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⑤冷酷な夕焼けに溶かされて

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裏切り


「え?ルーチェへ?」

カレン王が目を見開いた。

そのキョトンとした表情があどけなく、私の倍以上年上の方に失礼ながら、可愛いと思ってしまう。

「今戻るのは、得策ではありません。」

ほんのり温かくなった心が、リク様の冷ややかな声で一気に冷えた。

「芬允の様子を見ても、確かに何かが起きてるとは思うけど、それなら余計きちんと情報を集めてから動かないと危険だよね。」

カレン王がエメラルドグリーンの瞳をひそめながら、リク様を見る。

「今夜、姉上がが戻ります。
まずは、姉上の諜報結果を聞いてからです。」

リク様の言葉に、カレン王も頷いた。

「そうだね。
いずれにしても、明日挙式したらその報告も兼ねて、理巧がルーチェへ行くことになってるし。
その時にルーチェの状況を確認して、しっかりと計画を立てたほうがいいと思うな。
なんたって、相手はあの覇王だからね。」

ニコニコと人懐こい笑顔からは、まるで緊張感を感じない。

「あの、その結婚についてですが」

「婚姻は、絶対です。」

私の言葉を、リク様が容赦なく遮った。

「ルーチェ王の命に背くことはできません。」

有無を言わせないリク様の言葉に、ルイーズが『やはり。』と呟く。

けれど、私はぐっと拳を握りしめ、自らを奮い立たせた。

「でも、その『命』も『ルーチェ王』が存在してこそでしょう。」

私の言葉に、微かにリク様の無表情が崩れる。

「ミシェル様がいなければ、デューも、おとぎの国も、帝国から…覇王から逃れることができない。
そのミシェル様が危ういのなら、助けに向かわないといけないのではないですか?」

「…。」

カレン王から、笑顔が消えた。

エメラルドグリーンの瞳だけが、リク様をとらえる。
ると、リク様は一瞬だけその瞳を見返し、目を伏せた。

「ふ…ふふ。」

目を伏せたまま、リク様が肩を揺らす。

(笑ってる…。)

けれどその笑い方は決して楽しそうでなく、底冷えのする冷笑だった。

「あなたの勘の鋭さは、素晴らしいですね。」

背筋がぞくりとふるえた時、切れ長の黒い瞳が下から見上げるように私をとらえる。

「そもそも、我らが覇王ごときに負けるとお思いか?」

(…え?)

驚いた次の瞬間、目の前にリク様がいた。

「ニコラっ!」

「デューは既に、我らが手中にある。」

言葉と同時に、首筋にひやりとした金属が当てられる。

「何をする!」

ルイーズがこちらへ駆け寄ろうとしたけれど、次の瞬間、床に崩れ落ちた。

「ルイーズ!」

いつの間にか、彼のそばにはマル様が…。

「…騙したのですか?」

今夜戻ると言われていたマル様が、既にここにいる。

「騙したわけではありません。
予定より、少し早く帰国しただけです。」

可愛らしい顔には似合わない、冷ややかな口調で反論するマル様。

「…なぜ、デューを?」

(やはり、懸念していた通りになってしまった…。)

星一族に乗っ取られてしまうと思いながらも、何もできなかった自らを悔やむ。

「デューは帝国への足掛かりに一番都合がいいので、手に入れました。」

マル様は言いながら、床に臥しているルイーズを抱えあげると、ソファーへそっと寝かせた。

(小柄なマル様が男性の中でも大柄なルイーズを軽々と…!)

「でも、安心して。ヘリオス王は無事だから。」

いつの間にか、カレン王もそばに来ている。

「麻流が帝国で諜報してる間に、奏(かなた)がデューを落としたんだ。
護衛しながら王宮に入り、そのまま王の身柄を抑えたから、国民も領土も何も傷つけていないし、まだ陥落したことに誰も気づいてないよ。」

相変わらずニコニコと笑顔で話すカレン王だけれど、今はその無邪気な様子が逆に恐ろしい。

「兄は…今どこに?」

情けないくらい、訊ねる声がふるえた。

「デューの王宮内に、幽閉しています。
ルーチェから送り込まれた側近たちも全て幽閉し、今は星一族が国政を執り行っています。」

マル様が表情を変えずに、淡々と答える。

「デューは、おとぎの国の属国に?」

「いいえ。先ほど申した通り、帝国への足掛かりに必要だっただけです。
元より、我々は一切他国を侵略しませんので、帝国とのことが解決次第、撤退します。」

「足掛かり…。」

「はい。ご存知の通り、おとぎの国と帝国の間には、デューとルーチェがあります。
千針山(せんはりざん)をまたぎますが、デューは我らが隣国。
天をも突く千針山ですが、デューとの国境沿いのみ、越えることができる標高です。
言い換えれば、デューを手にした者が、千針山の向こう側に触手を伸ばせるということ。
だから、帝国に命じられたルーチェはデューを陥とした。
我らが帝国と対峙するには、まずその足掛かりを奪い、逆にルーチェを陥とす要塞にしなくてはならなかったのです。」

「…ルーチェを、攻めるんですか?」

「攻めるなんて愚かなことはしません。
いつも通り調略し、手に入れるだけです。」

(…本当に、マル様は『忍』なのだわ…。)

「同盟は、破棄するのですか?」

「正式に文書を取り交わす前で、いわゆる口約束の状態でしたので、破棄にはなりません。」

リク様が、抑揚のない声色でさらりと答えた。

「…こうなることは、私でさえ予測できました。」

私は3人の顔を交互に見ながら、唇を噛む。

「なのに、なぜミシェル様は兄の護衛に星一族をつけ、同盟も正式に取り交わさなかったのかしら…。
まるで、デューを星一族に奪わせる為にそうしたとしか思えない…。」

誰に訊ねるともなく呟くと、リク様が小さくため息を吐いた。

「本当に、勘の鋭い方ですね。」

リク様は、私の首に押し当てていた暗器を納める。

「ミシェルが何を考えているのかは、私達にもわかりません。」

言いながら、リク様はマル様と視線を交わした。

「ただ、ひとつ言えることは、ミシェルを失い帝国が支配している今のルーチェの調略は、容易でないということです。」

「…ミシェル様を…失った?」

マル様の不穏な言葉に、心臓がどくんと音を立てる。

「いや~…さすがに溺愛してる息子にあんな残酷なことをするとは…僕らも思ってなかったよね~。」

「!!」

「聞く限りでは…無事ではないでしょうね。」

リク様が低い声で呟くと、マル様が小さく息を吐いた。

「無事だったら、尊敬する。
さすがの私でも、途中でその場を離れるほど…凄惨だったから。」

マル様は、腕組みしながら思い出したのか、眉間に皺を寄せる。

「狂ってますね、あの女は。」

吐き捨てるように言ったリク様に、カレン王が眉を下げた。

「ミシェルもあんな可愛い顔して、結構な武闘派じゃん。
…それなのに、こうも容易く…。
やっぱり芬允を傍から離されたのが、致命的だったのかなぁ。」

残念そうに呟かれたその言葉に、マル様とリク様が苦虫を噛み潰すように頬を歪める。

「何が…起きたのですか?」

ふるえる声で会話に割り込むと、三人が一斉に私を見下ろした。

カタカタと小刻みに震える手をぎゅっと組み合わせた私の前に、リク様が膝をつく。