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炎の王妃【チャンヒビン】~月明かりに染まる蝶~・第三巻

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 ここ半月ほど、即ちオクチョンと濃密な一夜を過ごした後、粛宗が中宮殿に連日のように泊まっていたそもそもの理由は、王妃の体調芳しからぬことであった。むろん、そのときはまだ体調不良が?ご懐妊?のせいではないかと皆が思っていたため、粛宗もかなりの期待をしてはいた。
 泊まったとはいえ、褥を共にするわけではなく、心細がる王妃の隣で添い寝をするというのが真相だった。ただ、このことはミニョンでさえ預かり知らず、ましてやオクチョンが知ることもなかったのである。
 オクチョンの住まいを訪ねてもユンの顔を見ただけで忙しなく帰っていったのは、王妃の容態がかなり悪化していたからだった。
「そう、か」
 オクチョンはミニョンの話を半ば他人事のように聞いた。王妃が妊娠していようがいまいが、最早、どちらでも良い。むしろ、オクチョンの中にわずかに残っている良心が、王妃の中に新しい生命が宿っていなくて良かったと囁いていた。
 思えば、十数年前、この池のほとりで大王大妃の哀しい恋の顛末を聞いたのだ。あの時、オクチョンは十七歳で、また大王大妃殿に仕える一女官にすぎなかった。
 大王大妃の腹心コン尚宮から聞いた話は、あまりに哀しく、壮絶な話だった。父親ほども年上の良人に十五歳で嫁ぎ、恋に落ちた大王大妃。しかし、仁祖王には当時、多くの側室がいて、年若い妻は見向きもされなかった。
 それでも良人をひたすら慕い続けたという大王大妃の若き日の恋に、オクチョンは涙さしぐまれた。
―大王大妃さまは、王さまに恋をされたのですね。
 蓮池のほとりで、コン尚宮にオクチョンは言った。あの時、オクチョン自らが恋に落ちたスンのことを思い浮かべたのは確かだが、よもや、スンが国王だとは想像だにしなかったのだ。
 今、奇しくも王に恋したという大王大妃の運命は、そっくりそのまま自分に重ね合わされるものだったのだとオクチョンは知った。
 王を愛するというのがどれだけ過酷なことか。それは愛した女にしか判らない。
 ただ権力や立身を求めるためだけに王の女になりたいと願うなら、こんなに苦しみはしない。王にどれだけの数の女がいようが、自分に富や名声だけ与えてくれていれば、後は知ったことではないと割り切れるだろう。
 だが、オクチョンは違った。嬪の位階も、世子の母という立場も要らない。もし、それらと引き替えにスンの心を永遠に自分だけのものにできるとしたら、歓んで、すべてを差し出すだろう。
―私はスンを愛し過ぎてしまったんだわ。
 オクチョンは涌き上がった涙を堪え、眼前の陽光に輝く蓮池を見つめた。
 邪魔者は消すしかない。本当に欲しいものは、指をくわえて眺めているだけでは手に入らない。
 あの女を二度と戻ってこられぬところまで、追い詰める。そして、愛する男の?一番?になるのだ。そう、他の誰でもない、この私が。
 涼やかな風が水面を渡り、頬を撫でる。オクチョンは気持ちよさげに眼を細めながら、緑の葉が茂った池を眺めていた。
 その表情は存外に穏やかだ。ミニョンと申尚宮は、まだその時、心優しいと信じていた女主人の胸に点った残酷な野望を知らなかった。
 オクチョンが薄く笑んでいたのは、王妃の懐妊が誤報だと判明したからだと思い込んでいたのである。

 ゆえに、その翌朝、オクチョンからとある人物を呼び寄せて欲しいと頼まれ、ミニョンは当惑した。
「ですが、禧嬪さま」
 このことは申尚宮には内緒にと付け加えられ、余計にミニョンの戸惑いは増した。これまでオクチョンがそんなことを言ったのは初めてだったからだ。申尚宮はオクチョンにとって母のようなものだし、ミニョンは姉のようなものだ―と、これは常々オクチョン自身が言っていた。
 その申尚宮を騙すような形で事を運ぶのは、いかに何でも気が引けた。だが、たっての願いと縋られれば、オクチョンに弱いミニョンはつい聞き届けてしまう。後にミニョンはそのことをどれだけ後悔することになるか。彼女自身もまだ思い及ばなかった。
 その朝、申尚宮は早くからオクチョンの遣いで張氏のオクチョンの実家へと赴いた。この頃、オクチョンの母が病がちだというので、清国渡りの妙薬を届けて欲しいとオクチョンに懇願されたのだ。
 ミニョンが件(くだん)の人物を連れてきたのは、昼下がりのことだ。
 派手な巫女装束の女は占い師で、まだ若かった。どう見ても二十歳前後というところだ。
「そなたがソルメの娘か」
 対面はオクチョンの居室で行われた。
「はい、さようにございます」
 相手は正一品の嬪、しかもこの国の世子の母である。巫女はその場に土下座し、顔を上げようとしない。
 オクチョンは重ねて問うた。
「苦しうない。顔を見せてくれ」
 巫女がおずおずと顔を上げると、オクチョンは鷹揚に頷いた。
「おお、確かにソルメによく似ておる。そなたの名は?」
「ウォルメと申します。禧嬪さま」
「ウォルメ、そなたの母のことは気の毒であった。ソルメは、私のために犠牲になったようもの、済まぬ」
 世子さまの母君に丁重に頭を下げられ、巫女は瞠目した。慌てて額を床にすりつける。
「滅相もないことにございます。巫女はその役目柄、仕事で生命を失うこともあります」
 その科白に、オクチョンは問いかけた。
「それは何者かに生命を狙われるということか?」
 いえ、と、ウォルメは控えめに否定した。
「そうではございません。確かに母のように口封じで生命を奪われる場合もありますが、自身の祈祷が上手く行かなかったときも、生命を失います」
 オクチョンは身をわずかに乗り出した。
「もう少し詳しく聞かせてくれ」
「はい。私の申し上げますのは呪い返しというものにございます」
「呪い返し」
 呟くオクチョンは、何か不穏な響きのある言葉に膚が粟立った。知って知らずか、ウォルメは淡々と続ける。
「何者かを呪う祈祷が失敗すれば、占い師のみではなく、祈祷を頼んできた依頼主にも呪い返しは及びます」
「―」
 オクチョンは黙り込んだ。ウォルメは、それ以上は触れず、話を元に戻した。
「いずれにせよ、母はそれらを承知で占いを生業(なりわい)としておりました。悔いはないと存じます」
「そのように娘のそなたが申してくれて、私も幾ばくかは心が軽くなるようだ。だが、それだけでソルメの無念は晴れず、憐れな魂は浮かばれまい。ウォルメ、そなた、母の敵(かたき)を討ちたくはないか?」
 ハッとウォルメが固唾を呑む音が室を満たすしじまにやけに大きく響く。
 オクチョンは手でウォルメを差し招いた。
「これへ」
 ウォルメが恐る恐る膝をいざり進めれば、オクチョンは?もっと近う?と更に手招きした。オクチョンが占い師に何を言ったのか、側に控えるミニョンには聞き取れなかった。
 オクチョンはウォルメの耳に花のような唇を寄せ、数言ほど囁いただけであった。後は袖から一枚の薄い封筒を取りだし、ウォルメに渡した。
「下がって良い。後は、こちらから連絡があるまでは、一切、動くな。ましてや私と関わりがあると他に知られてもならぬ。そなたが他言することもまかりならん、良いな」