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炎の王妃【チャンヒビン】~月明かりに染まる蝶~・第二巻

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「これだけ苦しんだ末に産み落としたのがおなごであったとは」
 だが、粛宗は母の言葉は無視し、汗に濡れた妻の頬にそっと触れ、乱れた髪を撫でた。
「可愛い女の子だそうだ。ゆく末はきっと、そなたに似て美しい娘に育つであろう。愉しみだ」
 そのときだった。
「大妃さま」
 赤児を別室に連れていった尚宮が蒼白な顔で大妃を呼んだ。
「何事だ」
 どうやら初孫の誕生の歓びよりは、産まれたのが女児であったことが不満らしい大妃である。呼ばれて不機嫌な声で応じ、招かれるまま別室へと赴いた。
 産湯を終えたばかりらしい赤児は、白絹の産着を着せられ、おくるみに包まれていた。
 つぶらな瞳は閉じられ、眠っているかのようだ。大妃は初めて対面する孫を目の当たりにして、少し機嫌を直した。
「おお、このように綺麗なややは見たことがない。やはり血は争えぬな。主上の産まれたときにうり二つだ」
 相好を崩し、両手を差しのばした。
「どれ、ばばさまにも抱かせて下され」
 と、赤児を抱いていた中年の女官がすすり泣いているのに気づいた。この女は既に王妃が懐妊中から保母尚宮に決まっていた者である。氏素性も確かであり、産まれたばかりの赤児もいることから、乳も豊かに出る。人柄も健康状態も当代国王の第一子の乳母として申し分なしと選ばれた女だった。
 保母尚宮は王女を抱いて、静かに涙を流している。大妃は不穏な予感に胸の鼓動が速くなり、傍らに控える年配の尚宮を見やった。
「このめでたき日に、何故、この者は泣くのだ? すぐに止めさせよ」
 産婆も務めた尚宮はその場に跪いた。
「畏れながら大妃さま、王女さまは先ほど息をお引き取りになりました」
「―!」
 大妃は言葉を失った。いつものように自分が発作を起こして倒れるのではないかと思ったが、今日ばかりは意識をちゃんと保っていた。あまりに衝撃が大きすぎて、意識を失うことさえできないのかもしれない。
 大妃は保母尚宮から赤児を抱き取った。小さな愛らしい口元に耳を寄せれば、確かに息づかいは感じられなかった。改めて見つめれば、愛らしい児だ。これまで嫁いだ娘が生んだ孫も見た。お世辞ではなく、こんな美しい赤児は初めてなのに、この子はもう既に生きてはいないという。
 ちょと見には眠っているようにしか見えない。ひと月近い早産にも拘わらず、しっかりと育っているようで、さほど小さくもない。早く生まれ落ちた子だ言わなければ、判らないだろう。
 なのに、この子はもう息をしていない。
 大妃は足下から大地が音を立てて崩れ落ちるような気がした。孫を抱いたまま、なすすべもなく立ち尽くしていると、粛宗が待っていられなかったかのようにやってくる。
「母上(オバママ)、焦らさないで早く我が娘に逢わせて下さい」
 王が母の傍らに佇んだ。
「何と赤児がこのように愛らしきものだとは今まで考えたこともなかったが」
 十九歳の若い父親は、素直に感嘆混じりの吐息を洩らす。だが、待望の初孫を腕に抱いたにしては、大妃の顔色は今ひとつ冴えない。
 王は母の顔色を窺うように見た。
「母上、いかがなされましたか?」
 大妃が蒼白なのを誤解した王が語調を荒げた。
「女であろうが、この子が私の娘であることは変わりません。王室の血を引く王女です」
「いえ、そうではないのです、主上(チユサン)」
 大妃は腕を伸ばし、王の方へと赤児を近づけた。
「抱いておやりなされ。この世の光を存分に見ることも叶わず儚くなった可哀想な子ですから」
