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炎の王妃【チャンヒビン】~月明かりに染まる蝶~・第三巻

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 仮にも言い訳にこの国の王を使ったのだ。そして、仮に最下級のムスリとはいえ、?王の女?と見なされる後宮の女官が他の男と密通したとなれば、重罪である。軽くても鞭打ち、最悪は処刑もあり得た。
 大殿尚宮はこの時点で、粛宗がファヨンを知っていたことに愕いたようではあったが、それでもまだムスリが言い逃れに畏れ多くも粛宗を出したとしか思っていなかった。
 或いは身の程知らずの憐れな女がついに頭がイカレてしまったのだとも。また、それが後宮で暮らす女たちの想像力というか常識の限界であった。幾ら後宮内といえども、最下級のムスリの行動範囲は王の視界内をはるかに逸脱している。普通、ムスリが王に見初められることなどあり得ない。
 粛宗は急ぎ足になった。どういうわけで、あの女が自分の正体を知っていたのかは判らない。けれど、仮にも拘わりのあった女がこのまま処刑されてしまうというのは彼自身、後味が悪かった。
 小走りでムスリたちの暮らす宮に飛び込んできた王を、監察尚宮は呆気に取られて見つめた。
 その瞬間、まさにファヨンは縦長の台にうつぶせの形で括りつけられ、監察尚宮はムスリに向かって鞭を振り下ろそうとしているところだった。
「止めよ!」
 張り上げた粛宗の声はその場に響き渡った。滅多と声を荒げない王の怒声に、監察尚宮以下、その場に居合わせた女官たちは皆、一様に恐れおののき、うなだれた。
「何ゆえ、このようなことを致しておる」
 王の問いかけに、振り上げた鞭を握りしめ、監察尚宮が畏まった。
「この慮外者が滅多なことを申すからにございます」
「滅多なこと、とは?」
 そこで、粛宗が自分が完全に墓穴を掘ったことを悟った。
 台にくくりつけられたファヨンが彼の声に呼応するかのように叫んだのである。
「殿下、お願いでございます。昨夜、私の許でお過ごしになった殿方は国王殿下ご自身であると真実をお話しになって下さいませ。さもなければ、私は殺されてしまいます」
 そのひと言に、その場が凍り付いた。更には沈黙の後は、低いどよめきがさざ波のように走り抜けた。
 監察尚宮が細い眼を零れんばかりに見開き、粛宗を見た。
「では、殿下。この者の申し様に偽りはないのでございますか?」
 粛宗は内心、しまったと臍を噛んだ。
 咄嗟にファヨンを見るが、ムスリは眼を閉じているだけで、その表情からは思惑も知れない。だが、彼女が何か思惑があって粛宗に近づいたのは今や明白だ。
 監察尚宮が再度伺いを立てた。
「殿下。この者の言葉は真実(まこと)にございますか?」
 粛宗は躊躇った。ここで否と否定すれば、あの娘は後宮の掟によって裁かれ、十中八九、絞首刑になるだろう。ただ男と通じただけではない。畏れ多くも国王を出しに使ったのだ。姦通罪の上に不敬罪も加えられるに違いなかった。
 あの娘を救うには、王である自分が?諾?と応えるしか道はない。だが。
 粛宗は深い息を腹から吐き出した。少しく後、言葉を投げ出すように言った。
「本当だ。朕は昨夜、あの者の室にいた」
 監察尚宮が息を呑んだ。次いで、矢継ぎ早に言う。
「あのムスリの処遇は、いかが致しましょう。仮にも殿下のお手が付いた者をムスリのままにしておくことはできないと存じますが」
 こう来るだろうと思った。粛宗は今、自分が罠にかけられた野ウサギになった気分だった。黙り込む粛宗の顔色を窺うように、監察尚宮が続ける。
「特別尚宮に任ぜられますか?」
 粛宗は完全に退路を断たれていた。ここでまた否といえば、あの女は後宮中の笑いものになるだけだ。国王の気まぐれで慰みものにされ、一夜で飽きて棄てられた―。今日中には、そういう噂が後宮中の至る場所で囁かれることになる。
 監察尚宮がここで余計な問いを出してこなければ、粛宗があの娘の処遇について今すぐにここで決断を迫られる必要はなかった。
 ?王の寝所に一度だけ侍った女官?を穏便な形で人知れず退宮させることは、後宮では珍しくはない。しかし、衆目の面前で迫られては、あの娘の体面を守ってやるためには、彼は頷くしか余地ははなかった。
「良きに計らえ」
 粛宗はひと言言うと、踵を返した。ホ内官が慌てて後を追ってくるが、振り向く気もしなかった。
 何故、親切心で腹痛を起こしたムスリを助け、介抱してやったことがこうまで裏目に出たのか?
