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炎の王妃【チャンヒビン】~月明かりに染まる蝶~・第三巻

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 そもそも事の発端は、オクチョンがお腹の子の性別が知りたいと願ったことだった。ウォルメの母ソルメはかつて前王妃の生年月日を見ただけで、胎児の性別を言い当てた。
 ウォルメによれば、妊婦の生年月日だけでも胎児の性別は占えるというが、より正確を期するならば、妊婦のお腹に直接触る方が間違いないと断言したのだ。
 オクチョンの体調が安定していれば、宮殿の外でウォルメと逢うこともできたけれど、いまだ妊娠経過は順調とはいえない状態が続いている。御医からは安静を言いつけられ、オクチョンはこの頃、殆ど寝たきりで過ごしていた。
 むろん、スンは何の病気かとオクチョンにも御医にもしつこいほど訊ねたものの、御医はオクチョンの厳しい口止めを受けているため、スンにも懐妊は話していない。
―おお、天地神明の神よ。
 オクチョンはウォルメの言葉を聞くや、腹部をそっと押さえ、感謝の祈りを捧げた。
 どうやら、お腹の子は今度も男児らしい。既にスンとの間に授かった第一子は早くも世子に冊封されて東宮殿にある。この上、第二子も続いて男児をあげとなれば、オクチョンの立場は更に強固なものとなるはずだ。
 この子は何としても、無事に生まれてこなければならない。オクチョンは改めてその想いを強くし、ウォルメに言った。
「そなたに安産の祈祷を頼みたい」
「承知しました」
 ウォルメは恭しく応える。いつも伏し目がちなのは変わらない。オクチョンはふと気になり、問うた。
「例の依頼はどうなっている?」
 後宮内では、到底不用意な言葉は口にできるものではない。しかし、ウォルメは心得ているようで、すぐに頷いた。
「既に数度に渡って祈祷を行いました。まず、最初の祈祷は新月の夜に行います。合計ですと五回行うことになり、最後の祈祷は満月の夜になります。月の満ちる力を借りることによって、祈りの力を増幅させることを期待するのです」
 オクチョンは微笑みを浮かべた。
「なるほど、月の満ちる力を助けにするのか。聞けば聞くほど、道理だな」
 短い沈黙の後、オクチョンは言った。
「引き続き、よろしく頼む」
「畏まりました」
 ウォルメと入れ替わりに、ミニョンが入ってきた。
「禧嬪さま、ウォルメは何と申しましたか?」
「男の子だそうよ」
 横たわったオクチョンは膨らみの目立たないお腹を撫でながら言った。
「まあ」
 ミニョンが思わずといったように顔をほころばせた。
「世子邸下に続き、またも王子さまだなんて、素晴らしいですわ。禧嬪さま、おめでとうございます」
―吾子や、そなたは大切な子なの。あなたが生まれてくることで、お父さまの心を取り戻せるかもしれないのよ。
 ひとめ見ただけでは判らないが、気のせいか、腹部もほんの少し膨らみかけてきた気がする。腹の子が元気に生い立っている何よりの証ではないか。
 オクチョンは涌き上がる嬉しさを咬みしめながら、本物の赤児を撫でるように、いつまでもお腹を撫でていた。
 一方、その頃、申尚宮はウォルメを宮外まで送っていっていた。
 今日、ウォルメは巫女装束ではなく、ごく普通のチマチョゴリを纏っている。一見したところ、仕立ての良い衣服を着た彼女は良家の若夫人といっても通りそうなほどである。
 申尚宮は、予めウォルメを娘という触れ込みで宮殿に手引きした。名前も?キム・スンジョン?と変えてある。それは申尚宮の亡くなった一人娘の名前だ。
 ウォルメは外套を頭からすっぽりとかぶり、申尚宮に連れられ、無事正門から外に出た。
「くれぐれも身辺には用心するのだ、良いな」
 念を押され、ウォルメは頷いた。
「心得ております」
 今日も宮殿前の広場から続く大通りはたくさんの人で賑わっている。申尚宮はウォルメの後ろ姿がその人波に呑まれるまで見守っていた。だから、ウォルメの姿が見えなくなったと同時に、同じように外套を目深に被った女がウォルメの後を追っていったのを見ることはなかった―。

 目許まで引き被っていた外套を少しだけ持ち上げ、ファヨンは周囲を油断なく窺った。
 この界隈は都の下町の中でも無頼の者や氏素性の知れぬ者たちの住まいが集う貧民窟になる。ファヨン自身、賤民の生まれゆえ、こういう場所に不慣れというわけではないが、それでも好んで近づきたいと思う場所ではなかった。
 なるほど、やはり、睨んだとおりか。
 ファヨンの美しい面に満足げな微笑が浮かんだ。
 ファヨンが左議政ク・ソッキに後宮に送り込まれた指命は複数あった。まずは粛宗の心を虜にし、王子を産むこと。次に世子の母禧嬪張氏を今の座から引きずり下ろすこと。
 目下、粛宗の寵愛を得るのは早晩にできそうではない。ああまで王の不興と不信を買ってしまったからには、回復するのは難しそうである。
 まあ、王の心を動かすのは後回しでも良いだろう。間諜として受けた訓練中に、
―遂行しやすい任務から片付ける。
 という教えはたたき込まれている。
 そう、チェ・ファヨンは教育を受けた玄人(プロ)の間諜だった。幼い頃、捨て子だったファヨンを拾い育ててくれたのが間諜を率いる組織の頭目だったのだ。ファヨンの養父は奴婢で、下町で鶏肉屋を営む気の良い男というのが表の顔だった。その実、闇の世界に君臨し、よく訓練されたプロの密偵を大勢抱える巨大組織のリーダーだったのだ。
 郊外の人里離れた山奥に訓練のための場所を持ち、定期的に町とそこを行き来していた。ファヨンもまた一定の歳になるまで、そこで育てられ、密偵としてのいろはをたたき込まれた。
 ファヨンの父は都の高名な両班とも密接な繋がりを持っている。政府の高官に優秀な間諜を提供することで、多額の利益を得ていた。
 今回、ファヨンの父は西人派の筆頭ク・ソッキから依頼を受け、ファヨンを後宮に送り込んだ。彼女は国王を意のままに操る美しき密偵として、ムスリに身をやつして宮殿に潜入したのである。
 たった今、ファヨンの眼の前で占い師は貧民街の中でもまたとりわけ貧相なあばら屋に入っていった。ファヨンは鼻を鳴らした。
 まったく、人が住まうとは思えないような代物ではないか。屋根は傾き、今にも家ごと崩れ落ちそうだ。しかも、天下を揺るがす大それた計略に携わっているというのに、警戒心の欠片もまるでない。
 この有り様では、禧嬪張氏を失脚させる理由など、両手で数え切れないほど見つけられそうだ。ファヨンの父は念には念を入れてファヨンを送り込んだが、こんなお粗末な企みであれば、見習い中の密偵だとしても十分に任務をこなせるに違いない。
 だが、と、ファヨンは恍惚りと凛々しい男の顔を思い浮かべた。今更、他の人間にこの任務を横取りさせるつもりはない。
 年少で即位して玉座にふんぞり返っている王など、どうせたいした男ではないと思い込んでいた。だが、現実に見た粛宗はどうだろう。なよなよとした軟弱な貴族の若さまという雰囲気はおよそ縁遠く、精悍さと優美さがほどよく調和した美丈夫だ。