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第八章 交響曲の旋律と

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 ハオリュウは父親を失ったあと、たぶん泣いていない。一生残る自分の怪我にも、おそらく嘆いていない。ただひたすら、この先にすべきことを見据えている。
 貴族(シャトーア)という恵まれた地位に生まれながら、ハオリュウは理不尽に奪われたもののために戦っている。それは、腐った社会を狩ろうとするシュアンと、なんら変わることはない。闇の部分が重なって見える……。
「……具体的にどうする気だよ?」
「さて、どうしましょうか?」
 それ以上のことは、言うつもりがないのだろう。ハオリュウは、軽く首をかしげて無邪気に笑った。だからシュアンは、自分から尋ねる。
「また今回みたいに、無謀にも自分で突っ込んでいく……わけはないよな? 足の利(き)かないあんたは、鷹刀を頼る。イーレオさんは人がいいし、あんたの父親のことに関しては、負い目も感じているだろうからな」
「そうですね」
 ハオリュウは曖昧な言葉だけで口を止めるが、それしか方法はないはずだ。
 そして、この依頼が耳に入ったとき、ミンウェイが喜々として名乗りを上げるだろう。ハオリュウに対して何もしてやれなかったと、自分を責めていた彼女ならば、きっと。
 けれど、彼女はもう暗殺者ではない。彼女が関わることを、シュアンは認めない。許さない。
 そして何より、この孤独な闇に気づかなかったふりをしてはいけないと、シュアンの魂が告げる。
「……俺は、あんたに銃を貸したことを後悔しちゃいないが、失敗だったと思っている」
 唐突に話題を変えたシュアンに対し、ハオリュウは不審そうに鼻に皺を寄せた。
「いきなり、どうしたんですか?」
「あんたは、実戦には向いていない」
 ハオリュウの問いかけには答えずに、シュアンは畳み掛けた。その言葉に、ハオリュウは半分納得し、しかし半分不満の残った顔をする。
「ええ。確かに、そうだとは思いますが……?」
 それが何か? と目が言っている。
「あんたは、後ろのほうで偉そうに命令しながら、腹黒い顔で嗤っているのが似合っているんだよ」
「……それはまた、随分ですね」
 ハオリュウは、怒ったものか呆れたものか、判断に悩むとばかりに溜め息をついた。そのすかした顔を切り刻むべく、シュアンは言葉の刃を研ぐ。
「あんたは、自分ができることと、できないことを読み間違えた。格好つけて『最高の結末だった』なんて言ったって、一生残るような怪我をしたら、ただの負け犬だろ。自分に酔っているだけの、馬鹿な餓鬼だ」
 ハオリュウの顔から、すっと表情が消えた。冷たい眼差しをシュアンに向ける。
「あなたは、僕にどうすればよかったと言うのですか?」
 嘘で塗り固められた笑顔が剥がれ、尖った口調のハスキーボイスが、懸命に低音を作る。予想外の過剰な反応に、シュアンの心が浮き立ち、三白眼をにやりと歪ませる。
「最後の手段として俺を使うことを考えていたのなら、初めから、土下座してでも俺に頼むべきだったな」
「な……っ」
「……そして、粋がった餓鬼の頼みを、馬鹿正直にそのまんま叶えて銃を貸してやった俺も、相当な阿呆だ。俺の判断は失敗だった。――俺も責任を取る必要がある」
 シュアンは、ハオリュウの肩に手を載せた。
 ハオリュウが、びくりとする。反射的に身を引こうとした彼を、シュアンの掌が押さえ込んだ。
 薄い夜着を通して、シュアンよりも高い体温を感じる。それは子供だからか、あるいは怪我のために体が熱を持っているのか――。
「だからな、ハオリュウ……」
 かつて先輩がシュアンの肩に手を載せたとき、どんな気持ちだったのだろうと、ふと思う。
 勿論、状況はまったく違う。けれど、願いのような、祈りのような、この気持ちは、似ているような気がする。
「今度は間違えるな。――今度こそ、俺を使え」
「え……?」
 言葉を失ったハオリュウが、シュアンの悪役面の凶相をじっと見つめた。
「あんたは、俺が築いた屍の山を見て、自分の掌が赤く染まっていると感じることができるだろう?」
 シュアンは、ハオリュウと出会ったときのことを思い出す。
 警察隊が鷹刀一族の屋敷を蹂躙したときのことだ。
 偽の警察隊員とハオリュウが同じ部屋にいて、エルファンの指示でシュアンが警察隊員を射殺する手はずになっていた。そのとき、子供のハオリュウには刺激が強すぎるだろうと、ミンウェイが彼をバルコニーに退避させたのだ。
 けれど、ハオリュウは部屋に戻ってきた。ただ、シュアンの作った屍を見るためだけに。
「――ならば、俺の手は、あんたの手だ」
「緋扇さん? いったい、どうしたんですか……?」
「『シュアン』だ」
「え……?」
「あんたは、貴族(シャトーア)の当主だ。懇意にしておいて、損はしないってだけさ」
 こう言えば、ハオリュウは納得するだろうか。――本当は、放っておけないだけ。ハオリュウを気に入っただけだ。
 シュアンは顔をずいと寄せ、三白眼に睨みをきかせた。
「だから、俺に頼め。――俺に『殺(や)れ』と」
 ハオリュウが、目を丸くしてシュアンを見上げた。その角度から、ごくりと唾を呑んだ喉の動きが、はっきりと分かった。
「本当に、いいんですか?」
「構わない」
「ありがとうございます、シュアン……」
 白い包帯を巻かれた頭が、深々と下げられる。スーツに覆われていた肩は、今は柔らかな夜着に包まれ、本来の華奢な輪郭を晒している。
 ミンウェイとは違い、素直に名前で呼んでくれたハオリュウに、シュアンはわずかに口の端を上げた。
 ――静まり返った部屋に雨音が響く。失われた命を悼むように、厳かに歌う。
 ハオリュウが顔を上げた。漆黒の瞳の深い闇が、シュアンの闇と同化する。
「シュアン、殺(や)ってください」
 少年のハスキーボイスが高らかに響いた。
 握りしめられた指の間で、金色の指輪が撃ち抜くような鋭い光を放った。


作品名:第八章 交響曲の旋律と 作家名:NaN