依塚真紀奈考察余話 隠された守護者
二.精進(しょうじん)
道路から石段を五歩も上がると、もう目の前は淨山寺の山門だ。山門の幅は通っている高校の校門と同じくらいだろうか。真紀奈はそんな感想を抱きながら山門をくぐった。山門の向こうに広がる境内は平日の昼下がりとあってひっそりと静まりかえっている。円城寺の先導で二人は境内の右手にある手水舎(ちょうずや)へと真っ直ぐに進む。円城寺は手水舎に備えてある柄杓で手水石から水を掬うと、作法どおり左右の手と口を雪(すす)ぎ、柄杓に残った水で柄を洗い流す。それに習って同じように清め、少しだけ心地好い気分になった真紀奈は手水石の正面へと目を移すと、そこには三つ葉葵(あおい)の紋が白く彫り込まれてあった。
「円城寺君、これって徳川の?」
直接、真紀奈の質問には答えずに、円城寺は本堂の上を指さした。指の先には、屋根にそびえる鬼瓦に施された三つ葉葵が境内を睥睨(へいげい)している。その鬼瓦から下へ視線を移すと賽銭箱にも、「浄」と「財」の文字に挟まれて三つ葉葵の紋があった。
「お賽銭箱にも葵の紋があるのね。それにその手前の香献って書いてある台に乗った香炉の大きいのにも葵の紋が……」
「読みが逆、献香(けんこう)だよ。香を焚いて献ずるところ。浅草寺にも大きいやつがあるでしょ」
真紀奈はお香の煙を頭や身体に擦り付けている浅草寺名物の光景を思い出す。
(お賽銭箱の「浄財」は左から右なのに「献香」は右から左なんて……、悔しい。浅草寺の煙を頭につけたい)
至る所に葵の紋はあるが、決して華美ではない。むしろ寺としては素朴な部類に入るのではないか。そして、なによりも全体が凜とした静けさに満ちている。
本堂の奥に置かれている賽銭箱とその手前の献香の間に紅白に綯(な)われた太い綱が垂れ下がっている。もちろん上部に設えてある鰐口(わにぐち)からのものだ。
「わ~大きい。この綱を振ってならすのね」
真紀奈がその鰐口を見上げて言った。
「それは鰐口だね。表に説明が書いてあるよ」
円城寺の言葉に促され、真紀奈は本堂の外を見渡す。本堂に向かって左側に「野島浄山寺の大鰐口」と書かれた案内看板が設置されている。
―― 野島浄山寺は、貞観二年(八六〇)慈覚大師の建立にて本尊延命地蔵尊は大師一刀三礼の作と伝えられ安産子育子授の御霊験あらたかであるという。
天台宗に属し慈福寺と号した。その後、徳川家康が越ヶ谷周辺で鷹狩の際、当寺に参拝し寺領三石を賜り曹洞宗改め、野島浄山寺と命じたという。その時の朱印状が世にいう鼻紙朱印状である。安永七年(一七七八)頃より江戸湯島天神神楽殿にて出開帳を催したところ参拝人多く、天明五年(一七八五)同所を出張所と定めた。その間にも関東一円に出開帳し信者は各地に広がっていった。
この大鰐口は天保十二年(一八四一)に奉納されたもので厚さ二尺(六十センチ)、直径六尺(一七六センチ)、重量二〇〇貫(七五〇㎏)という全国でもまれに見る大きさである。 ――
真紀奈はそこに書かれてある、面白みのない硬い文章で教科書のようだとの感想を持ったが、看板に添えられた「平成一六年二月 越谷市教育委員会」という制作者を見て納得した。
右側にも同じような案内看板があり、そちらは「浄山寺の朱印状」と書かれている。
―― 野島浄山寺は、貞観二年(八六〇)慈覚大師の建立、本尊延命地蔵尊は大師一刀三礼の作と伝えられる。もと天台宗に属し慈福寺と号したがのち曹洞宗に転じ寺号も浄山寺と改められた。
