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炎の王妃【チャンヒビン】~月明かりに染まる蝶~・第三巻

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「私の養女(むすめ)にございます。ファヨン、殿下にご挨拶を」
 言いかけ、わざとらしく言い直した。
「おお、そう申せば、ファヨンは既に殿下のお情けをお受けしていると聞きました。殿下、不束な娘ゆえ至らぬところもあるとは思いますが、末永く慈しんでやって下さりませ」
 当然ながら、ファヨンはもう女官のお仕着せは着ておらず、王の側室にふさわしい華やかな装いである。薄紅色を基調とした衣装は仕立ても良く、ファヨンの美貌に花を添えていた。
 だが、粛宗は冷たい眼でファヨンを一瞥した。それは到底、王が寵愛する側室を見る眼ではなかった。
「そなた、朕を謀ったな」
 そのひと言が聞こえなかったかのように、ファヨンはたおやな所作でお辞儀をした。
「左議政の娘、チェ・ファヨンにございます」
「すべて読めたぞ」
 粛宗は視線をファヨンからソッキに移した。
 ソッキは悪びれた様子は微塵もない。したり顔で若い王の顔を見つめた。
「我々西人は長らく中殿さまご懐妊を願って参りました。中殿さまに王子を産んで戴くのは最早、我らの悲願と申し上げても良い。されど、中殿さまにはご懐妊の兆しこれなく、このままでは禧嬪張氏の産み奉った御子が次の王となるは必然にございます。私は由緒正しき王室に賤民の女の血が入るのは許せません」
「世子は既に禧嬪の産んだユンに決まっておる。今更、そなたらが何を画策しようと、次の王が世子であることは変わらぬ」
 粛宗は毅然と断じた。
「だからこそにございます」
 ソッキが満足げに傍らのファヨンを見た。
「この者を殿下のお側に送り込みました。私の新しい娘が必ずや殿下の御子を産み奉り、我ら西人の悲願を叶えてくれるものと信じております」
 粛宗はソッキに言いたいだけ言わせ、冷徹な声で言った。
「朕はこの者と少し話がある」
 ソッキが笑顔で頷いた。
「これは無粋を致しました。どうぞ、お二人で心ゆくまでお語らい下さい」
 態度だけは慇懃に下がってゆく左議政を粛宗は烈しい眼で見ている。扉が閉まり、彼は立ち上がった。
「そなたの殿舎まで送っていこう」
 二人は大殿を出て、ファヨンが与えられた殿舎に向かって歩き始めた。数歩離れた後方から、ホ内官がついてくる。
 壮年の凛々しい王と、うら若い側室が並んで歩いている姿は傍目から見れば、さぞ仲睦まじく、似合いだろう。しかし、粛宗の瞳は凍えるように冷たかった。
「そなたとは一度、ゆっくりと話したかった」
「光栄にございます、殿下」
 一方、王の態度などファヨンはまるで頓着しないようで、平然としている。ある意味、恐ろしい女だと粛宗は思った。
「言葉どおりの意味に取って貰っては困る」
 ファヨンは何も言わない。粛宗は続けた。
「そなたは私が国王であると知っていた。その上であの夜、仮病を装って近づいた。―違うか?」
「お好きなように思し召して下さい」
 ファヨンの言葉に、粛宗は息を呑んだ。
 何という不遜な女か。
「そなたは何者だ?」
 質問の矛先を変えてやっても、ファヨンは婉然と微笑んでいるだけだ。
「殿下の凛々しい龍顔をひとめ拝してからというもの、殿下恋しさに身を焼いておりました。ゆえに、あの場所で殿下をお待ちしていたのです」
 ややあって、ファヨンがクスリと笑った。
「そう申し上げれば、納得して下さるというのですか?」
