黒いチューリップ 02
「ところで、ちょっと訊きたいんだけど」
「なんだよ」何でも教えてやるぜ。君津南中じゃオレが一番顔が広いんだから、という気持ちだった。
「ここでは映画同好会っていうのがあるって聞いたんだけど」
「はあ?」予想もしていない質問だった。自信が崩れる。そのカテゴリーは守備範囲外だ。
「映画同好会だよ」
「止めとけ」
「どうして?」
「女しか入っていないぜ」
「それがどうした?」
「B組の五十嵐香月と佐久間渚、山田道子の三人が始めたクラブなんだ。じっとして、ただ映画を見ているだけだぞ」そんなのに興味を持つなんて、どうかしてるぜ。
「だから映画同好会っていうんじゃないのか?」
「ん……ま、そうだけどな。しかし退屈だろう、二時間近くも動かないで座って映画を見ているなんて」
「映画は嫌いなのか?」
「好きじゃない。『タイタニック』を見に行ったけど字幕が早くて読むのに疲れた」
渡辺香月と二人で初めて出かけたのが、その映画鑑賞だ。三時間近くも彼女の肩に腕を回していられたのは感激だった。香月の艶のある長い髪から漂ってくる甘酸っぱい香りに酔いしれた。座席から身を起こしたのは一度だけで、ローズがジャックの前で服を脱いだ時だ。香月に振り向かれて照れ臭い思いをした。あの頃に再び戻れたらいいのにな、と思った。
「誰と行ったんだよ?」
「え?」その質問も意外だった。
「誰と『タイタニック』を観に行ったのか訊いているんだ。まさか一人じゃ行かないだろう、あんな映画。ましてや好きでもないのにさ」
「うん。友達とだよ」
「女とだろ、一緒に行ったのは?」
「……」
「デートだったんだろう」
「よく分かるな」こいつ、なかなか鋭い。
「そりゃそうさ。誰だ、相手は?」
「誰にも言うなよ」声を落とす。もう学校中に知れ渡っていたが、お前だけには教えてやろうという態度を装う。
「もちろんさ」
「五十嵐香月だ」
「へえ。なかなか美人だよな、彼女は」
「まあな」心の中では、すっげえ美人だと絶賛している板垣順平だった。
「まだ付き合っているのか?」
「いいや、もう別れた。オレが振ったんだ」ここは声のトーンが高くならないように慎重に言葉を口にした。悔しさが滲み出ては威厳に傷がつく。
「どうして? もったいないじゃないか、あんなに綺麗な女を」
「いやあ、しつこくて参ったよ。毎日、電話してくるんだ。勉強も手に付かなかったぜ。女って、みんなあんな風なのかな」まったくの嘘で、香月から電話がないと不安で何も手に付かなかったのが事実だった。
「ふうむ」
「まさか五十嵐香月に気があるんじゃないよな?」もし、そうだったらヤバイ。よりを戻したいと願っている自分にとってライバルが一人増えることになる。負けるとは思わないが競争相手は少なければ少ないほどいいに決まっている。
「いいや、興味ない。もっと魅力的な女がいる」
「えっ」聞き捨てならない言葉が耳に届く。「誰だい?」
「……」
「おい、教えろよ。オレだって秘密を打ち明けたんだぜ。その女ってB組にいるのか?」
「うん」
「誰だ? うちのクラスには不思議なくらい綺麗で可愛い女が揃っているのは事実だけどな。わかった、篠原麗子か?」
「違う」
「じゃあ、佐久間渚だ。でも彼女は佐野隼人と交換日記している仲だから--」
「それも違うな」
「奥村真由美だろ?」
「ううん」
「待てよ。まさか、手塚奈々かよ?」あの軽薄な女を選んだとしたら、こりゃ笑える。お前も手塚の長いセクシーな脚に心を奪われた男の一人になるわけだ。
「いいや」
「え、じゃあ誰だよ。目ぼしい女は全て言ったぜ」
「一人、残っている」
「はあ? わからねえな。五十嵐香月、篠原麗子、佐久間渚、奥村真由美、手塚奈々のほかにも誰か魅力的な女がいるって言うのか?」
「そうさ」
「B組だよな?」
「うん」
「さっぱり、わからない。教えろよ」
「いいよ。でも条件が一つある」
「なんだよ」
「その女とオレが仲良くなれるように祈って欲しいんだ」
「祈るって、どう?」
「難しいことじゃない。ただ心から願ってくれたらいいのさ」
「いいけど。そんなんで効果があるのか?」
「ある」
「……」すっげえ、自信あり気じゃねえか。理解できねえな、こいつ。ちょっと不気味な感じ。関わりを持たない方か無難かもしれない。でも、その女の名前は絶対に知りたい。「教えてくれ。願ってやるから」
「本気か?」
「ああ、もちろん」それは嘘。ただ本気で知りたいだけ。
「加納久美子」
「えっ?」
「驚いたのか?」
「あ、当たり前だろう。先生じゃないか。歳が違い過ぎるぜ。無理だよ、そんな……」こいつ、バカじゃないの。その言葉は、あの見事なヘッディング・シュートに免じて口には出さなかった。けど、サッカー部へ誘う気持ちは一瞬にして消えた。付き合っていられねえ、こんな奴とは。
「それがどうした」
「オレ達みたいな子供を加納先生が相手にするもんかよ」
「恋愛に歳は関係ないぜ」
「そうは言っても、それは大人の世界の話だ。無理だ、諦めろ。お前と加納先生では釣り合いが取れなさ過ぎるぜ」
「君がオレを信じて願ってくれたら何とかなるんだ」
「……」バカらしい。なんてこった。キャプテンの佐野隼人は正しかった。オレが間違っていた。こんな奴をサッカー部に入れたら大変なことになりそうだ。試合に勝つために練習しないで祈祷でもしかねないぜ。これ以上もう話すだけ時間の無駄に思えてきた。「あれ?」
数百メートル先に同じ中学の生徒が何人か歩いているは知っていたが、それが全員B組のクラスメイトであることに気づく。
「うちのクラスの連中だよな?」転校生も気づいたらしい。
「ああ、そうだ。でも……、変だな」
B組で不良グループと思われている山岸涼太、相馬太郎と前田良文の三人に意外にも土屋恵子が一緒だった。不思議な組み合わせだった。学校では口を利いてる姿を見たことがない。しかも山岸と前田の家は逆方向のはずだ。こっちが後ろから歩いてくるのに気づいたらしい、連中は周西小学校の隣にある公園の中へと足早に入って行く。
「どうして?」転校生が訊いてくる。
「いや、なんでもない」こんな事、一々説明していられるか。連中のことなんかオレには関係ないし。「用事を思い出した。オレ、急ぐから」そっけない口調だった。もう構うもんか。こいつとは二度と話さないかもしれないし。
「じゃあ、また明日」
「うん」
板垣順平が歩調を速めようとした時だ、転校生が抱えたショルダー・バッグの中にCDケースが入っているのが見えた。それだけなら何でもなかった。だけど、そこに『バイタル・ハザード 3』という文字が書かれていたのだ。『2』は知っているが、まだ『3』は発売されてないはずだった。見過ごせない。「それ、何だよ?」
「え?」
「そのCDケースだよ」
「ああ、これか。『バイタル・ハザード』の新しいやつだよ。試作の最終段階で、試しにプレーしてれって頼まれたんだ」
「……」ええっ、何だって? 耳に届いた言葉が衝撃的すぎて百八十センチの体が硬直。
「ゲームはやるのか?」転校生が訊く。
「え?」
「ゲームは好きなのか?」
作品名:黒いチューリップ 02 作家名:城山晴彦