天正一九年(一五九一)徳川家康が当寺に詣でた折、寺領として三〇〇石を寄進したが、時の住職はこの寄進を過分であると辞退、それで家康は懐紙をとりだし高三石と記して住職に与えた。このため家康の朱印状を「鼻紙朱印状」と呼んだと伝える。なお、当寺には二代秀忠を除き、代々の朱印状が保存されている。 ――
「野島浄山寺の大鰐口」と同様にこちらも越谷市教育委員会作である。
真紀奈は、教科書を暗記する要領で素早く頭の中でポイントをまとめた。
・貞観二年(八六〇)慈覚大師の建立
・本尊の延命地蔵は慈覚大師の一刀三礼の作
・家康の命により天台宗から曹洞宗へと改める
・同時に寺号も慈福寺から淨山寺へと改める
・家康からの三〇〇石の寄進を辞退したため、家康は懐紙に三石と記した俗にいう「鼻紙朱印状」を与えた
・徳川十五代の将軍のうち二代秀忠を除いて代々の朱印状が保存されている
「慈覚大師」「一刀三礼」など、真紀奈が初めて目にした言葉は後で調べることにして、まずは円城寺に訊ねたいことを優先した。
「こんなにも徳川に縁があるから三つ葉葵をもらえたってこと?」
「普通はもらえないよね。それにこの淨山寺は寺紋そのものが三つ葉葵なんだ」
「それってどういうこと?」
「徳川家の菩提寺とか徳川創建の寺とか、それ以外にはあり得ないんだよね」
「えっ!? でもそんなことはどこにも書いてなかったわよ」
「そうなんだ。不思議だよね。調べてみる価値があると思わないかい?」
「ちょっと、円城寺君は知っているんでしょ」
「うん、なんとなくだけど想像はつくよ」
「だったら教えてよ」
「依塚さんが自分で調べた方が面白いと思うんだ。明日までの宿題にして良いかな?」
「明日までって、円城寺君は明日も来るつもり?」
ふたりが話していると本堂の奥から和服姿の婦人が現れた。
「すみません。声が大きかったですね」
真紀奈が素直に詫びると、婦人は首を横に振りながら応えた。
「いえ、そんなことはありませんよ。でもご開帳は先月に終わってしまいまして、次は8月の24日なんです」
「慈覚大師による一刀三礼の延命地蔵ですよね」
真紀奈はさっそく覚えたての知識を披露した。
「よくご存じですね」
婦人は微笑みながら返す。
「こちらは本当に徳川家とご縁のあるお寺なんですね」
円城寺から出された宿題の答えを探ろうと真紀奈は話を振った。
「戦前までは三つ葉葵のお駕籠(かご)があったんです。それに乗って江戸城に行くと、御三家と同じ待遇になりまして、江戸城の一番奥にまで乗りつけることができたそうです。そのお駕籠をですね、村芝居の一座の人に差し上げてしまわれたんです」
「え~、もったいない」
婦人の説明に真紀奈は至極当たり前な感想を述べた。
「当時のご住職は無頓着だったようです。そして、こちらが家康公直筆のご朱印状になります」
婦人は右手のガラスケースを指した。現代のティッシュよりははるかに高価であろう往事の懐紙に、墨痕鮮やかに書かれてある。しかし、あまりな崩し字のために真紀奈に読めたのは「参石」「淨山寺」「天正一九年」のわずか3カ所だけだった。
「420年以上前なのにきれいに残っているんですね」
「内容はこちらのパンフレットに書かれております。簡単ですが縁起(えんぎ)も載っておりますので、どうぞごゆっくり」
婦人は朱印状の入ったガラスケースの横に積まれているパンフレットを1枚取り上げると、真紀奈に手渡してから本堂の奥へと立ち去った。
「円城寺君も読む?」
再びふたりになった本堂で真紀奈は円城寺に話しかけた。
「いや、僕はいいよ」
「そうよね、円城寺君なら知ってそうなことだもんね」
作品名:依塚真紀奈考察余話 隠された守護者 作家名:立花 詢