堕とされしものたち 機械仕掛けの神
苛立ちを覚える千歳に近づいてはいけないという暗黙のルールがある。それを知っていながら、男が駆け寄って来た。それほどまでの事情があるということだ。
「千歳様、ハイデガー様が消滅したと連絡が入りました」
「ハイデガーが!?」
驚きはした。天人[ソエル]には死という概念が抜け落ちているところがある。そのため、他者[ソエル]の死に対して実感がわかない。だが、ハイデガーの消滅を実感した千歳は妖艶とした笑みを浮かべた。
例え力のある堕天者[ラエル]とて、自分に牙を向ける可能性がある者は必要ない。千歳の目の前には凄然と立つ〈アルファ〉がいる。千歳にはこの守護神がついている。この神に魂さえ宿れば、全ては千歳の手の内に治まる。
巨大な神を見上げる千歳の横顔に男が話し掛ける。
「ハイデガー様の部隊は殲滅させられ、〈Mの巫女〉の所在は掴めていません」
「それで、ハイデガーを殺ったのは誰なの?」
「〈Mの巫女〉と行動を共にしているらしいトラブルシューターの夏凛という人物か、もしくはハイデガー様の向かわれた館の主である魔導師か……詳しいことはわかっていません」
「それにしても地人[ノエル]に殺られてしまうなんて、ハイデガーも悔しかったでしょうね。命令よ、〈Mの巫女〉を早急に探しなさい」
艶かしい笑みを浮かべる千歳を見て男はぞっとした。〈Mの巫女〉を探さなければ命が幾つあっても足りない。
男が去ってすぐに別の男が現われた。その男の顔を見た千歳は驚きの表情を隠せなかった。
「まさか……なぜ、どうやって〈裁きの門〉から出て来たの……?」
「余の主と名乗る者に連れ出された」
そこに立っていたのはゾルテであった。それが千歳には信じられない。夢か幻としか思えないのだ。
「ありえないわ、そんなことができる者がいるはずがない」
「だが、余はここに存在する。余は〈裁きの門〉から出たのだ」
「いいわ、そう、別に構わない。あなたが戻って来てくれればM計画は遂行できる。〈アルファ〉の整備は整っているわ、あなたの核を捧げれば、〈アルファ〉は起動できる」
「〈Mの巫女〉はどうなっている?」
「心配ないわ、すでに〈アルファ〉に制御装置として組み込まれたわ。さあ、あなたの核を〈アルファ〉に捧げて」
千歳は待てなかった。だから堂々と嘘をついた。その嘘をゾルテは見破ることができなった。堕天者[ラエル]の成り切れていないゾルテは疑うということを忘れていたのだ。
「よかろう、余の核を受け取るがよい」
鋭い爪を自分の胸に衝き立てたゾルテは、そのまま一思いに自分の核を取り出した。
表面は濃い紅色をしており、内側から発せられるダークレッドから明るいローズのモザイクの濃淡が心を奪う。この核を宝石に例えるならば、類稀なる美しさを持つルビーであるピジョンブラッドに似ている。
鮮血の滴り落ちる核は天に掲げられ、ゾルテの手を離れて空にゆっくりと上がっていく。
まだ、魂の宿っていない〈アルファ〉の瞳が、ゾルテの核と反応して緋色に妖しく輝く。
低い重低音が格納庫に響き渡った。それは〈アルファ〉の咆哮であった。口を大きく開けた〈アルファ〉が叫んでいる。
核が炎を発し、巨大な闇の中に放り込まれた。核を呑み込んだ〈アルファ〉に魂が宿る。
〈アルファ〉の全身に浮き出ている血管のような模様が、蒼白い輝きから真紅に変わり、脈動感が溢れんばかりに生命根源の力が奮い起こされる。
重低音が空気を震え上がらせ、千歳の身体をゾクゾクと痺れさせた。
