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佐野槌 -張りの半籬交-

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五、男



 押し入れから錦絵を幾枚か探してきたから見ておくれよ。
 これが黛の突き出し道中の錦絵だよ。
 面白いだろう。頭に振り袖新造が四人、次に二人の番頭新造、そして転びそうになってるのが姉女郎の『美華野』だろ、その後ろが呼び出し披露の『黛』だ。殿は禿廻しと禿で、その周りで若い衆が囃し立ててるんだ。普通の花魁道中に履く三枚歯の高下駄じゃなくて、突き出し道中の高下駄は二枚歯なんだよ。その辺りも面白いだろ。だから『美華野』は転びそうになってるんだ。おまけといっちゃ悪いがあの人も地味な着物姿で描かれているだろ? ほら! ここだよ。今と違ってまだ若いだろ。おまいさんそんなに笑っちゃ失礼だろ。この突き出し道中の錦絵は珍しいから大層売れたみたいだね。

 それで、これが久次郞さんに黛が金を無心している図だよ。
 奥山の生き人形から錦絵にしたものだよ。何人かの絵師が描いていたけど、内に残ったのはこの一枚だけだね。髪を結ってもらっている黛の乳房が見えて艶っぽいだろう。照れてないでもっと良く見てごらんよ。生き人形は随分評判を呼んだよ。久次郞さんはもっと様子が好い人なんだがご愛敬だね。

 最後がこれだ。
 明治の火事で佐野槌が江戸町の一丁目に五階建ての高い妓楼を建てたときの絵だよ。仲で一番の高さだったよ。ここに登るためにわざわざ来てくれる人も居たな。ありがたいことだね。この時は京町二丁目にあった金子屋さんが火事で見世をたたむんで、お女郎たちを内が引き受けたんだよ。内には芸者はいなかったんだけど、金子屋さんは芸者がいたから、それも内で引き受けたよ。芸者は全部で四人だったね。一人芸者は御法度だから御座敷には必ず二人で上がるから四人なんだよ。それから、吉原の惣名主だった玉屋さんも見世をたたじまうんで、そのあとへ内が建てたんだ。明治の世になって、あの火事で吉原のいろんなものが変わっちまったね。玉屋さんが出してた細見はそれまでは大籬や半籬っていってたんだが、この明治の四年からは大見世や中見世って呼び方に変わったんだ。もちろん小見世や小格子もちゃんと載ってたよ。でも、それも次の明治五年までだ。

 明治五年はあの事件だ。マリアルス号事件だよ。あんたは学があるから分かるんだろうけど……、あたしは難しいことは分からないが、あれで吉原の良いところも悪いところもすっかり無くなっちまったね。お上のひと言でお女郎の証文が巻かれちまったんだから、仲は大騒ぎだったよ。玉屋さんも嫌気が差して、見世はおろか細見を出すのも辞めちまうし、すっかり変わっちまったよ。大見世や中見世って呼び方も上等貸座敷と中等貸座敷に変わるし、味気ないもんになっちまってね。内もお女郎が六十人いたのが、十四人に減ったんだよ。見世がイヤになっちまったっていうよりはさ、もう世の中がイヤになっちまったお女郎衆が多くてね。前の年に大きく建てたのにこの様だよ。座敷が余っちまって、しかたがないから廻しを取ったよ。廻しは分かるかい? そうだよ、お女郎が一晩に何人もお客をとることだよ。だから、嫌な病気も流行ってね。明治の四年はお女郎が吉原全部で三千五百人いたんだが、明治六年には五百人だよ。これで吉原二百五十年の歴史が終わっちまうと、誰しもが思ったね。それでもあたしらは頑張ったんだよ。見世も貸座敷に相応しいように建て替えてね。貸座敷ってのはお女郎に座敷を貸すんだよ。そしてお女郎は揚代金から見世に座敷代を払うんだ。だから、廻しを取るのもお女郎次第なんだ。何とも味気ないことになっちまってね。それで、内は明治七年に建て替えたんだが、その時に検黴に見世を貸したんだよ。検黴は分かるかい? 瘡毒の検査だよ。今の言葉で梅毒検査っていうのかい? そういえばあんたはお医者だったね。
 ところがその梅毒検査にお女郎が何のかんのと言い訳をして来ないんだよ。成績甚だ不良なり、なんてその頃の新聞にも書かれたよ。吉原を少しでも良くしようとして頑張ったんだけど、上手くいかないもんだね。
 そして、次の年に佐野槌名物の行平鍋で止めを刺されたよ。

 こっから先はあたし独りで話すのはつらいからあの人も呼んでくるよ。いいだろ? あんた優しいね。