WEATHER REPORT
まるでプレゼントを貰った子供のように楽しそうなメイヘムを見て、リカードは素直に喜びを感じた。このような時でしか彼女の純粋な笑顔はお目にかかれないからだ。
「まぁ立ち話もなんですから、河岸を変えましょう。そこで詳しい経緯を御説明します」
「それもそうだな。どこか案内しろ。できれば静かに酒が飲めるところにな」
「ホワイト・ヘブンの方に行けばバーは腐るほどありますよ。一軒馴染みの店がありますから、そこに御案内します」
私を失望させるなよ、とメイヘムが付け足し、二人は港を後にすることにした。再び駐車場まで引き返したところで、メイヘムが顔をしかめた。リカードの愛車を指差し、
「お前まだこんなのに乗ってるのか? 相変わらず車の趣味が悪いぞ」
「こんなのとは随分ですね。僕の大事な相棒ですよ」
相棒たぁ何だ、とでも言いたげな調子で、
「私はアメ車ってのは昔から大嫌いなんだ。無闇にデカイし、うるさいし、燃費悪いし、髪が油っぽくなるから最悪だ」
口を極めて罵倒の限りを尽くされたが、リカードの立場として反論は許されない。
「もう一台あるんです。そっちは日本車ですから」
面倒なのでとくに反論もせず乗るよう促した。メイヘムは、ふん、と鼻を鳴らしつつもおとなしく乗り込んだ。
港を出てしばらく走ったが、その間二人に会話は無かった。久々の再会で気まずいというわけではない。二人はあることに気づいているからだ。あえて口に出すのも野暮だ、と二人とも考えているようで、互いに相手が口火を切るのを待っているのであった。沈黙合戦がもうかれこれ十分程続いている。間の悪いことに先ほど点けたカーラジオからは「恋人とのドライブでどんな会話をすると良いか」ということについての相談が流れていた。リカードは常人とは比べものにならないほど忍耐に長けた男である。何時でも沈着冷静を身上としているのだが、どうもメイヘムと二人きりの時はそうもいかないらしい。しかし気付いていることの中身は二人にとっては大した事ではないのだからだんまりを決め込んでいても問題は無いのである。それでもついミラーを見やる振りをして、助手席のメイヘムをちらっと見ると、やはりこちらの視線に気付いているようで、頬杖をつきながらにやにやと嫌味な笑みを浮かべている。負けましたよ、と言わんばかりに息を吐き、口を開こうとした時、
「言うまでもないがな、お前も気付いているだろう。尾けられてるな、さっきから。港を出てからずっとだ。一台、いや、二台か。しつこくくっついて来てやがるぞ」
と、先にメイヘムが口火を切った。全く、と呟いてから
「港からじゃぁないです。事務所を出た時からずっとですよ」
と、答えた。メイヘムはシートを倒しながら気だるそうに、
「ならさっさと言え。面倒ってのは早いうちに片付けるのが基本だ」
と、言ってから煙草に火を点けた。
「別にちょっかいかけてくる様子も無かったものですから。こちらから仕掛けるのも面倒でしたし」
「その様子だとお前相手に目星がついてるな」
リカードは頷いた。追跡者の正体は恐らく新手のコリアンマフィアだろうというのが彼の予想だった。ホワイト・ヘブンから目と鼻の距離の所に「エイシャ」と呼ばれる東洋人街がある。日本人や移民が入り混じる中で、様々な組織が凌ぎを削っていたのだったが、そこに最近新手の勢力が台頭してきたという話をリカードは耳にしていた。
日本の首都移転から程なくして、北の狂った独裁者政権は多国籍軍によって打倒され、朝鮮半島は統一を果たした。それに伴い社会の大きな変動に対応出来ない者たちの多くが難民として国外に流出したのであった。そのなかにはかつては抑えられていた悪人たちも多分に含まれていた。エイシャは基本的にはチャイニーズマフィアや香港マフィアが多数派であったが、最近になってコロンビアの勢力と手を組んだとあるコリアンマフィアが市場を求めて日本進出を狙っているという話だった。半島では麻薬の取り締まりが強化されたからである。
煙を吐きつつメイヘムは尋ねた。
「話は大筋飲み込めたが、そこでなんでお前が尾けられるんだ?」
「僕が幾つかの組織と仕事をしたことがあるからでしょう。ライバル組織御用達のヒットマンがどんなやつかを知りたいんですかね。知ったところでどうなるとも思えませんが」
「全くだ。我々についていくら調べたところでマフィア風情が理解できるとは思えん」
リカードは苦笑しつつ、そうですね、と頷いた。二人は普通の人間ではなかった。正確にはメイヘムは完全に、リカードは半分人間ではなかった。
「で、どうする? 私はまとわり付かれるのは嫌いなんだが」
「湾岸線に入ったら振り切ることもこの車なら十分可能です」
リカードは先ほど愛車を馬鹿にされたのを忘れてはいなかった。しかしメイヘムは全く気にした様子もなくリア・シートを覗き込みながら、
「随分上等なモンが転がってるじゃないか。なに、AK47にグレネードランチャーまであるのか。これを使わない手はないんじゃないか」
「そいつらは勘弁して下さいよ。多田さんに頼まれて買っといたやつなんですから」
「なら全く問題なかろう」
「怒られるのは僕なんですよ。第一あなたには重火器は必要ないように思われますが」
「わかった、わかった。ったく、帰ってきて早々運動する気にはなれないってのにな」
と言いつつ、メイヘムは両腰のホルスターからコルト・ガバメントを引き抜いた。
「やる気満々じゃぁないですか」
「合図したらルーフを開けろ。直接飛び付いてぶっ潰してやる」
リカードは頷きアクセルを踏み込んだ。長い直線が続く湾岸線に乗ってから仕掛けることにした。こちらが速度を上げるのと同時に追跡者も速度を上げてきたようだった。車間距離がどんどん詰まってきている。
「まだか?」
「もうじき合流です。あと百、……五十……、合流しました!」
「開けろ!」
叫ぶと同時にルーフが開き、メイヘムがばっと姿を現した。黒髪を夜風になびかせながら、
「深夜のショータイムってとこかな。しゃあっ!!!」
叫びとともに飛んだ。この猛スピードの中では黒い鳥の様だっただろうか、そのまま敵車のボンネットに飛び乗った。
「おわっ!」
追跡者たちも驚かずにはいられなかった。まさか、と彼らも思ったに違いない。しかし、ダン、という音とともに目の前に着地した敵を目の前にして、すぐに現実に引き戻された。
「くそったれが!」
悪態を吐きつつ後部座席の二人は窓から身を乗り出し撃とうとした。しかし次の瞬間、
「ど阿呆が」
メイヘムは呟くのと同時に、右手の銃で運転席に二発打ち込み、銃声が鳴り終わるより早く左手の銃で二人が構えるより先に二発撃った。残酷なくらいに正確な射撃である。声を上げる間も無く後ろの二人は頭をぶち抜かれた。時間にすれば数秒に満たなかっただろう。あっという間に死体が三つ出来上がったのだった。
狙いをつけられないうちに間髪を入れず運転席に手を突っ込み、急ハンドルを切ってもう一台に体当たりを喰らわせる。さすがに焦ったのか、照準など知ったこっちゃ無いと言わんばかりに無茶苦茶に撃ってくる。
作品名:WEATHER REPORT 作家名:黒子