恍惚の表情を浮かべる千歳。目の前には千歳を地上[ノース]の覇者へと導く魔神が聳え立つ。
全ては自分の中にあると千歳は確信した。だが――。
壁が叩き壊され、地面に穴が空き、魔神〈アルファ〉の咆哮が響き渡る。それは暴走だった。制御装置となる〈Mの巫女〉を生贄として捧げなかった千歳の誤算。全てはわかりきっていた結果だった。
暴走を起こすことなど千歳にもわかっていた。それでもどうにかなると思い込んでいたのだ。愚かな妄想を現実だと思い込んだ末路。
けたたましいサイレンが鳴り響き、赤いランプが点滅を繰り返す。技術者や研究者たちが逃げる中、千歳は魔神を見上げていた。
「わたしの命令を聴きなさい! おまえはわたしを地上[ノース]の覇者とする道具なのよ!」
千歳の声は木霊するだけだった。
なぜ自分の言うことを聴かない。千歳は納得がいかず、怒りが腹の底から湧き上がってくる。
「わたしが支配者よ、わたしがおまえの創造主なのよ!」
やはり、〈アルファ〉は言うことを聴かない。
巨大な足が横に振られ、そこにたまたま立っていた千歳の身体を大きく飛ばす。骨が折れて肉を突き破り、全身血だらけになりながらも千歳は喚いた。
「わたしの言うことを聴かないものに用はないわ、おまえは塵よ、鉄屑よ!」
千歳の眼が大きく見開かれた。巨大な影が千歳の頭上に迫っていた。
骨が砕け、軟らかいモノが潰れた音がした。
上げられた〈アルファ〉足の裏は真っ赤な色で染まっていた。
〈アルファ〉に呑まれたゾルテの意思はない。では、〈アルファ〉には意思があるのか?
巨大な腕を振り回し暴れまわる〈アルファ〉は、やがて天に向かって吼え、背中に鋼色の翼を生やした。翼に魔導力が集まり黄金に輝き出す。
天井には地上へと続く道がある。
模造の神が天に向かって飛び立つ。
大きく羽ばたかれた金属の翼から、本物の翼のように羽根が抜け落ち舞う。
強風に煽られ千歳が顔を覆った。次の瞬間、魔神〈アルファ〉が飛んだ。壁にぶち当たりながら、ぎこちなく地上に向かって行く。
天井には光が見えない。地上に通じる昇降口は閉められたままだった。それでも〈アルファ〉は地上に向かって突き進んだ。
強烈な音を立てながら鋼鉄の扉が破壊された。
爆発が巻き起こり、地の底から唸り声がした次の瞬間、道路を破壊し、ビルを倒壊させ、巨大な影が街中に姿を現した。
空に浮かび、地上を統べる者の風格を持つ〈アルファ〉が激しく吼えた。
新たな神が今、人間たちの前に姿を現した瞬間だった。
グリフォンに連れ去られたファリスは泣き叫んでいた。恐怖よりも悔しいという気持ちの方が強い。
憎むべき相手だったハイデガーを自分の手で殺し、ヴァーツの保護により夢殿に向かうはずだった。あと一歩というところだったのに、敵に攫われたことが悔しかった。そして、自分の戦いがまだ終わってないことも実感した。
ビルの合間を縫うように飛ぶグリフォンはどこに行くのか――などということは今のファリスには、どうでもいいことだった。今は逃げたい一心で身体を動かす。だが、両腕は嘴によって挟まれ、動かせるのは宙に浮いた足のみだった。これではいくら暴れてもどうにもならない。
大声を出しても誰も助けに来てはくれない。声を出すのが虚しくなってくる。それでもファリスは諦めたくない。何も打つ手がなくても、何もできない自分が嫌だった。
強引に腕を動かしていると右腕が偶然にも抜けた。ファリスは迷うことなく腰のフォルスターから銃を抜いた。
作品名:堕とされしものたち 機械仕掛けの神 作家名:秋月あきら(秋月瑛)