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炎の王妃【チャンヒビン】~月明かりに染まる蝶~・第三巻

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 あのときの百官のオクチョンを見つめるまなざしは忘れようとしても忘れられるものではない。愕きの次には耐え難いほどの侮蔑が壇上に立つ自分へ向けられてきた、あの瞬間。
 事の起こりは実に呆気ないものだった。ユンの立太子が本決まりになったとオクチョンに知らせたのは他の誰でもない、粛宗―スンその人だった。
 オクチョンがどれだけ歓ぶかと意気揚々とやってきたスンは、正直、母親を喪ったばかりだとは思えないほどの浮かれ様であった。オクチョンが伝え聞く限り、スンは母の死を身も世もないほど嘆き、大殿にも戻らず亡骸に付き添い続けたという。
 本来なら、嬪という正室に準ずる高位の側室にして唯一の王子の生母という立場ゆえに、オクチョンは大妃の弔問に真っ先に駆けつけるべきであった。けれど、故人がどれだけ自分を憎んでいたかを知るオクチョンは、弔問には敢えて行かなかった。
 代参に申尚宮を差し向けたのだが、そのことがまた非難の的となったのだ。
―殿下の母君の崩御に際して弔問にも訪れぬとは、何さまのつもりであろう。
 禧嬪張氏の増上慢がここでもまたひとしきり取り沙汰された。
 オクチョンは、とんだお笑いぐさだと内心、笑ったものだ。大妃が我が身を嫌っていたのは知っている。一度は宮外に追い出されたばかりか、前王妃呪詛というありもしない罪を着せられ生命まで奪われるところだったのだ。そこまで嫌われていたオクチョンが今更、殊勝な顔で弔問にいって、大妃が歓ぶはずがない。むしろ、勝ち気な大妃のことだから、オクチョンへの怒りのあまり、あの世から舞い戻って生き返りそうだ。
 もっとも、生き返れば、それはそれでスンは歓ぶだろうが。そこまで皮肉げに物を見ずにはいられないほど、大妃には虐げられた。何も悪いことをしたわけでもないのに、スンに愛されたというだけで一方的に憎まれ貶められたのだ。
 ゆえに、オクチョン自身に大妃の死に対して片々たりとも哀しみはない。愛する男の大切な母親だから、むろん、歓びはしない。そもそも人の不幸を歓ぶという思考回路自体がオクチョンにはない。
 母を喪ってのスンの悲嘆ぶりは知っていたから、十日ぶりに訪れたスンが意外なほど元気なのに、かえってオクチョンは愕いたほどだ。それでも仮にも姑に当たるひとなので、型どおりのお悔やみは述べた。
 が、スンはお悔やみもそこそこに、いきなりユンの世子冊立の話を始め、オクチョンを愕かせた。
 まあ、そこまでは良かった。スンがどれだけ哀しみに沈んでいるかとむしろ心配していたのだから。だが、突然、世子冊立の話を始めたかと思えば、次は王妃の話ばかりが続いた。本人は恐らく意識してはいないのだろうが、とにかく、?中殿、中殿?と王妃のことばかりだ。
 ただ、その話は殆どが大妃の通夜や、葬礼に関することばかりだった。自分は大妃に嫌われていたからと弔問にも行かなかったのだし、王妃は正室なのだから、こういった儀礼の場合も王妃がスンと一緒に喪主を務めるのは当然だ。ゆえに、二人が共に時間を過ごすのも何も色めいた理由があるからではない。
 にも拘わらず、何故か、スンの口から?王妃が、王妃が?と出る度に、オクチョンは嫌な気持ちになった。母の死でうちひしがれていたというスンがここまで短期間で元気になったのも、その裏には王妃の存在があるように思えてならない。
 現にスン自身が
―中殿がいてくれたお陰で、哀しみを乗り越えられた。
 はっきりと明言したのだから、間違いはないのだろう。
―側妾の許に行った時、正室の話は禁物よ。
 できれば言ってやりたいが、流石にそれはできなかった。スンはこの国の王だし、ましてや、国王でなくても妾にそんなことを言われて歓ぶ男はいないだろう。
 だから、オクチョンもつい意地になってしまった。世子冊立の儀式で壇上に立つ順番の話になった時、つい強い口調で言ってしまったのだ。
―ユンを抱くのが中殿さまだなんて、おかしいわ。
 理性的に考えれば、国王たるスンが中心で、その隣が王妃、更に次がオクチョンというのが妥当だろう。更にいずれユンの嫡母になる王妃がユンを抱くのも筋が通る。けれども、あまりにスンが王妃の話を嬉しげにするので、オクチョンも意固地になった。
 オクチョンの指摘に、スンは鼻白んだ表情を見せた。
―それぞれの立場を考えれば、それが妥当な気がするがな。
 オクチョンは更にいきり立った。
―それぞれの立場って、どういう意味? 中殿さまが正室で、私がただの妾にすぎないっていうこと? 妾妃だから、我が子を腕に抱く資格がないとでもいうの!
