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黒いチューリップ 03

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 火をつけて燃やすことで気分は高揚した。自分が支配者になったような気になれた。そして、どう関係しているのか分からないが夜尿症が治った。それまでは、また布団を濡らすのではないかと寝るのが怖いほどだった。見つかれば父親の皮のベルトが待っている。あのバカは強く叩けば夜尿症が治ると信じているようで、一撃一撃と、どんどん力が増していく。母親は助けてくれるどころか完全に無視だ。横でテレビの芸能ニュースを夢中で見ていた。聡史は痛みで学校へ行けないことが何度もあった。そういう日は満足に食事もさせてもらえない。
 度々、両親は夜に息子の夜尿症を持ち出しては夫婦喧嘩をおっ始める。
 「いいか。こんな尻癖の悪いガキになったのは、お前の育て方が悪かったからだ」と酒に酔った父親が言う。
「冗談じゃないよ。聡史がバカなのは、あんたんところの遺伝に決まってるさ」
「何だと」
「そうだろ。あんたの父親はサラ金の借金で首が回らなくなって蒸発だし、母親は医者も見放すほどのアル中じゃないか」
「それは関係がない」
「あるさ。金に溺れた父親と酒に溺れた母親の因果が聡史なんだ」
「ふざけるなっ」
「ふざけちゃいないよ。大体あんたんとこの家族って異常じゃないかしら。妹にしたって風俗でしか働いたことのないバカ女だしさ」
「うるせい」
「恥かしくて、あたしは親に本当のことが言えない」
「もう黙れ」
「もし誰かにバレたらどうしようって、いつも心配している、あたしの身にもなってよ」
「この野郎っ」この言葉で父親は母親に平手打ちを食らわす。
「あ、殴ったな。畜生」叩かれて怯む母親じゃない。灰皿を持って立ち向かう。
 二人が取っ組み合いの喧嘩を始めて間もなくだ、「聡史、外で遊んで来い」という声が聞こえてくる。寒い夜であろうが、雪や雨が降っていようが家を出て行かなければならない。尻癖の悪い息子がいなくなると夫婦喧嘩はセックスへと昇華するのだ。聡史は近くの公園で一時間ぐらい過ごす。恥かしくて家の近くにはいられない。母親の喘ぎ声が嫌でも耳に届くからだ。
 こんな時間に自分たちの都合で子供を外に追い出す親が他にいるか。狭い借家なんだからセックスしたければ時間を選ぶとか、場所を変えてヤってくれ。両親に対する怒りは強い憎しみになり、いつか奴らをテッシュ・ペーパーに包んで焼き殺せたらいいなと思うようになっていく。
 普段の火遊びでは様々なモノを燃やしていくうちに、お気に入りが決まる。紙とマッチ棒を組み合わせて作った家の模型だ。平日に作成して、週末に貞元グランドの人気のない場所へ行って火をつける。
家の構造を複雑にすると燃え方もリアリティが増して面白い。設計にもこだわるようになった。次第に人が住んでいる民家を燃やしてみたくなる。
 だけど、これは火遊びじゃなくて完全に犯罪行為だ。警察には捕まりたくない。やりたい事はやりたいが、そこまでの勇気と決断は持てなかった。
 佐久間渚の家に放火して彼女を救い出す。
 いや、これはどう考えても問題外だ。自分がヒーローになるには最高の場面になるかもしれないが、彼女は住む家を失う。洋風のモダンな造りで燃やすにはもったいない。また、新しく住むところが近くとも限らない。転校して行く可能性が高い。これはマズい。ダメだ。
 じゃあ、どういう方法で彼女と親密になる切っ掛けを作ればいいのか。色々と考えたがパンク修理みたいにいいアイデアは浮かばなかった。難しい。ああ、もどかしい。どんどん佐久間渚への思いはエスカレートしていく。
