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炎の王妃【チャンヒビン】~月明かりに染まる蝶~・第三巻

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 この際、どうしても声が低くなってしまうのは無理もない。王妃は粛宗の機嫌が悪くなったことはすぐに察したろう。
「先月初めにございます」
 そこで、王妃は大妃から打ち明けられた話をそのまま王に伝えた。御医からもう余命は長くないと宣告されていることも包み隠さず話した。
 すべてを聞き終えた粛宗は声さえなく、ただ、茫然としていた。
「何故、もって早くに教えてくれなかったのだ」
 良人の言葉に、王妃は心底申し訳なさそうに言った。
「申し訳ございません。義母上さまから殿下にはお伝えしてはならないと止められていたのです」
 王は何か言おうとして、口をつぐんだ。貞淑な王妃にしてみれば、義母の言葉を忠実に守るべきか、良人に真実を話すべきか、苦渋の選択であったに違いない。そして、いよいよこのまま見過ごしにはできないという決断の下に、彼に真実を打ち明けたのだ。
 誰が王妃を責められよう? 
 粛宗は深い息を吐いた。
「何ゆえ、母上は病悪しきを私に知らせたくなかったのであろうか」
 王妃が口許をわずかに動かした。物言いたげなその視線を受け止め、粛宗は頷いた。
「そなたには言いたくないことを言わせてしまい、申し訳ないが、まだ話していないことがあれば、すべて隠さずに話して欲しい、中殿」
 王妃はうつむいた。
「義母上さまが真実を知られたくなかったのは殿下ではありません」
 その瞬間、粛宗は脳天を烈しく叩かれたような気がした。
「―禧嬪に知られたくない。母上はそのように思し召したのだな」
「さようでございます」
 賢い王妃は皆を言わなかった。だからこそ、粛宗には真実のすべてが見えた。
 粛宗に病状を伝えれば、オクチョンも知るところになる。ゆえに、母は王妃に口止めしたのだ。
「母上は禧嬪をそこまで憎まれるか」
 粛宗は深い息をつかずにはおれなかった。生涯にただ一人の女とまで惚れ抜いた女。彼にとって、オクチョンはまさに永遠の恋人であり妻だ。その女を実の母親がそこまで嫌い抜くというのも、あまりに皮肉な巡り合わせであった。
「何の力にもなれませず、真に申し訳ございません」
 うつむいたままの王妃の肩に、粛宗は手を乗せた。
「そなたは何も悪くはない。もし責任があるとしたら、それは、こういう状況を作った私自身にある」
 彼は王妃をそっと腕に包み、その背中をあやすように叩いた。
「そなたは後宮を束ねる内命婦の長として、本当によくやってくれている。感謝こそすれ、そなたを責めるつもりはない」
「―」
 何も言わず腕の中で見上げてくる王妃の瞳は濡れていた。白い頬を流れ落ちる涙を粛宗は手のひらで優しくぬぐった。
「禧嬪は、母上が考えるような女ではない。願わくば、母上が誤解を解いて下されば良いのだがな」
 王妃も頷いた。
「私もそのことについては再三、大妃さまに申し上げたのです」
 余命長からぬことを告げた時、大妃は王妃にはっきりと告げた。オクチョン本人を憎むというよりは、あの女の賤しい身分そのものを憎むのだと。だが、この場でいかに何でも、オクチョンを熱愛する粛宗にそれを告げられるものではない。
 粛宗は王妃を蔑ろにはせず、第一の妻として丁重に接しているが、王の心が昔から変わらず自分ではなく禧嬪に向けられているのを王妃はちゃんと理解していた。
「母上の病状については、御医に私から直々に訊ねるとしよう。そなたはもう心煩わせず、自身が早く良くなるように療養せよ」
「はい。私も良くなりましたら、すぐに義母上さまをお見舞いするつもりでおります」
 もう一度、大妃の様子を見てから大殿に戻ると告げる王とは王妃はその場で別れた。
  
 低い嗚咽を洩らし、オクチョンは自嘲気味に思った。
―これだけ泣き暮らしても、人間の身体がひからびることがないのは不思議だわ。
 オクチョンはもう昨日から、かれこれ一日以上、この有り様だ。泣き続けたせいで、眼は紅く腫れ上がり、ついでに鼻まで紅くなっている。傍目にはさぞ、みっともない面体になり果てているだろう。
 事件当日の昨日の夜、ついにスンはオクチョンの許に来なかった。当たり前だ、彼は母大妃をとても大切に思っている。オクチョンのせいで大妃が倒れたというのだから、彼が怒って当然だ。
 オクチョンがあまりに身も世もなく嘆くので、お付き女官のミニョンは懸命に慰めてくれる。
「禧嬪さま。そんなにお嘆きにならないで下さいませ。お泣きになられてばかりいると、今度は禧嬪さまがご病気になられてしまいますよ?」
 オクチョンにとって、いつも側にいてくれる申尚宮とミニョンはいわば、後宮での母代わり、姉のようなものだ。主従という枠を超えた強い絆で結ばれている。その二人を心配させてはらないとは思う一方、オクチョンは自分の迂闊さを呪いたい気分だった。
 大妃が自分を嫌うどころか、殺したいほど憎んでいるのは判っているのに、何故、大妃殿に行ったりしたのか。
 昨日の昼下がり、いつものように中宮殿にユンを連れていったところ、王妃は風邪を引き込んで病臥中とのことだった。自分の風邪がオクチョンに、引いては抵抗力のないユンに感染してはならないと、王妃はオクチョンと対面はしなかった。
 その日の大妃殿訪問は中止にしてはと王妃の意向が伝えられ、オクチョンは
―大妃さまが愉しみにしておられるでしょうゆえ。
 と、自分からユンを大妃殿に連れていって欲しいと頼んだのだ。そのため、王妃の命で中宮殿の尚宮がユンを連れて大妃殿に参上し、いつものように大妃は上機嫌でユンを迎え、愉しい孫とのひとときを過ごしたらしい。
 そこまでは良かった。オクチョンはよほど就善堂で待っていようかと思ったのだけれど、中宮殿の尚宮を自分付きの尚宮のように遣うのは気が引けた。なので、わざわざここまでユンを連れて来させず、自分が大妃殿まで迎えにいったのだ。
 オクチョンが迎えにいくという伝言を使者から聞いた王妃は、すぐに止めるようにと返事を持たせた使者をオクチョンの許に向かわせた。王子の迎えは中宮殿の尚宮にさせると王妃は明言したのだが、オクチョンが大妃殿に向かったのと王妃からの使者は入れ違いになった。
 事件後、オクチョンは王妃からの使者が訪れたのを知った。つまり、王妃は最初から、こうなること―大妃がオクチョンの来訪で激怒するのを予想していたともいえる。
 流石に激怒のあまり、倒れるまで想像していたかは判らないけれど、それにしても、王妃にある程度見抜けたことが自分には考えられもしなかった。その迂闊さが事件を引き起こした。それがオクチョンにはあまりにも情けなかった。
 この時、オクチョンの中で王妃への恨めしさが生まれた。
 生まれたそのときから名門両班家の令嬢として大切に育てられ、誰もが祝福する中で愛する男スンの妻となった女性。美しさも聡明さも持ち合わせた、神仏に愛されたとしか思いようのない、すべてを与えられた女こそが王妃である。オクチョンには、そうとしか思えない。
 王妃に引き替え、我が身は幼くして父という寄る辺を失い、伯父に引き取られたものの、母は伯父の妻に常に気兼ねし、蔑まれて小さくなっていた。スンと出逢い、この国の王に愛されるようになってからでさえ、
―賤民の出。