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黒いチューリップ 02

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「おい、……あのな」転校してきて間がないから仕方ないか。そんな質問をする奴は学校中に一人としていない。オレからゲームを取ったら何も残らない、そういう覚悟でコントローラーを操作する板垣順平だ。そんな質問はオレに対する侮辱でしかない。しかし、ここでは敢えて文句は言わずにおく。もっと重要な解決すべき問題が持ち上がったからだ。「誰に頼まれたんだ? 試しにプレーしてくれなんて」
「父親がゲーム関係の仕事をしているんだ。それで発売される前に不具合とかがないか調べる目的でプレーを頼まれるのさ」
「マジかよ。すっげえな」
「この『バイタル・ハザード』の新しいやつは前作よりも面白くなっているぜ」
「どう?」
「プレイする度にゾンビやアイテムの配置が違う。それに敵の攻撃を瞬時に避けられる『緊急回避』や、一瞬で後ろを向く『クイックターン』ていう操作が追加されているんだ」
「……」
「イージー・モードだと最初からアサルトライフルが用意されていたり、初めて『バイタル・ハザード』をプレーする奴にはやり易いはずだ」
「面白そうだな」
「ああ」
「でも、どうして学校になんか持ってきたんだ?」
「鶴岡に貸してやったのさ」
「えっ、鶴岡って、……あの政勝か?」思わず声が大きくなった。
「そうだよ」
「……」
「どうした?」
「信じられねえ」ほとんど独り言に近い。
「何が?」
「いや、何でもないけど……」これについても話が長くなるので説明できなかった。
 板垣順平は裏切られた思いで怒りを感じていた。ふっざけた野郎だ、あの鶴岡は。『バイタル・ハザード 3』の試作品を転校生から借りていながら自分には何ひとつ言わなかった。クラスは一緒だし、同じサッカー部員でもあった。一日に話す機会は何度もある。  
 富津中との試合で奴がミスして逆転負けするまでは、チームの左サイドバックとして信頼していた。部室でナムコの『鉄拳3』について話をしたのは昨日じゃなかったか? 確かそうだ。それなのに『バイタル・ハザード 3』のことは黙っていた。鶴岡政勝に対する考え方はいっぺんに変わった。「それを、オレにも貸してくれないかな?」気を取り直して転校生に訊いた。
「いいよ。本気で願ってくれるならな」
「え? 何を」
「忘れたのか? さっきの約束だよ」
「あっ、ああ。い、いや、忘れてなんかないよ」すっかり忘れていたぜ、そんなバカバカしいこと。
「祈ってくれるよな」
「もちろんさ」
「それならいい。貸してやるよ」
「いつ返せばいい?」
「いつでも構わない。飽きたら返してくれ」
「本当かよ?」それじゃあ、貰ったも同然じゃないか。
「ああ」
「ありがとう。悪いけど、用事を思い出したから急いで帰るよ」
「わかった」
「また明日な」
 板垣順平は走り出した。用事なんかなかった。ただ早く家に帰って、この『バイタル・ハザード 3』で遊びたいだけだ。
 理解できないところはあるが、父親がゲーム関係の仕事をしているなんて凄い。これからは新作のゲームを発売前にプレーさせてもらえるかもしれない。サッカー部に入らなくても、ずっと仲良くしていくべき奴だ。順平の友達ランキング・リストに転校生の黒川拓磨が赤丸初登場で一位に君臨する。それまで長く一位をキープしていた親友の佐野隼人は二位に転落した。

    13

 「板垣の奴に見られたかな?」不良グループの中で小柄な相馬太郎が、並んで歩くリーダー格の山岸涼太に小声で訊いた。
「別に見られたっていいだろ」山岸涼太も小声で答えたが口調は強く、お前は余計なことを喋るなという意味を示唆していた。
「……」
 へえ、怒ってら。という感じで相馬は後ろから付いてくる長身の前田良文の方を振り返ったが、聞こえてないようだった。
 三人は土屋恵子を誘って周西小学校の隣にある公園の中に入ったところだ。
 これから始める交渉のことに山岸涼太は考えを集中していた。余計なことを言って話し合いをぶち壊しにされたくない。相馬太郎は口が軽くて、何度か苦い思いをさせられてきていた。
 三人は土屋恵子から恐喝されていた。多額の金品を要求され続けて身も心も疲れ果てた。表向きこそ普通の中学二年生だが、実情は失業して多額の借金を抱えた中年男性と変わりなかった。未来が無く、惨めな日々が続いていた。
 毎日、学校へ行くのが辛い。土屋恵子から声を掛けられるのが怖い。顔を合わすのすら嫌だった。

 山岸涼太と関口貴久、それに相馬太郎と前田良文の四人は小学校からの仲良しだ。みんな勉強が大嫌い。いい成績を取って、いい高校へ進学したいなんて気持ちはなかった。放課後は日が暮れるまでサッカーや野球をしたりして遊んだ。中学生になると行動範囲が広がり、興味の対象も多くなって、どんどん金銭の必要性を強く感じるようになる。映画や音楽鑑賞の楽しみを知り、お洒落もしたくなった。新聞配達や様々なアルバイトをして小遣いを稼いだ。
 しかし働くのは苦痛で、長い時間こき使われても賃金は安く、逆に買いたい物のリストはどんどん長くなっていく。
 「金は欲しいけど、何とか楽して稼ぐ方法はないのか?」
 その思いは常に四人の頭の中を占領した。解決策としては悪事を働くこと以外には何も思い浮かばない。でも強い躊躇いがあって、なかなか行動には移せなかった。背中を押してくれたのが土屋恵子の兄貴で三年先輩の土屋高志だ。高校を中退すると地元の工務店に就職したが一ヶ月ぐらいで辞めて、その後はガソリン・スタンドや飲食店なんかでバイトしたりしていた。
 去年の初めに本屋のブックバーンで久しぶりに顔を合わせたのが事の始まりだ。四人は関口貴久が安室奈美恵の新しいCDを買うというので一緒に来ていた。土屋高志の方はレンタル・ビデオを返しに来たところだった。どんな映画を借りたのか興味を持ったので、ビニール・バッグの中を見せてもらうと、樹まり子主演『背徳の令嬢』というタイトルが目に飛び込んできた。うわっ、と相馬太郎が声を上げる。さすが土屋先輩だと、四人は羨望の眼差しを注ぐ。それまでは「土屋高志みたいになったら御仕舞いだぜ」、が仲間うちでは一つの合言葉みたいになっていたのだが。
 学校の更衣室で財布を盗んで高校を一ヶ月もしないで退学になった話はすぐに広まった。その後はバイトをしたり辞めたりの生活。女の子への悪戯とか下着泥棒を繰り返して警察には何度も捕まっていた。悪い噂は常に絶えない。「土屋高志みたいには絶対になりたくない」、というのが四人の共通した意識だった。年末から始めた焼き鳥屋のアルバイトも一週間前に辞めていて、毎日ぶらぶらしているらしかった。
 「オレに任せろ」 
 土屋高志は、関口がCDを持ってレジへ向かおうとするのを、横から取り上げて言った。四人が見ていると素早くウインド・ブレーカーの前を上げて、CDをズボンのベルトに挟んでしまった。そして何食わぬ表情で店内から出て行く。
 「CDとか漫画なんかは、しばらく買ったことがねえな」君津駅の方向へ歩いて本屋から十分に遠ざかると土屋高志は自慢した。「お前ら、まだ何か欲しいモノがあるか?」 
作品名:黒いチューリップ 02 作家名:城山晴彦