 そんな時だ、衝撃的なニュースが教室で聡史の耳に届く。憧れの佐久間渚がサッカー部のキャプテンである佐野隼人と交換日記を始めたというのだ。
 何だと! 畜生っ、ふざけやがって。オレの女を横取りしやがった。てめえの家を燃やしてやろうか、このヤロー。よし、これで決まりだ。最初に放火するのは佐野隼人、お前の家だ。君津南中学から追い出してやるぜ。
 いつ、どうやってやるか計画を練り始めた。こんなことで警察には捕まりたくはない。いつか佐久間渚と恋人同士になるという将来が台無しなってしまう。慎重に考え続けた。学校では何度か佐野のバカが渚にピンク色のノートを渡すところを見せられた。もはや他人の目を憚ることもしない。お前ら公然の仲か、畜生。無性に腹が立った。
 渚も渚だ。パンクを直してやったオレを差し置いて、あんなバカと付き合い始めやがって。恩を仇で返すとはこういうことを言うんだ。いいか、交換日記までだぞ。キスはするな。キスは絶対に許さん。佐久間渚の身体には指一本触れさせたくない。聡史の悶々とした日々は続いた。
 いいアイデアというのはは平穏な時より逆境から生まれてくるらしい。いきなり閃いた。交換日記よりも、もっと佐久間渚と親密になれる方法を思いつく。下着を盗むことだ。
 彼女の家を観察していて、可愛らしいパンティとブラジャーが干してあるのを何度か見た。きっと渚のだ、と思った。
 佐野隼人には負けたくない。お前は交換日記までだが、オレは渚の下着を持っているんだという優越感が欲しかった。
 最初はハートがプリントしてある白いパンティを盗んだ。家に帰って誰もいないことを確かめてから机の上に広げた。物凄い興奮を覚えた。これを佐久間渚は穿いていたんだ。なんて愛おしい。手にとって頬ずりした。匂いを嗅ぐ。洗剤の臭いが強いが、微かに佐久間渚の匂いもしないでもない。嬉しかった。これは宝物だ。その後はパンティとブラジャーを一枚づつ盗んだ。大切なコレクションにした。
 家では厳重に保管しなければならない。父親に見つかれば、『どっから盗んできやがった、こんなモノ』と、怒鳴られて皮のベルトで叩かれる。母親に見つかれば取り上げられて、あの女のことだから自分で穿いてしまうかもしれない。冗談じゃない。あいつの汚いケツに使われたんじゃ、たまったもんじゃないぜ。
 あの女ときたら隣りの4号室から出て行ったババアになりすまして、二つ目の再春館のドモホルンリンクルの無料お試しセットをせしめたことがあった。呆れるぜ。そこまでするかよ。欲しかったら買え。その後も何度か4号室の郵便受けから小包を取り出す母親の姿を見た。
 佐久間渚の下着は自分しか分からない場所に隠した。家で一人になれた時は必ず机の上に広げた。頬ずりして匂いを嗅ぐのは必ずやる。これを身につけている佐久間渚の姿を想像しては股間を硬くした。
 ある日のことだ、ブラジャーとパンティを眺めていて思いつく。
秋山聡史は自分の衣服を脱いで全裸になると、佐久間渚の下着を手に取って身につけてみた。隣の部屋にある母親の鏡台の前に立つ。          
 「うわっ」誰もいない部屋で声が出てしまう。
 しばらく動けない。憧れ女性の下着を身につけた自分の姿にうっとり。似合っている。サイズはぴったりだし、これはもう間違いない。渚とオレは結ばれる運命じゃないのか。すごく嬉しい。もう脱ぐ気がしなかった。そのまま聡史は上からユニクロの白いポロシャツを着て、アディダスの紺色のジャージを穿いた。心地いい。大好きな女と一体になれた気がした。こんな幸せな気分は今までになかった。よし、明日はこれを着たまま学校へ行こう、そう決心した。
作品名:黒いチューリップ 03 作家名:城山晴彦