「馬鹿にするでない。私がそのような言葉をうかうかと信ずると思うてか」
 粛宗が声を荒げるのに反応して、後方のホ内官が腰に刷いた剣に咄嗟に手をかけた。粛宗は振り向かず手を挙げて制し、何でもないというように意思表示をする。
「一度、後宮に迎え入れた女を追放することはしない。そなたに与えた地位も待遇も取り上げはしないが、これから先、私の心を得ようなどと無駄なことを考えるな」
 粛宗は言い捨てなり、ファヨンに背を向けて反対方向に歩き出した。ホ内官もまた王の後をついてくる。
 ファヨンは無表情に遠ざかってゆく王の後ろ姿を見送った。

 その少し後、就善堂に珍客があった。崔特別尚宮が初めての挨拶に訪れたのである。
 チェ・ファヨンは美しかった。例えれば、眩しい陽光を浴びて真っすぐに立つ夏の花の風情だ。ファヨンは数人の女官をお供として連れてきた。その中の尚宮と年増の女官がファヨンと共にオクチョンの居間に通された。
 ファヨンは尚宮と女官に両脇から支えられ、上座に座るオクチョンに拝礼を行った。
「禧嬪さまにはお初にお眼にかかります」
 拝礼の後、深々と頭を垂れ、ファヨンは文机を間にして下座に座る。
「よく顔を見せてくれましたね」
 オクチョンは年長者らしく寛大に言う。
「禧嬪さまが歩けば庭園の花たちも恥じらってうつむく、世間では皆、そのようにお美しい方だと噂しております。私こそ、禧嬪さまにお目通り叶い、嬉しうございます」
「それは、そなたの買い被りすぎというものであろう」
 オクチョンが軽くいなせば、ファヨンは真剣な面持ちで言った。
「そのようなことはありません。実際にお会いしてみて、噂は偽りであったと知りました」
「なに?」
 鷹揚なオクチョンも流石にこの無礼な発言に眉をひそめたのだが―。ファヨンは微笑んだ。
「花の美しさなど問題になりません。禧嬪さまの輝くような美貌は、天に輝く太陽でさえ眩しがって雲に隠れてしまうようです。ゆえに、噂ほど当てにならぬものはないと存じました」
「これはまた大仰な物言いだな」
 オクチョンが笑い、ファヨンも笑った。錫を転がすような澄んだ声音だ。容貌だけでなく声でさえも涼やかで、人を魅了するようだ。
 対面は無事に終わった。オクチョンは、挨拶の土産物を持参したファヨンに返礼として翡翠の帯飾りを賜った。
 ファヨンが帰った後、オクチョンは文机に肩肘をつき、茫漠としたまなざしをあらぬ方に漂わせた。
 オクチョンはこれまで、第一印象で他人に好悪の感情を持ったことはない。しかし、あの女―チェ・ファヨンは一目見て嫌な女だと思った。それは何もスンの寵愛を横から奪ったからだけが理由ではなかった。
 何というのか、言葉にするのは難しいけれど、あの眼が嫌なのだ。まるで下から窺い見るような掬い上げるような視線に寒気が走る。かといって卑屈な感じではなく、むしろ、あの眼は傲岸とさえ言って良い。
―やれるものなら、やってごらん。
 あの眼は、そう言ってオクチョンをせせら笑っている。
 年だけでいえば、今年、十八歳になるというファヨンはオクチョンより十二も若い。だが、あの娘の眼は到底、十八そこらの小娘のものではなかった。短いやりとりの中にも、油断のならぬ抜け目なさと狡猾さが見え隠れしていた。
 オクチョンを一旦は動揺させ、次の瞬間には見事なまでに鮮やかに形勢を逆転させた。あの切り返しは並の人間にはできない。
 どこか前王妃―仁敬王后を彷彿とさせるが、狡猾さにおいては比べようもない。所詮は前王妃はお嬢さま育ちだった。ファヨンはムスリ出身だという。しかも、西人派の筆頭、左議政ク・ソッキがファヨンの聡明さを見込んで、養女にしたという専らの噂だ。