなの?」
「う、うん……そうだな」
男ってヤることしか考えていないって、いつか先輩の山崎桃子から聞いたけど本当らしい。もし自分がAV女優になった場合、確実にファンは一人いるってことか。でもやるからには絶対に五千万円は稼いでやろう。
あたしが出演するアダルト・ビデオを順平が見て楽しむのは、それはそれでOK。でもヤるのは絶対にイヤ。モノを買ってくれるのでデートはするが、身体には指一本触れさせたくなかった。
家に帰って、さっそく借りてきてくれた二本のビデオを自分の部屋でマックロードにセットした。母親には宿題をするからと言って、二階に上がってこないように釘を刺す。音量はギリギリまで落とした。
生まれて初めてアダルト・ビデオを見る。なんか、大人の世界に一歩足を踏み出すみたいでゾクゾクした。心臓がドキドキ。あっ、すっごく綺麗な女の人が画面に映りだされた。うわっ、スタイルも抜群じゃない。この人がこれから裸になって男の人とセックスするの? 信じられない、こんな素敵な女性が……。
えっ、……うわ。す、凄い。見ていて身体が火照ってくる。これほど綺麗な女性が、あんなに恥かしいことをするなんてと驚く。やっぱり五千万円を稼ぐのって大変そうだ。ただしアダルト・ビデオを見てもセックスの仕方は良く分からなかった。モザイクが掛かっていて肝心のところが見えないのだ。
山田道子は正しかった。男の人って白い液体を出す。だけど女優が男の人のアレを口に含むのには参った。そんな下品なこと自分に出来るかしら。五千万円を稼いだ綺麗な女の人は白い液体を口の中に出されたり、顔に発射させられたりしていた。
どうしよう。ちょっと自分に出来るかどうか自信をなくす。やっぱり地元の建設会社の事務員ぐらいしかなる道はないのか。将来への不安に再び襲われる。
そして日本代表がワールドカップ・フランス大会でジャマイカに負けた時、大きな失望と共に、順平と一緒に出歩く気持ちも失せてしまう。趣味が合わなくて、好きでもない男と仲良くするのは、もうイヤだ。苦痛しかなかった。いくらモノを買ってくれても、もう限界。自分にウソはつけない。その晩に順平から電話が掛かってくると、開口一番に「もう一緒に出掛けるのはイヤだから」と言ってやった。
「え?」
「もう一緒に出掛けるのはイヤだから」もう一度繰り返す。
「え、どうしたんだ。何があった? 分かった、あのアダルト・ビデオがいけなかったんだろう。やっぱり、古すぎるんだよ。だったら光月夜也のビデオを見て欲しい。きっと--」
「アダルト・ビデオは関係ない。何もないの。今、言った通り。ただ、それだけ」
作品名:黒いチューリップ 04 作家名:城山晴彦