 彼は王妃とオクチョンの他に、妾妃を持つつもりはなかった。その彼の後宮に意外な形で飛び入りすることになったチェ・ファヨン。
 あのムスリは明らかに彼の身分を―国王であることを知って近づいたのだ。だとすれば、あの腹痛やしおらしく泣いた様もすべては演技であったやもしれない。
 ムスリの室を出る際、十分に気を付けたつもりであったが、室を出たところを他のムスリに見られ、通報された。一見、筋が通っている言い分のように聞こえるけれど、大方はファヨンがわざと眼に付くように―勘繰れば自分から口が滑ったふりをして仲間に喋ったとも考えられる。
 一体、何の意図があって自分に近づいたのか? 考えられる理由としては、彼自身の地位―国王という立場ゆえだろうが、単なる打算だけで、ここまで大それた行動を起こすものだろうか。
―俺としたことが、してやられた。
 あの可憐な外見と芝居役者顔負けの演技で完全に騙された。
 粛宗は暗澹とした想いで大殿への帰路を辿った。
 
 粛宗が新しい女を寝所に召した。その報せは忽ちにして後宮ばかりか宮殿中にひろがった。
 その噂は当然、オクチョンの許にも届いた。それを知ったときのオクチョンの打撃は計り知れないものがあった。粛宗が連日、王妃の許に泊まっていたときより、更なる衝撃が彼女を襲った。
 粛宗の寵を受けた新たな女は、ただちに承恩尚宮に任ぜられた。これまでの前例からすれば、幾ら王のお手がついたとしても、数度は夜伽を務めてから任ぜられるのが通例だった。しかし、今度の女は初めて召された翌日にはもう、後宮に加えられるという特別な計らいである。
 これだけ見ても、粛宗の寵愛がいかに厚いか知れた。
 しかも、その女は後宮女官といっても、最下級のムスリだというではないか。常識からいけば、ムスリが立ち働く場所に国王が立ち入るはずはなく、何故、その女と粛宗に接点があったのか。誰もが不思議に思ったが、要するに、それだけ新しい女が王の眼に止まり得るほどの美貌だということなのだろうと納得した。
 粛宗がのっぴきならぬところまで追い詰められていたその日の夕刻、オクチョンはミニョンを連れて庭園に出かけた。
「まったく、殿下もお眼が曇られたとしか言いようがありません」
 ミニョンはまるで我が事のようにぷりぷりしている。
「ホ内官が浮気したわけではないのだから、何もミニョンがそこまで怒ることもないでしょうに」
 オクチョンが笑いながら言うのに、ミニョンは憤慨めいて言った。
「禧嬪さまは、よく暢気にお笑いになっておられますね。私だったら、このまま短刀を持って大殿まで殴り込みに行くかもしれませんわ」
 その物騒な言葉に、オクチョンは吹き出した。
「まあ、ホ内官もおちおち浮気なんてしてられないわねえ」
「禧嬪さまってば、本当に冗談ではありませんよ」
 ミニョンが呆れたように言う。