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⑤冷酷な夕焼けに溶かされて

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理巧の秘密


心はざわつくものの、首と手のひらの怪我で身動きのとれない私は、おとなしく療養するしかなかった。

星一族の薬は質が良く、私の体は想像以上の早さで回復していった。

おとぎの国での日々は、とても穏やかだった。

さすがに世界的な観光地だけあって、どこを切り取っても絵になり、子どもの頃に夢見たおとぎ話の世界そのものだ。

そんな夢物語のような毎日を送っていると、まさかこの国が戦禍に巻き込まれるとは到底考えられず、また、そんなことは絶対避けなければならないとさえ思えてくる。

そして何より恐ろしいのが、ここにいるとデューの危機がまるで別世界の話のように感じ、緊張感が薄れていってしまうことだった。

そんな穏やかな日々をゆったりと送っている間に、気づけば婚儀が明日となっていた。

「ニコラ、ちょっと付き合ってほしいところがあるのだが…。」

私がおとぎの国の騎士の制服に身を包み、髪を結い上げていると、ルイーズが部屋に入ってくる。

「ごめんなさい。今から、星一族の鍛練に参加しようと思ってるの。」

私の言葉に、ルイーズが目を見開いた。

「え?婚儀は明日だぞ。怪我をしたらどうするんだ。」

短く整えられた茶色い髪を、解放された窓から射し込む陽の光が明るく照らす。

「怪我をしないよう、軽めにしておくわ。それに、私はまだ…。」

尻すぼみになりながら答えると、ルイーズが諦めたような表情で椅子に腰かけた。

そして背もたれに肘をつくと、ため息を吐く。

「まぁ…星一族に入り込まれたデューのことを考えると、いてもたってもいられない気持ちになるのはわかるが」

「首のコルセット、外れてから調子はいかがですか。」

突然、背後で低い艶やかな声がし、思わず肩が跳ね上がった。

「!」

まさに今、名前があがっていた相手が現れ、心臓が壊れそうなほど激しく鼓動する。

いつからいたのか…ふり返れば、銀のマスクをつけたリク様が立っていた。

「リク様…。」

一週間ぶりに会うリク様は、相変わらず夜の月のような静かな美しさを纏っているけれど、得体の知れない不気味さも感じる…。

「抜糸後の傷口を診せてください。」

そんな私の思いに気づいているのかいないのか、リク様は淡々とした口調で私の右手を取り、包帯を解いた。

「痛みますか。」

丁寧に傷を診た後、首の怪我も確認する。

(忍って、医術の心得もあるのね。)

一通り診察した後、手のひらの傷に薬を塗り、包帯でなく皮の手袋をはめてくれた。

「首の捻挫は、問題なく快復していますね。
手のひらの傷はふさがっていますが、まだ完全ではありません。しばらくは剣を握る時、これを装着してください。」

言うだけ言って、そのまま去ろうとするリク様。

「あの、リク様!」

思わず呼び止めた私を、リク様がななめにふり返る。

「ミシェル様は、お元気ですか?」

おとぎの国へ来てからも、あの白金髪と夕焼け色の瞳を忘れたことはなかった。

「…明日は、いよいよご結婚ですね。」

リク様の瞳が、ふわりと三日月に細められる。

(リク様が、笑った!?)

唐突な笑顔と言葉に、私の心は激しく動揺した。

「…は?」

混乱する私にダメ押しするように再び切れ長の瞳を細めたリク様は、やわらかな口調で言葉を紡ぐ。

「今夜、姉上が戻ります。明日の結婚式には非公式ですが我々も参列しますので、本日は怪我などされないよう、のんびりとお過ごしください。」

そして、相変わらずこちらの返事を待たずに踵を返し、今度こそ部屋を出て行った。

「…え?」

思いがけない笑顔に動揺している間に、質問とは全く脈絡のない話にすり替えられ、去られてしまったことに気づく。

「ごまかされた?」

ルイーズも呆気にとられた表情で、私を見下ろした。

「うん…明らかに…。」

なぜ、ごまかされたのか…一気に不安がわき起こる。

「しかも、鍛練するなって釘刺されたよね。」

「ああ…明らかに…。」

「ぷっ!ルイーズ…さっきから『明らかに』しか言ってないわよ。」

「!!」

私のからかいに頬を染めたルイーズは、それをごまかすように勢いよく私の肩を抱いた。

「よし!ここでやきもきしてもどうにもならないんだから、とりあえず今日は俺の用事に付き合え!」

日焼けした肌に白い歯を煌めかせて、ルイーズがカラッと笑う。

その豪快な笑顔につられるように、私も満面の笑顔を返した。

そして、私達は肩を並べて部屋を出る。

すると、少し先にリク様の後ろ姿が見えた。

リク様は、装飾がひとつもない小ぶりな黒い刀を2竿背負い、腰には見たことのない武器と思われる物をびっしりとぶら下げている。

歩いても揺れないようベルトで固定されているそれらは、鋭い刃を不気味に光らせていた。

リク様は、歩いていても全く音がしない。

いや、音どころか、空気の流れすら、感じない。

普通の人であれば物音を立てずに歩けても、空気の流れは起こるものだ。

けれど、リク様はそれすら全くわからないのだ。

目の前にいるはずなのに、その存在が幻ではないかと感じるほど気配がない。

彫像のように均整の取れた美しい後ろ姿が、あまりにも浮き世離れしていて、この世のものと思えず、掴み所のない様子になぜか背筋がふるえる。

私たちは取り憑かれたようにその後ろ姿をジッと見つめ、無言で歩いた。

あっという間に城外へ出たリク様は、ゆったりと中庭を横切り、城門をくぐる。

「行き先は…城下町かしら?」

「…それっぽいな。」

馬に乗らず徒歩で行っていることから、目的がそう遠くでないと予想する。

「おや、リク様!」

突然、花屋の男性がリク様に声をかけた。

「この花、持って行ってくださいよ。」

言いながら、色鮮やかなブーケを手渡す。

「いつもすまないな。」

低く艶やかな声でリク様が頭を下げると、男性が恐縮しながら照れ笑いを浮かべた。

「あ!リク様!!」

そこへ、ひとりの子どもが走り寄り、暗器のぶら下がる腰に抱きつく。

ガシャッと重い金属音が響くけれど、そんなこともお構いなしに、その子どもは笑顔でリク様を見上げた。

「サンドリヨン様のりんご、今年もおいしく実ったよ!」

(サンドリヨン様のりんご?)

リク様は幼い男の子を抱き上げると、ぎゅっと抱きしめる。

「そ。」

短く紡がれた言葉に、なぜか胸が締めつけられた。

なぜだか、リク様が涙ぐんでいるように感じたからだ。

リク様は片腕に子どもを抱いたまま、再びゆったりと歩き出す。

私達は、後を尾けるつもりなどなかったのに、ついその背を追ってしまっていた。

「リク様!戻っていらしてたんですね!」

「そうか、今日はサンドリヨン様の命日か…。」

(サンドリヨン様の命日…。)

街の人々はリク様の姿を見ると次々に声を掛け、花や果物、美しいアクセサリーなどを手渡す。

リク様は感謝しながらひとつひとつ丁寧に受け取るけれど、あっという間に持てないほどの量になった。

「お手伝い、しますよ。」

思わず、声を掛けてしまう。

けれどリク様はさして驚きもせず、小さく頷いた。

「ありがとうございます。助かります。」