黒いチューリップ 04
香月も好意を持っていると思った板垣順平は行動に出る。ちょくちょく用事もないのに電話してくるようになった。佐野隼人と佐久間渚と一緒に四人で出掛けようと誘ってきた。
そんな気はさらさらない香月は、のらりくらりと生半可な返事を繰り返した。突然のプレゼントが気持ちを変えるまで。
放課後、掃除当番をしていた香月に板垣順平が近づいてきて包みを手渡した。ソニー製のミニ・ディスク・ウォークマンだった。録音も出来るやつ。すぐに佐久間渚が教えたんだと悟った。
その数日前だ、香月は小雨の中で飼い犬のリボンの散歩途中に、手に持っていたミニ・ディスク・プレーヤーを水溜りに落としてしまった。仲良しの犬に気づいたリボンが走り出そうと、いきなりリードを引っ張ったからだ。すぐに拾ったが内部に雨水が入ったらしく二度と再生はしなかった。買ってから半年も経っていなくて、ずっと大事に使ってきたのに。泣きたいほど悔しい。翌朝、佐久間渚と顔を合わせると一番にその話をした。「渚、ちょっと聞いてよ。昨日、リボンの散歩をしてたら……」
それが板垣順平の耳に伝わって、突然のプレゼントという結果をもたらす。うれしかった。「うわっ、ありがとう」
と、同時に心の隅で理性が働く。同級生から、ましてや付き合ってもいないのに、こんな高価な品物を受け取っていいのだろうか。返す気は少しもなかったが、口からは礼儀をわきまえた言葉が出てきた。「本当に貰ってもいいの? こんな高いモノ」
五十嵐香月の最大の弱点は、百円程度のモノでもプレゼントされると相手に好意を持ってしまうことだ。とにかくモノを貰うことが大好きだった。後になって、そんな安価なモノで自分が心を動かしたことに気づいて情けなく思うことが少なくなかった。
今回はソニー製のミニディスク・ウォークマンだ。アイワ製じゃない。とても百円では買えない。お返しとして、四人で映画﹃タイタニック﹄を見に行くことを承諾した。彼は電車賃からファミレスでの食事代まで全てを支払ってくれた。お金を更に使わせることになってしまったが、そうすることで彼は喜んでいた。
うん、なかなか紳士じゃない。そんなに中古車屋って儲かるのかしら。一人息子は親から小遣いをたっぷり貰っているようだ。ちょっと付き合っていいかも。そんな思いから二人だけのデートが始まった。ララポート船橋には何度も行く。いつも何か買ってくれた。ロキシーのロゴが入ったTシャツから始まり、ポロシャツ、青い水玉のワンピース、ハイレグ水着へと進み、とうとうブラジャーとパンティまで買わせた。それが当たり前になった。
「香月ったら、一体いくら板垣くんに使わせたのよ」と、見かねた渚が注意してきた時に、ちょっとだけ良心の呵責を感じた。しかし週末に立ち寄ったマツキヨでは、順平がエアーサロンパスを入れた買い物カゴをレジまで持って行く途中で、生理用ナプキンを忍ばせてしまう。
板垣順平はモノを買うことで二人の関係を深くしようと考えていたらしい。しかし香月は身体には指一本触れさせない気だった。手を何度か握られたが、直ぐに払い除けた。
とうとう「キスさせてくれ」と迫ってきた時は、「あたしたち、まだ中学生だから」と言って拒否した。すると思いも寄らない情報が耳に飛び込んできた。
「何、言ってんだ。もう佐野と佐久間だってしてるんだぜ」
えっ、マジで? 驚いて順平の顔を見ると、﹙しまった、言っちゃった﹚というような表情で口元を手で押さえていた。「おい、今の聞かなかったことにしてくれ。頼む」
「……」驚きは顔に出さない。しっかり無表情を保つ。
「お願いだから、聞かなかったことにしてくれ」
「……」無言のまま。こういう場合、出来るだけ長引かせることが肝心。交渉術には長けているつもりだ。
「香月、頼むよ」
「……いいよ。わかった」不満たらたらという感じで頷くが、心ははニンマリ。香月にとっては好都合。これで当分の間は順平がキスを迫ることはないだろう。このタイミングで、ミスティウーマンのショート・ブーツをねだれば買ってくれるかも。それに渚の秘密を知った。
あの女、可愛い子ぶっていながら隅に置けない。あたしに黙って佐野隼人なんかとキスして。お互いの口の中に舌を入れて絡ませ合ったんだろうか。うわっ、気持ち悪い。あたしだったら絶対にしない、そんな不潔なこと。まあ、グリーンのベンツを運転する理想の彼氏が求めてきたら別かもしれないけど
それにしても未だに報告がないのはどういうことか。ずっと黙っているつもりなのかしら。腹が立つ。異性との関係で自分より早く一歩前に踏み出したことも気に入らない。
初潮のときはあたしが一番で、その二週間後が道子だった。渚はなかなか来なくて、「あたし、ダメかもしれない」と嘆いて心配するのを、「大丈夫、きっと来るから」と言って慰めて励ましたのだ。
どこで調べたのか知らないが道子の方は安心させるどころか、「もしかしたらロキタンスキー症候群じゃないかしら」と、不安を煽る始末。生まれつき子宮がない女性のことだと説明を聞くと渚は泣き出した。「余計なことを言わないで」と、得意げに知識を披露する道子を嗜めてやったのは、このあたしじゃなかったか。それなのに、この仕打ち。仲間に対する裏切り行為に他ならない。絶対に許せなかった。
あの可愛い顔で、よくもそんな大胆な行動に出たもんだ。だったらあの二人、もしかしてセックスするのは時間の問題じゃないかしら。きっと両親や兄弟がいない時に、渚か佐野隼人のどちらかの家にしけ込んで、アソコとアソコを丸出しにして裸で抱き合うんだ。まあ、いやらしい。でも、もしそうなったら、どうヤッたのか全てを知りたい。その知識で自分もセックスが出来る女になれる可能性がありそうだ。
気持ちの整理がつかない。しばらく渚とは少し距離を置いて、道子と仲良くするようにした。時には彼女の家を訪れた。渚と佐野隼人とのキスの一件を教えてやろうかと迷い続けたが、タダで言うにはもったいない情報なので止めた。映画『シックス・センス』の大事なネタを見る前にバラされて、面白味が半減した恨みも消えていなかったし。
芸能界へ進むという夢は砕けたままだったが、山田道子の家で別の世界への道が一つ見つかる。それは彼女の兄が捨てるために山積みした古い週刊誌の一冊を、たまたま手に取って開いた記事からだった。
内容は、あるAV女優が税金を逃れる為に所属していた会社に預けた三千万円と、未払い金の二千万円を踏み倒されたということだった。合計で五千万円。げっ。そんなに稼げるの、AV女優って。
香月の頭の中は五千万円という金額でいっぱいになった。す、凄い。すご過ぎる。五千万円て、いったい一万円札が何枚になるのかしら。さっぱり見当がつかなかった。セックスするところを見せるだけで、そんな大金がもらえるなら、……ぜひやりたい。こうなったら、なんとしてでもセックスが出来る女にならないと。
家に帰って、おもむろに父親に訊く。「お父さん、この家って幾らしたの?」
「土地と建物で三千万円ぐらいだったな。でも、あの頃はバブルが弾けて値段が下がり……」
作品名:黒いチューリップ 04 作家名:城山晴彦