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炎の王妃【チャンヒビン】~月明かりに染まる蝶~・第三巻

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 オクチョン自身、賤民だから、その出自でファヨンを貶める気はない。けれど、仁敬王后にはなかった、したたかさがファヨンにあるのはやはり生まれ育ちと関係はしているに相違なかった。
 いわば、今の仁顕王妃とは真逆なタイプの女ということにもなる。
「若いが、侮れぬ女だ」
 オクチョンは愛用の鏡台を文机に乗せ、鏡を覗いた。
―私は、もう若くはない。
 オクチョンの眼裏に先刻のファヨンの華やかな美貌がありありと甦る。美しいけれど、どこか儚さが漂う王妃とは違う、派手な美貌は一度見たら忘れられない。
「禧嬪さま、そのようなことはありません」
 下座に控えていたミニョンが呼応するように言い、オクチョンは現に返った。どうやら、心で呟いただけのつもりが声に出していたらしい。
 オクチョンは苦笑いを浮かべた。
「聞こえていたのね」
 ミニョンは小首を傾げた。
「殿下はあのような女がお好みだったのでしょうか。どうも中殿さまや禧嬪さまとは印象というか雰囲気が違うような気がします」
 オクチョンの面に淋しげな笑みが浮かんだ。
「いつも同じような花ばかりでは蝶も飽きてしまうということなのかしらね」
 どのような女もおしなべて若さは永遠にはあらず、また、男という生きものは若く美しい女を好むもの。それは王さまでも下賤の男でも同じ理屈だろう。
 ミニョンがふいに低声になった。
「禧嬪さま、これまで西人は中殿さまを旗頭に掲げてきました。ですが、西人の筆頭たる左相大監があの女を養女にしたということは、これからは中殿さまではなく、あの者を手駒にするということでしょうか?」
 つまりは西人はいつまでも懐妊できない王妃を見限ったともいえる。そのこと自体はオクチョンにとって好都合ではあった。
 王妃が後ろ盾を失えば、余計に事は進めやすくなる。
 オクチョンは小さく首を振った。
「それはどうかしら。中殿さまはミン氏という家門を後見に持たれているわ。たとえ左相大監が中殿さまを見限ったとしても、西人の中にはまだまだ中殿さまに心を寄せる者も少なくはないはず。今回、左相大監がチェ尚宮を養女にしたことで、かえって西人は内部から分裂する怖れもあるわね」
「あの女を推す者たちと中殿さまを推す者たちに分かれるということですか?」
「そう。今まで一丸となってきた西人がこれからは一枚岩ではなくなるかもしれない」
 ミニョンが更に声を低めた。
「禧嬪さまを強く推しているのは西人派と拮抗する勢力を持つ南人です。南人は、これからどう動くのでしょうか」
 オクチョンは考え込むように顎に手を添えた。
「どうかしらね。私としては、あまり無用な党派争いには巻き込まれたくないのが本音よ。南人にせよ、こちらが利用できる中は良いけれど、一方的に利用されるばかりになってしまったら、良くないと思うわ」
「一方的に利用される、ですか?」
「そう。私には世子さまがいる。そこが南人の狙い目なのよ。私は所詮、側室の一人だもの、殿下の寵愛を失えば利用価値はそこで終わり。でも、ユンは違う。あの子はいずれ王になるから、ユンを手駒として握っている限り、南人は安泰だと思っているのでしょう」
 けれど、オクチョンは可愛い息子を醜い政争の具にする気はさらさらない。
「それに、南人には大王大妃さまの息がかかったお方が多いですものね」
 ミニョンの言葉に、オクチョンは頷いた。
 亡き壮烈大王大妃の近しい身内が実のところ、南人には多かった。南人がオクチョン側についた背景には、そのような背景もあるにはあったのだ。
 久しぶりに大王大妃の名を聞き、オクチョンはあの予言を思い出した。
―そなたが翼をひろげて大空を飛ぼうとする時、それを妨げる者が現れる。その者は西から現れる。私の言葉を忘れるでない、オクチョン。
 亡くなる間際、見舞いに訪れたオクチョンに彼のひとがくれた言葉だ。あの時、大王大妃はオクチョンのゆく手に?栄光と衰退?が見えるとも言った。
―まさか。
 オクチョンの顎に添えた手がかすかにわなないた。
「西人、西」
 呟いたオクチョンを、ミニョンが訝しげに見た。
「何か仰せになりましたか、禧嬪さま」
「ミニョン、ムスリたちが暮らす殿舎は、どの方角にあるかしら」
 予期せぬ問いをふられ、ミニョンが面食らった顔をする。オクチョンは構わず、眼を瞑った。
―確かムスリたちが暮らす方角は―。
 思考がバラバラに散って、纏まらない。ひとえに動揺しているからだ。そこにミニョンの明るい声が響いた。
「禧嬪さま、ムスリたちの殿舎は西に当たります。丁度真西なのではないでしょうか」
 信頼する腹心女官のひと言が、オクチョンの心を鋭く抉った。寒い季節でもないのに、オクチョンの膚は総毛だった。
 オクチョンは無意識に腹部を押さえた。まだ膨らみはまったくない。
 流石にオクチョンも経験者だから、この時期には懐妊に気づいていた。既に御医の診察も受けて、懐妊だと判明している。ただ、今度はユンのときと異なり、胎児の発育はかなり微妙だといわれた。
 有り体にいえば、流産の可能性もあると告げられた。ゆえに、まだスンには報告していない。それでなくとも王妃の想像妊娠で、スンは気落ちしているはずだ。そこにオクチョンまでもが流産したとなれば、スンの落胆は大きいだろう。
 だからこそ、腹の子がもう少し安定してからスンには報告しようと考えていた。  
 第二子妊娠を告げれば、スンはどれだけ歓ぶことか。オクチョン自身への愛は冷めたとしても、新たに子を授かれば、またスンの心はオクチョンの許に戻ってくる。
―お願いよ、何とか無事に育って。
 オクチョンは手を腹に当て、お腹の子に呼びかけた。
 ユンのときよりも数倍も、もしかしたら万倍も。この子はスンの心を取り戻すために必要な子かもしれない。
―そなたの邪魔をする者は西から現れる。
 また大王大妃の声が耳奥で響き、オクチョンは身を震わせ、自分の身体を抱くように両手を身体に回した。
  
  西からの使者

 オクチョンが占い師ウォルメをひそかに就善堂に呼び寄せたのは暦が五月に入ってまもなくだった。
 初めてウォルメを呼び出して以来、あの占い師と何度か接触はした。しかし、それらはすべて代理としてミニョンか申尚宮が宮外に出向き、しかるべき場所で内密にウォルメと逢ったのだ。それは大抵は色町の一角、妓房であり、その妓房はオクチョンの兄チャン・ヒジェが深間になっている元妓生上がりの女将が営んでいる遊郭だった。
 実はその日も申尚宮が妓楼でウォルメと逢う段取りになっていたところ、オクチョンがどうしても逢いたいと言いだし、急遽、ウォルメが就善堂に呼ばれたのである。
「どうだ?」
 夜具に横たわるオクチョンのお腹に手を当てていたウォルメは手を離し、首を傾けた。
 オクチョンが期待を込めた瞳で見つめるのに、ウォルメは丁重に応えた。
「お腹の御子さまは間違いなく男の子にあらせられます」
 どこか厳かにも聞こえるウォルメの声音に、オクチョンの顔が輝いた。
「それは真か?」
「はい。間違いありません」