堕とされしものたち 機械仕掛けの神
翼を広げた〈アルファ〉から、黄金の槍が、地獄の業火が地面に降り注ぎ、死が地上を覆う。
〈アルファ〉の視線にジェット戦闘機が入った。
《無力なものよ》
ジョット機から発さされたミサイルが〈アルファ〉に直撃する。しかし、傷一つ付かず、少し機体が黒ずんだだけであった。
大きく広げられた黄金の翼から、ミサイルのように羽が飛び、ジェット機は空中爆発を起こして散った。ジェット機程度で〈アルファ〉を破壊することは不可能であった。
ジョット機は次々と破壊されていき、やがて残った数機のジョット機は逃げるようにして旋回して行った。
〈アルファ〉の瞳が再び鴉を掴んでいる手に戻された時、すでにそこには鴉の姿はなかった。下半身の再生を終えた鴉は〈アルファ〉の機体を飛び交い、上を目指した。
鴉はどこからか〈アルファ〉の中に入れないかと考え、見つけたのが巨大に開けた口であった。
口に並び尖った牙の一つに手を掛け、鴉は闇の中へと飛び込んだ。
〈アルファ〉の中はまさに体内と言えた。その部屋は壁も床も天井も、脂肪のようなもので囲まれており、脈打ち動いている。
肉の壁とも言えるその中に、上半身だけを出して誰かが埋もれている。それはファリスだった。
ファリスの意識はないようで、深く項垂れている。〈Mの巫女〉となったファリスはまだ生きていた。
鴉がファリスに近づこうとすると、彼の背後で複数の気配がした。どれもこれも冥府の風を纏う気配。それも複数でありながら単体だった。
後ろを振り向いた鴉の目に飛び込んできたものは、何人もに増幅したゾルテであった。ゾルテが地面から生えているという表現が適切だろう。
「余の邪魔をする気か、鴉よ?」
「そういうことになるだろう」
「ならば相手をせねばならぬか」
鴉を取り囲んだゾルテたちがいっせいに襲い掛かって来る。左右前後から襲い掛かって来る敵を、鴉は身体を回転させて黒衣を大鎌のように振るった。
斬り裂かれるゾルテたち。肉片となったゾルテは床に吸収される。鴉が危険を察知した時はすでに遅かった。全てがゾルテなのだ。
突然、鴉の脚が掴まれた。下を見ると地面から伸びた手が鴉を捕らえている。
「この程度か鴉という男は!」
「……まだだ」
無理やり脚を振り上げてゾルテの手から開放された鴉は走った。
鴉を追うように地面から次々と手が伸びる。壁からも天井からも手が伸びる。鴉は黒衣と爪を使って切り裂いていくが切がない。
部屋を覆う肉が芋虫のように動き出し一部に集約していく。やがてそれはひとりのゾルテをつくり出し、その腕にはファリスが抱かれていた。
「あのままではどちらも切がない。余が直々に相手をしよう」
そこは綺麗な花畑の真ん中であった。空に広がる青い空、白い雲、詠う風の音色。
鴉は辺りを見回してゾルテに問うた。
「どこだここは?」
「余の精神世界だ。貴公は〈アルファ〉の体内に入ったその時に余の精神界に迷い込んだのだ」
「精神が死ねば魂も死ぬ」
「そうだ、もし貴公がここで死ねば、現実世界に残して来た肉体は死ぬ。余も然りだ」
「お前の精神は穏やかなのだな」
この世界のことを言っている。美しい花々が咲き誇るこの場所に戦いは不釣合いだった。
真剣な顔をしている鴉を見てゾルテが微笑う。
「これが余の望む世界だ」
「では、なぜ地上を支配する? なぜ血を流すのだ?」
「天に愛想が尽きた」
「それだけか?」
「それだけだ」
天人[ソエル]には寿命がない。永遠に続く時間を持ち合わせているにも関わらず、楽園[アクエ]での日々は変化のない生活だった。何をするのにも十分な時間があるに関わらず、変化を恐れて暮らしている。
