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炎の王妃【チャンヒビン】~月明かりに染まる蝶~・第三巻

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 何故、王は自分の言葉をちゃんと聞いてくれないのだろう。先刻、王妃は言った。
―女がお慕いする殿御の子を産めぬことがどれだけ辛いか。
 私はこんなにも殿下をお慕いしているのです。そう声に出して言えたなら、どれだけ楽だろうか。
 けれど、名門両班家に生まれた王妃は、幼い頃から常に?女は控えめであれ?と言い聞かされてきた。女の心得を説いた?内訓?はそらんじられるほど幾度も読んだけれど、あの書物には本当に王妃が知りたいことは何も書いてはいなかった。
―恋に落ちた時、好きな男に胸の想いを伝えるには、どうしたら良いのですか?
 王妃が粛宗に嫁いだのは十四歳のときだ。前妻仁敬王后が若くして亡くなり、継室として嫁した。当時、良人となった王は十九歳だった。
 若く面立ちも美しい貴公子の王に、王妃はひとめで魅了された。
―こんな素敵な方の妻になれるなんて、夢のよう。
 実家の母にいえば、?はしたないことを言うものではありません?と即座にたしなめられるだろうが、それは王妃の本心であった。
 嫁ぐ前、絵巻物を眺めつつ、乳母が男女の交わりや初めての閨事について曖昧な言葉で判りづらく説明してくれた。それが王妃の授けられた性知識のすべてだったのだ。
 まったく何も知らないのと同じであった。そんな王妃は人妻といっても、まだ女体も整わぬ子どもにすぎなかった。百官を前にしての盛大な嘉礼の夜、二人は新枕を交わしたものの、粛宗は夜具を並べて横になった王妃の手を握り、
―今日は長い一日だった。そなたも疲れたろう。ゆっくりと眠りなさい。
 と、優しく労ってくれた。初夜の記憶はそこで途切れている。乳母に教えられたとはいえ、具体的なことは何も知らず、初夜に怯えていたのだ。しかし、王は王妃と手を繋いだままで、それ以上のことはなかった。
 翌朝、めざめた時、横たわったまま粛宗は眼を開いて自分を見つめており、寝顔を見られていたのかと恥ずかしさのあまり、紅くなったほどだ。
 優しい方。それが粛宗の対する王妃の第一印象だった。それは結婚して月日を経ても、変わらない。寵愛する側室禧嬪に子ができても、粛宗は王妃を正室として重んじてくれる。
 月日と共に、王妃も少女から大人になり、良人への淡い憧れと思慕は深い愛情になった。
 だが、成長して一人前の女となった今も、王妃の男女のことに関する知識は嫁いできた十四歳の頃は殆ど変わらない。
 王妃は涙を流しながら、心の中で愛する良人に問いかけた。
―恋に落ちた時、好きな男に胸の想いを伝えるには、どうしたら良いのですか? 教えて下さい、あなた。
 
 その翌朝、後宮始まって以来、前代未聞の事件が起きた。中宮殿の床下から人型が見つかったのである。人型とは精巧に作った布人形であり、見たところでは幼い子どもの玩具と変わりないように見える。
だが、その人型は豪奢な衣装を着せられており、真ん中―丁度人間であれば心ノ臓の辺りに小さな白い布が針で止められていた。
―禧嬪張氏 呪
 更には鋭利な小刀が人型の腹部に深々と突き刺さっていた。
 粛宗の熱愛する側室にして世子の母、禧嬪張氏が呪詛された! しかも、その呪いの人型が中宮殿の床下から見つかったということで、後宮は震撼した。
 事の次第はすぐに大殿の粛宗にも報告され、王妃は王命により中宮殿に軟禁の身となった。肉親でさえも面会は禁止という厳しい王命が下された。
 更に―。事態は急転する。中宮殿は主人たる王妃以下、尚宮、女官に至るまでその身柄を拘束され、義禁府の役人が物々しくすべての部屋を検めて回った。厳戒態勢の中で行われたその調査で、新たにまた殿舎の入り口階段下から同様の人型が現れのだ。
 その人型は先に見つかったものより小さく、童のような衣装を着せられていた。女の子ではなく男の子の衣装に見え、やはり白布が針で止められていた。
―世子 イ・ユン 呪
 事態を静観していた粛宗の怒りも限界に達したようで、ついに?王妃廃位?の王命が下ったのは最初の人型が見つかってわずか十日後のことだった。
 廃位の通達を受けた時、王妃は居室で書見をしていた。既に内容は憶えてしまった?内訓?を閉じ、王妃は眼を軽く瞑った。
 刹那、真っ先に禧嬪の顔が浮かんだ。そもそも人型が見つかった時、王妃はすぐに誰の仕業であるかを悟った。少し前、王が禧嬪の見た夢の話をした。我が子を見知らぬ女に奪われるという悪夢を見たと禧嬪が不安がり、王が王妃にもその話をしたのだ。思えば、あの会話が王の不興を買った一連の出来事の発端で、王妃の何気ない言葉尻を捉え、王が怒った。
 大方、あの夢の話も禧嬪の作り話に違いない。粛宗は、はきと口にはしなかったけれど、禧嬪は言ったはずだ。
―赤児を私から奪おうとしたのは中殿さまです。
 流石に王妃本人には粛宗も禧嬪の訴えたままを話すのは、はばかられたのだろう。
 傍らでは事の次第を報告に来た忠義者の尚宮が身を揉んで泣いている。裏腹に、王妃の心はかえって穏やかに静まり返っていた。
 来るべきものが来たという感じ、というのが正しい心境かもしれない。我が殿舎の床下で人型が見つかったと聞いたときから、こうなるのは漠然と予感していた。
 抱くのはチャン・オクチョンへの憎しみでも恨みでもなかった。ただただ、空しさばかりだ。いつか義母であった大妃に言われたことがある。
 確か、あれは初めて世子を大妃にお披露目した日だ。禧嬪に懇願され、代わりに大妃殿にユンを連れて参上したのだ。
 あの時、大妃は
―あの者を甘く見るな。酷なことを申すようだが、母は子を守るためには鬼にも夜叉にもなる。これから、あの者は子を守るためには、何でもするであろう。
 そう言ったのだ。
 皮肉にも、あの予言は当たってしまった。王妃はオクチョンを稀に見る心の美しい人物だと認めていた。伏魔殿と呼ばれる後宮で凛として咲く一輪の花、流石は王の寵愛を長きに渡って受けるだけの女だと心から思っていた。その想いは賞賛と呼べるものに近いほどで、その一方、美貌と知性、優しさとすべてを持ち、その上、承恩を受けてこの国の世継ぎまであげた彼女にかすかな憧憬も持っていた。
 すべてのものを持っていると思われる禧嬪であったが、そんな彼女も一つだけ思うに任せないものがあった。それが出自だ。亡き大妃はそのオクチョンの生まれの卑しさをひたすら憎み、自分の生命ある限り、オクチョンの存在を認める気はないとまで言い切った。
 王妃はオクチョンが気の毒に思えてならなかった。人としても優れた徳目を備えているのに、ただ賤民というだけで、すべてを否定される。それでも、オクチョンは毅然としており、どんな逆風にも折れず粛宗の後宮という花園で美しく咲き続けた。
 チャン・オクチョンこそ、真心と善き心を持ち、生来の美貌にその心の美しさが照り映えて眩しいほどの輝きを放つ女。ずっと、その認識を保ち続けてきた。そんな王妃にとって、今回の出来事は大きな衝撃を与えた。
 あのように心の清しい女であってさえ、後宮は鬼に変えてしまうのか。