 悔しさに涙さえ滲ませて、オクチョンは抗議した。
―そういう意味ではない。そなたを貶めようとしたわけではないんだ。気分を害したのなら、悪かった。誤解するな、オクチョン。
 スンはすぐに謝ってくれた。それでも、オクチョンは意地を張り続けた。本来なら、ここで引くべきだったのだ。スンは誰にでも区別なく話しかけ親しみやすい王として知られてはいるが、国王としての決断をするときはむしろ容赦ない王として知られる。
 長年仕えてきた臣下であっても、ひとたび逆鱗に触れれば免職してしまうほどの激情家でもある。そんなスンがオクチョンには今も昔と変わらず、素の顔を見せて、オクチョンが泣いたり拗ねたりする度に?ごめんな?と、あっさりと謝罪する。
 それが傍目には
―国王さまは禧嬪張氏には甘い。
 と映じているかをオクチョンだとて知らぬわけではないのだ。
―もう、良い。今日だって、スンは来るなり、中殿さまのことばかり。私だって本当は大妃さまの弔問には行きたかったのに、大妃さまが私をお嫌いになっていたからこそ行かなかったのよ? 
 どうやら大妃の話を出したのがまずかったらしい。スンは綺麗な眉をつり上げた。
―何故、ここで母上の話が出てくる。今更、そなたと母上の話はしたくない。
―私は大妃さまの話をすることも許されないの? どうして? 私が大妃さまと言えば、大妃さまのお名が穢れるからでしょう。スンも大妃さまと同じね。心のどこかでは私を奴婢だと軽んじていたんだわ。
―母上はもう亡くなられた。死んだ人を悪く言うのか!
 こうなると、水掛け論だ。ああいえばこういうで、結局、スンはそれからほどなく怒って帰っていった。その日は、保母尚宮が連れてきたユンの顔もろくに見なかった。
 オクチョンはスンが帰った後、一人で泣いた。
―大妃さま、大妃さま、大妃さま! あのお方は死んだ後まで息子を支配して、私を苦しめるのね。
 しかも、オクチョンには怒りにまかせて大殿に戻ると宣言したスンは、真っすぐに大殿には戻らず中宮殿に立ち寄ったという。
―スンの嘘つき。
 ミニョンから事の次第を聞かされたオクチョンは大泣きに泣いた。しかも、彼はあろうことか、王妃にオクチョンとの口論まで喋ったらしい。顛末を聞いた王妃はスンに、
―禧嬪の申し分にも一理あります。
 と、オクチョンの言い分を通してやってはと進言した。つまり、世子冊立の儀式の当日、ユンは生母オクチョンに抱かせようということである。
 王妃の寛大な心に、スンはいたく感動し、話はあっさりと決まった。壇上に並ぶ順番はそのままに、ユンを抱くのはオクチョンとなった。