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炎の王妃【チャンヒビン】~月明かりに染まる蝶~・第三巻

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 と、オクチョンを侮蔑の入り交じった視線で見る者のあまりに多いことか。
 王妃自身はオクチョンを色眼鏡で見たことは一度もないどころか、国王に仕える古参の側室として常に立ててくれている。
 そのことは心から有り難いと思っている。けれど、だからといって、王妃に対する複雑な想いが消えるわけではない。
 何故、自分は奴婢の娘だというだけでここまで貶められなければならないのに、王妃は違うのか。何もかも与えられ、大妃にも嫁として可愛がられるのか。
 自分が何の悪いことをしたというのだろう。気が付けば、いつしかオクチョンの心には王妃への妬みがどす黒い染みのようにひろがりつつある。
 自分とは違い、生まれながらにすべてを手にしている王妃に、オクチョンはしばしば、こんな気持ちを抱くことがあった。もちろん、筋違いの逆恨みのようなものだとオクチョン自身、理解している。その都度、身分の低さだけでオクチョンを軽んじることない王妃の人柄を思い出し、オクチョンは自分を戒める。そんなことの繰り返しだった。
 だが、そろそろ我慢も極限に近づきつつあることをオクチョンはこの頃、感じていた。
 王妃は確かに優れた女性だ。それはオクチョンも判っている。とはいえ、王妃はただ微笑んだだけで周囲の者たちは感嘆の溜息を漏らすのに、オクチョンはどんなに慈悲の心を持ち清廉であろうと努めても、ただ身分が低いからというだけで?殿下を誑かした妖婦?と寄ってたかって陰口をたたかれる。
 あまりに理不尽な世の中ではないか。
 どんなに頑張っても、大妃は嫁として認めてくれず、自分は大好きな男の?一番?にはなれない。あの女―王妃が花のように微笑んでいる限り、オクチョンの居場所はこの後宮にはないのも同然だ。
 スンと出逢う前、自分が国王の想い者になるなんて考えたこともなかった。年頃になれば、相惚れになった男と所帯を持ち、何人かの子に恵まれてつつましい幸せを得るのだと想像していた。そして、その良人となる男はきっと平民で、財産も持たない代わりに、一生涯オクチョンだけを見つめて愛してくれるはずだと夢見ていたのだ。
 だが、現実は違った。自分が出逢ったのはこの国の王で、出逢ったときには既に妻と呼ぶ女がいた。それでも構わない、大好きなスンの側にいるためには、彼がこの国の王であることも大勢の女たちと彼の愛を分け合うことも受け入れて、後宮に入ったのだ。
 月日は流れ、オクチョンは今もスンに愛され、彼のただ一人の息子をも産んだ。側室にさえなれなかった身が今や嬪という後宮では最高位の側室にまでなった。けれど、側室はあくまでも側室にすぎず、幾ら正一品であろうが、?想い者?はどこまでいっても?想い者?でしかない。オクチョンは正室にはなれず、後宮にひしめく王のために集められた女たちの一人にすぎないのだ。
 あの女がいる限り、私はスンの?一番?にも、彼の隣に立つこともできない。
 オクチョンは無意識の中に胸前で組み合わせた両手に力をこめていた。
「禧嬪さま、国王殿下がお越しになります」
 居室の向こう、扉越しに申尚宮の声が響いた。オクチョンはその声で、深い懊悩から現実に戻ってきた。
―私は今、何を考えていたの?
 愕然とした。咄嗟に浮かんだのは、花のような王妃の優しい笑顔だった。
 オクチョンは王妃を嫌いではなかった。というより、こんな関係で―スンを挟んで向かい合う正室と側室でなければ、心から友達になりたいと願うような人だ。誰もがオクチョンの出自ゆえに偏見と蔑みを持って接する後宮の中で、王妃はありのままのオクチョンを見ようとする数少ない人だった。
 側室の産んだ王子だというのに、ユンには手ずから縫った産着だけでなく足袋まで贈ってくれた。
―実母のそなたがいるというのに、差し出がましいと思ったのだが。
 控えめに言いながらも、純白の産着と足袋を贈ってくれた。小さな可愛らしい足袋は二足あり、それぞれ撫子と竹の刺繍が入れてあった。
―男の子か女の子か判らぬゆえ、色は白にした。足袋は女の子なら撫子、男の子なら竹を穿かせてやれば良いと思うてな。
 オクチョンはありがたく贈り物を受け取り、もちろんユンにはどちらの足袋もはかせた。
―ユン、ユン。そなたは私の宝だ。よう生まれてきて下さった。
 王妃はユンを抱き、頬ずりして囁く。そんなときの王妃は恐らくユンの実母と言われても知らない人なら納得するだろう。それほどに側室の子を心底からいとおしんでいる。
 そんな王妃を気が付けば、自分は妬み憎しみすら抱くようになっている。自分の中の醜い心に気づいた時、オクチョンは死んでしまいたいと思った。大妃のようにどこまでも自分を憎み貶める相手なら、自分が憎み返しても罪の意識を感じる必要はない。けれど、王妃のように曇りのない眼で自分を見つめ、偽物でない優しさを向けてくれる相手を憎むなど、オクチョンの良心が許せなかった。
 一方で、自分が何故、こんなことで心を悩ませ苦しまねばならないのか。それさえも王妃のせいだ、あの女の存在そのものが自分を苦しめるからではないかと思ってしまう。
 私は、本当に嫌な女になってしまった。嫌どころではない。醜い、見下げ果てた人間になった。
 それでも、スンの前では精一杯微笑んでいたかった。大好きな彼には嫌われたくない。王妃への憎しみが募るにつれ、逆にスンへの恋情は更に深まった。スンが王妃に優しく微笑みかける度、オクチョンの心は王妃への憎しみに凍っていった。芯からゆっくりと凍っているこの心は、いつか憎しみで凝り固まり石のように硬くなってしまうのだろう。
 その時、自分は本当に鬼になるのだろうか。人が夜叉と呼んで怖れる化け物になるのかもしれない。
 寵愛という一点で、オクチョンは王妃より優位にいるのは自覚していた。深い関係になってはや十数年を経ても、スンのオクチョンへの愛は変わらない。
 ただ、スンは王妃の美しい心を愛でていた。いや、スンという男自身が美しい優しい心を持つ女を好む傾向があるのかもしれない。粛宗という王は、見目より心映えを愛でる男であった。その意味で、出逢った頃のオクチョンは、まさにスンの好みどおりの娘であったに違いない。しかも、オクチョンは容貌も通りすがりの若い男が振り向くほどの美少女だったのだ。
 今やオクチョンは昔どおりの彼女ではないのに、スンはオクチョンがまだ何も変わらない無垢なままだと信じている。その信頼が失われた時、スンの心が向かうのは王妃の方だという予感はあった。しかも、王妃はまだ若く、花のような美貌だ。
 だからこそ、こんな醜い自分をスンにだけは知られたくない。その一心で、オクチョンは自分を奮い立たせ精一杯の笑みを強ばった顔に貼り付ける。
「禧嬪さま?」
 扉が開き、案じ顔の申尚宮が覗いた。
 オクチョンは微笑み頷いた。
「お通しして」
 ほどなくスンが入ってくる。オクチョンは素早く立ち上がり、それまで座っていた席をスンに譲った。
「お出迎えもしないで、ごめんなさい」
 オクチョンが言うのに、スンが綺麗な顔を思い切りしかめた。
「泣いていたのか、オクチョン」