堕とされしものたち 機械仕掛けの神
こんな場所で魔導銃を撃ち放ったら、どんなことになるかファリスにもわかっていた。それでも彼女は銃の引き金を引いた。
紅蓮の炎に包まれたグリフォンが叫び、思わず開いた口からファリスが落ちる。
銃を放った際にファリスも軽い火傷を負った。近距離で銃を放って軽症で済んだのは炎が意思を持っているに他ならない。しかし、軽症で済んだと言っても、このまま地面に落ちれば意味がない。そこに待っているのは死だ。
敵の手に落ちるなら、いっそ自分から死んでやる。ファリスはそう思いながら目を閉じた。自分はよくやったと思う。ハイデガーを倒したのだから、これで死んだ兄も少しは報われるだろう。
ファリスは地面に向かって落ちる中、ビルの屋上から黒い影が空に向かって飛んだ。そう、それは鴉であった。
黒衣を大きく広げ、鴉はファリスの身体を受け止めた。
ファリスが目を開けると、そこには自分を見つめる黒瞳があった。とても愁いを帯びた瞳。
血のように紅い唇が言葉を発する。
「衝撃に備えろ」
同じような状況で、同じようなことを言われたことをファリスは思い出した。自分を助けてくれる人がいるうちは死ねない。
黒衣が風に煽られ、地面に落ちる速度を緩めてくれるが、それでも地面に落ちた時の衝撃は激しい。アスファルトが砕け、隕石でも落ちて来たのかと思うほどの穴が空く。それでいて鴉もファリスも無事だった。
地面にファリスを下ろした鴉は無言で歩き出す。
「待ってよ、どこに行くの?」
「静かに暮らせる場所を探す」
ファリスは返す言葉を喉に詰まらせてしまった。鴉には自ら敵と戦う意思がないのだとファリスは思ったのだ。それはファリスにとってまさかの発言だった。鴉は敵を倒しに行くものだとばかり思っていた。
「ねえ、あたしはどうなるの?」
「好きにするといい」
「それって鴉に着いて行ってもいいってこと?」
「好きにするといい」
「何その返事! じゃあ、さっきはどうしてあたしのこと助けてくれたの?」
鴉は答えなかった。
命の恩人にファリスは腹を立ててしまった。決して憎いわけではなく、自分でも何に対して怒っているのかわからない。
「ハイデガーをこの手で殺してやったの」
遠くを見つめながら歩く鴉の横で、ファリスが顔を上げながら話しかけるが、鴉は顔を向けようともせず無表情なままだった。
「ねえ、聴いてるの?」
「…………」
何も答えない鴉にファリスは一方的に話しかけることにした。
「ハイデガーは死んだのに、あたしはまだ誰かに狙われてるの。さっきの怪物もそう。あとね、ハイデガーがあたしのことを第三の種族だとか言ってたの、だから狙われてるんだって。第三の種族って何のことだか知ってる?」
「天人[ソエル]でもなく、地人[ノエル]でもない、新人類[ニュエル]と呼ばれる者だ」
やっと口を開いた鴉にファリスは質問をした。
「ソエルとかノエルとかニュエルって何? どこの言葉なの?」
「天人[ソエル]とは私たちの種族を言い、地人[ノエル]とはファリスたちの種族を言う。新人類[ニュエル]とは天人[ソエル]と地人[ノエル]の力を持つ者。しかしながら、それはエスと呼ばれる怪物とは違う。エスとは天人[ソエル]によって怪物に変えられた地人[ノエル]のことを言う。天人[ソエル]が怪物と化すことをエンシュという。エスとはエンシュから派生した言葉だ。そして、新人類[ニュエル]の存在は伝説でしかないと云われている。天人[ソエル]は新人類[ニュエル]を認めたくないのだ」
「全然わかんないよーっ」
「知る必要もない」
その声はいつもの鴉の声であったが、ファリスにはとても冷たく聴こえた。
昏い黒衣が揺れている。鴉はすでにファリスの先を歩いていた。このままでは置いて行かれてしまう――心が。
ファリスは鴉の横に付くと、嬉しそうに顔を上げた。
「やっぱり生きてたんだね」
今更の言葉だった。だが、そこにファリスの想いは詰められた。鴉に通じたかはわからないが、ファリスは満足した。
街中はいつもと変わらない。先ほど空から鴉とファリスが降って来たことなど忘れられている。刻々と変化を続ける街。
雲の流れも速くなっている。
急に足を止めた鴉は天を見上げてファリスを抱き寄せた。ファリスは顔を紅く染めたが、次の瞬間には驚きに変わっていた。
誰かが叫んだ。黒衣が触手のように天に伸びる。そして、再び悲鳴が上がる。甲高い悲鳴はグリフォンのものだった。
黒衣が元の形に戻り、串刺しにされていたグリフォンが地に落ちる。
地面で口をパクパクとさせるグリフォンを一瞥しながら鴉は言う。
「元凶を断たぬ限り、狙われ続けるだろう」
「だったら、やっつけちゃってよ」
「堕天者[ラエル]とて、共に楽園[アクエ]で――」
言葉を途中で切った鴉の表情が険しくなった。視線は遠くを眺めている。それも地に底だ。
地面が揺れる。地面を揺らしながら何かかが地上に上がって来る。
「来るぞ!」
鴉が言ったと同時に激しい揺れが起こり、遥か遠くで地面が弾け飛んだ。
地の底から黒い影が天に昇った。
曇天の下で輝く翼を持つそれは、まさに天から光臨されたし天使のようである。しかし、この天使は地の底から這い出て来た。天使の名よりも堕天使の名が相応しい。
天に向かって吼えた〈アルファ〉は翼を大きく広げた。巻き起こる風は叫び声のような音を立て、抜け落ち風に煽られた黄金の羽が刃と化して地に降り注ぐ。
〈アルファ〉の発する魔気に誘われ、天[ソラ]に雷鳴が轟き巡る。
人々は精神[ココロ]の底から震え上がり、次元の違う存在から逃げようとする。車の玉突き事故で道路が炎上し、倒れた人の上を踏みつけて我先に逃げるような状況だった。
鴉はファリスの瞳を見据えた。
「どこにいても危険だ。しかし、私と来ればどこよりも危険になる。それでも私と来るか?」
「あのバカデカイロボット倒しに行くんでしょ。あたしが行くと邪魔になるよね。だいじょぶだって、あたしだって自分の身ぐらい守れるよ」
そう言ってファリスは腰から魔導銃を抜いて見せた。
「――行って来る」
走り出した鴉の背中にファリスは声を投げかけた。
「帰って?来る?だよね!」
その声が鴉に届いたかはわからない。待つしか他にないのだから、ファリスは待つしかない。自分が付いて行っても邪魔になることぐらいわかっている。それでも……。
ファリスは鴉の向かった方向に走り出してしまっていた。
近場にいたキメラどもを倒し終えた夏凛とフィンフは、リムジンの激走して行った方向へと走った。
フィンフの移動速度は異常なほど早かったが、夏凛は難なく付いて行く。そんな夏凛にフィンフは感嘆の声を漏らした。
「普通の人間がわたくしのスピードについて来られるとは。これでもヴァーツの中では最も移動速度が速いのですが」
「じゃあ、驚きついでに今度お食事でもぉ」
「全然ついでではないようですが?」
「じゃあ、フィンフさんを抜かしたらお食事を?」
「ならば、わたくしも?本気?で走らせて頂きますが?」
「いや、辞退させていただきます」
作品名:堕とされしものたち 機械仕掛けの神 作家名:秋月あきら(秋月瑛)