「え?」
 最初、王は大妃が何を言っているのか、理解できなかったようである。切れ長の眼(まなこ)をわずかにまたたかせ、再度、母の顔をまじまじと見つめた。
「今、何と仰せでしたか、母上」
「王女は、この子は既に亡くなっているそうです」
 大妃は自分自身も認めたくない事実を仕方なく受け入れるかのように、ゆっくりと繰り返した。
 刹那、王の口から迸るような悲痛な叫び声が洩れた。
「―嘘だ」
 みじかいしじまの後、大妃が重い口を開いた。
「嘘ではありません。この子は息をしておらぬ。保母尚宮だけでなく、産婆も確かめています」
「嘘でしょう、母上。この子はこんなに愛らしいのに、見て下さい」
 王は大妃から我が子を抱き取り、改めて王女の顔を見た。
「こんなに安らかな顔をしているではありませんか。ただ眠っているだけですよ。この子が死んでいるなんて、そんな馬鹿なことがあるはずがない。御医っ」
 滅多と声を荒げない王に叱責されるように呼ばれ、片隅にうなだれていた御医が恐る恐る進み出た。
「王女が亡くなっているというのは真なのか?」
 御医がその場に跪いた。
「どうぞ私を死罪に処して下さいませ、殿下」
 王は室内を虚ろな眼で見回した。誕生後、保母尚宮を務めるはずだった女は身を揉んで泣いている。その他の女官たちも皆、静かに慟哭している者たちが多かった。
 その風景が王に我が子のあまりにも早すぎる死を現実として受け入れざるを得なくさせた。
「天は何と惨いことをなさるものよ。私が代わってやれれば良かった。先王殿下にも先立たれ、最早役立たずの年寄りでしかない私がこの子の代わりに召されれば」
 大妃は涙を流し繰り返した。
 王も瞳を潤ませて呟いた。
「どうやって中殿に伝えれば良いというのだ。あれほど苦しみ抜いて、やっと産み落とした我が子であるというのに」
 大妃が気丈に言った。
「私が伝えましょう。やはり、女同士、こういうことは義母(はは)たる私が話すのが良い」
「いえ」
 王がゆるりと首を振った。
「中殿は私の子を産んでくれたのです。私はこの子の父であり、中殿は母だ。私が良人として妻に話すべきでしょう」
 王は王女を抱いて産室に戻った。
 いまだ産褥に横たわる王妃は長い出産に疲労の色が濃い。それでも、王が産まれたばかりの我が子を抱いて戻ると、疲れ切った瞳にかすかな光が点った。
 王妃は王が枕辺に座るのももどかしく訊ねた。
「殿下、吾子の顔を見せて下りませ」
 王はかすかに微笑んだ。
「そなたと私の子だ。とても美しい子だな。きっと、そなたに似たのだ。つつがなく生い立っていれば、きっと男泣かせの娘になった。私はこの子の父親として、宮殿前に列を成す求婚者どもを蹴散らしてやりたいと思ったことだろう」
 王妃は赤児の寝顔を眺めながら、うっとりと王の言葉に聞き入っていた。彼女がつと顔を上げた。
「殿下、今のお言葉はどういう意味ですか? つつがなく生い立っていれば―とは」
 そこで王妃の言葉がはたと止まった。
「まさか」
 王妃が王の腕に抱かれた赤児を凝視した。
「吾子は」
 王妃は最後まで言おうとしなかった。口にしてしまえば、最愛の我が子の死が厳然たる事実になるのだとでもいうように。
 王は優しい声音で言い聞かせるように言った。
「王女は天に還(かえ)った」
「そんなまさか」
 王妃の美しいかんばせが驚愕と恐怖に凍り付いた。
「そんなはずがない」
 王妃は素早い身のこなしで上半身を起こした。到底消耗しきったとは思えないほどの速さである。腕を差し出した妻に、王は赤児をそっと抱かせてやった。
「お、お」
 王妃は何か言おうとしても声にならず、ただ意味のない呟きを繰り返している。