短編集46(過去作品)
「将棋の駒で、一番隙のない状態は、最初に並べた状態である」
という、トンチンカンな話を思い出したが、トンチンカンな話を思い出せるのも波に揺られた精神状態だからであろうか。
大きな波がいくつか押し寄せ、最後の波に向って自分の欲望が放たれると、そのまま一気に脱力感に襲われた。ここからは自分が主導権を握っている時と変わりはない。仰向けになって天井の模様を眺めながら、掴めない距離感を必死に掴もうとしていた。
本当に夢のような話である。こんなにとんとん拍子な「おいしい話」があっていいものだろうか。急に達男は気持ち悪くなってくる。
脱力感に襲われていた二人のうち、彼女の方が先に口を開いた。波に身を委ねている間、暗い部屋にも関わらず相手の顔や動きが手に取るように分かったこともあって、暗さを感じなかったが、訪れた脱力感の中では、最初こそ天井が見えていたが、襲ってくるのは暗闇の中での湿った空気だった。
「欲望ってね。コンプレックスから来るものらしいのよ」
何が言いたいのか分からなかった。だが、天井を見ながら考えてみると、自分が主導権を握っている時に感じる違和感はコンプレックスによるものだとすると、それなりに説明もつきそうだ。
「何のコンプレックスなんだろうね」
「きっと、男は男にはないものを、そして女には女にないものを求めていることがコンプレックスなのかもね」
それこそ究極のコンプレックスだろう。だが、そのことを誰も感じずに快感の波にすべてを委ねてしまうのも人間らしいというものだと達男は考えていた。コンプレックスを如何わしいもののように感じてしまうのも人間で、淫靡なものをあまり見せないようにするのも、そのコンプレックスによるものではないだろうか。
今日、達男はまるで夢のような出来事を体験した。違和感がないわけではないが、今までに何人もの女性をものにしてきたという自負が自分なりにあった。
「流れが大切なんだよね」
きっと、今までの女性との感情よりも、その時の雰囲気が流れだったことを強調したいに違いない。
中には女性を待ち伏せしていたような時もあった。相手の気持ちを利用したとでもいうべきだろうか。それでも達男にしてみれば、
「相手だって欲していたことだ」
という。言い訳かも知れないが、表向きは何の問題もない。
――サッカーだって、得点が入らなくても、最後はシュートで終わればいい攻撃だったと評価されるではないか――
と考えている。
だが、それも言い訳の一つであるのは否めない。
サッカーにはもう一つ大きな定義がある。紳士のスポーツであるということ。
「待ち伏せはいけない。オフサイドで引っかかってしまうわ」
彼女は一言呟いたが、それが何を意味することなのか、しばらくして彼女は眠ってしまったが、何かが引っかかって達男は眠れないでいた。
そしてしばらくすると真っ暗な中で再度慣れてきた目で天井を眺めていたが、しばし幻を見てしまったのだろうか、
「ピーッ」
と、どこからともなくホイッスルの音、見つめている天井に向って、さっと掲げられた手の先に黄色い紙が見えるのだった……。
( 完 )
作品名:短編集46(過去作品) 作家名:森本晃次