ゾルテは深く息を吐いた。
「地上[ノース]は面白い。常に変化し続けている。地人[ノエル]は限られた時間の中で生きるからこそ、変化の速さも天人[ソエル]に比べて早いのだろう。しかし余は平穏が、楽園[アクエ]が恋しくも感じる」
「だから、この世界か……」
不変の長閑な風景。そして、ゾルテの表情は戦いを忘れさせるほど安らかだった。
「余は天に愛想が尽きたと言いながら、天に思いを馳せている。可笑しな話だが、地上[ノース]になぜ堕ちたのか、余にもわからん。本当は楽園[アクエ]で永遠に過ごすはずだった」
「それなのに堕ちたか、確かに可笑しな話だ」
「誰かに呼ばれたような気がした……かもしれない。もう、過ぎたことだ。一度堕ちてしまえば楽園[アクエ]には還れぬ」
ゾルテは地上[ノース]を支配するために堕ちた。しかし、本当にそんなことがしたかったのか、ゾルテにはわからなかった。
揺れ動くゾルテの心に鴉が言葉を突き付けた。
「地上[ノース]で静かに暮らすことはできないのか?」
「できぬな。地上[ノース]を支配する気はまだ残っている」
「それはお前の意思か?」
「さあな。しかし、余には他にすることがない」
「そうか」
二人はその場に立ち尽くした。沈黙の中で時間だけが過ぎ去っていく。
地上[ノース]に堕ちて間もないゾルテは、この時間を早く感じた。
地上[ノース]に堕ちて多くのものを見てきた鴉は、この時間を永く感じた。
強い風が吹き、花びらが空に舞い上がった時、ゾルテの方が口を開いた。
「はじめよう」
鴉は何も言わなかった。答えなくとも時間は流れる。
戦いははじまった。
漆黒の翼を大きく広げたゾルテが掌に魔導を溜めた。
「受けてみよ鴉!」
放たれた光の弾が地面を抉りながら鴉に向かって飛ぶ。
鴉は避けようとせず、地面を踏みつける足に力を入れた。
――当たる。
光弾の前に黒い壁が立ちはだかる。それは鴉の黒衣だ。
黒衣によって弾かれた光弾が空に向かって輝く尾を引いた。
ゾルテは嬉しそうな顔をしていた。
「輝く翼がなくとも、貴公はその闇で戦うか」
「そうだ、この闇とともに生きる」
「しかし、今の貴公では余に勝つことはできん。十分な聖水[エイース]を摂っていない貴公は勝てない」
「いつかは必ず終わりが来る」
「何のだ?」
鴉は答えずゾルテに向かって走り出した。
黒衣が大きく風に揺られ、鴉は抉られた地面の上をゾルテに向かって一直線に突き進んだ。
「私もお前も、全てのものにだ!」
大きく振るった鴉の爪が〈ソード〉と化したゾルテの腕に受け止められた。すぐさまもう片方の手を爪と化し、鴉はゾルテに爪を向ける。しかし、それは二本目の〈ソード〉に受け止められた。
ゾルテの蹴りが鴉の腹に入る。一歩下がった鴉を二本の〈ソード〉が串刺しにしようとする。鴉はそれを華麗に躱して、回し蹴りを放った。
鴉の足が突如空[クウ]で喪失した。脚から鮮血が噴出すが鴉は構わず、片足で飛び上がり、その脚でゾルテの顔面に蹴りを喰らわした。
地面に着地した鴉の脚はすでに二本ある。しかし、この再生は鴉に極度の疲労を与えた。血が足りない。
鴉は地面に片手を付いたゾルテの胸に、下から抉るように爪を突き刺した。ゾルテは笑った。
「そこにはない!」
自分の身体に突き刺さっている腕を引き抜き、ゾルテはそのまま鴉の身体を遠く後方に投げ飛ばした。
宙で回転し体制を整えながら鴉は地面に乱れなく着地した。
作品名:堕とされしものたち 機械仕掛けの神 作家名:秋月あきら(秋月瑛)