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炎の王妃【チャンヒビン】~月明かりに染まる蝶~・第二巻

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 それにしても、と、オクチョンはひとしきり別の物想いに耽った。
―王妃は女の子を産む。されど、その赤児は長くは生きられぬ宿命。そして王妃も。
 ウルメは王妃の生年月日を見て、確かにそう予言した。短い言葉だが、相当に不穏であり、また聞き逃せない予言だ。
 憐れな。オクチョンは眼を軽く瞑った。まだこの世に生まれいでる前から、この世の日の光をそう長くは見られぬと予言された赤児が憐れでならなかった。
―そして、王妃も。
 あの言葉の続きも予言の流れからして、オクチョンにもおおよその想像はつく。しかしながら、真なのだろうか。
 スンにとっては待ち望んだ初めての子だ。もちろん、自分以外の女人が愛する男の子を産むと聞いて、オクチョンとて平静ではいられない。元々、自分だけを見て愛してくれる男との結婚を夢見てきたのだ。
 けれど、スンが国王だと知り、どんな望みよりも彼の側にいたいと願ったときから、オクチョンは大勢の女とスンの愛を分け合うことを受け入れた。今も到底その運命をすべて受け入れられたとは思えないが、少なくとも受け入れようと努力はしている。
 スンは王だから、いずれ王子を儲けねばならない。朝鮮には、この国を託す世子(セジヤ)となるべき王子が必要なのだ。現在、スンには王妃とオクチョンの二人が侍っているが、なかなか二人共に懐妊しなかった。そんな中、漸く王妃が身ごもったのだ。
 スンはオクチョンの心を思いやって、王妃が懐妊した歓びもあからさまにしないし、口にしたこともない。オクチョンがお祝いの言葉を告げたときも、
―やっと俺も人並みに父親になれそうだ。
 と、短く答えただけだった。しかし、その瞬間の抑えた表情にも物言いにも、若い父親となるスンの歓びが抑え切れず滲んでいた。
―私以外の女(ひと)がスンの子どもを産むのね。
 王妃の懐妊を知った時、オクチョンの胸は刺し貫かれるように痛んだ。当然だ、こんなにも愛しているのに、オクチョンには寝所に召されるようになって四年も経つのに、いまだに御子が授からないのだから。
 事実、オクチョンを後宮に納れてから、スンは王妃の許で夜を過ごすのはひと月に数えるほどになった。それもオクチョンに懇願され、仕方なく王妃の許に行くという有様である。そんな間遠な訪れでも、王妃は懐妊できた。オクチョンは人目をそばだてるほどの王の寵愛を受け、そのために
―国王殿下を夜ごと、寝所で誑かす妖婦。
 と、罵られるほどなのに、いっかな懐妊の兆しすらない。これほど情けなく哀しいことはなかった。
 ウルメのあの予言の続きは―。
―そして王妃も長くは生きられぬ。
 そう続くはずだったに相違ない。我が身がスンの子どもを産めないのは辛いに違いないが、間違っても他人の不幸せを、ましてや死を願ったことなどない。
 しかも、漸く待ちに待った我が子をその腕に抱けると王妃の出産を愉しみにしているスンの心根を思えば、ウルメの予言はむしろ今回ばかりは外れて欲しいと願わずにはいられない。
 ウルメがあの時、予言半ばで瘧にかかったように身震いし、気を失ったのも何となく理解できるような気がした。これが国王の妻、王妃の出産に拘わる予言でなければ、ウルメがあれほど取り乱すことはなかったのではないか。
 王妃の出産は、私事ではなく、国の未来をも揺るがす大事だからだ。更には国の母たる王妃の死は、ただ一人の人間が亡くなるというだけではない。出産と同様、この国を根底から震撼とさせる不幸に相違ない。
 オクチョンは深い息を吐き出し、放心したように宙を凝視(みつ)めていた。
 ミニョンにも告げたように、運命には人智の及ばぬ力が働いている。それは天意、或いは御仏の心ともいえるかもしれない。
 ミニョンに伝えた気持ちは真実(まこと)だ。オクチョンとて、女だ。惚れた男の子をその身に宿し産み、母となって愛し子を育てたい。その想いはむしろ人一倍強いかもしれない。
 それでも。愛する男の子を授かりたいという我が願いを叶えるために、天意に刃向かおうとは思わない。真にこの身がスンの子を授かる宿命なら、いつか必ずその日は来る。
 今は身も心も静かに過ごし、この国の王としてスンが政に打ち込めるように、彼が表で疲れて戻ってきたときには後宮が―せめてオクチョンの住まいが彼の憩いの場所となるように、彼の妻としてできるだけのことをするだけだ。
 それにしても、ウルメのあの予言は、あまりにも不吉すぎる。オクチョンはまた溜息を零し、見えない彼女自身の未来がそこにあるかのように、いつまでも虚空を見つめていた。

  不測の淵

 オクチョンと申尚宮の不安は的中した。ひと度は早い陣痛が来たものの、御医たちの尽力で事なきを得、王妃は無事、産み月を迎えた。そんな矢先、二度目の陣痛が襲ったのである。今度はどれほど手当をしても、最早進み始めた御産を止めるすべはなかった。
 御医たちは談合の末、出産を遅らせることは不可能と判断し、今は無事に出産を終えることを最優先すべきと結論を出した。
 王妃の身柄は産殿に移された。数日余りもの間、微弱な陣痛が続いても、赤児は一向に産まれる気配はないまま、日は徒(いたずら)に過ぎた。
 粛宗も王妃の許に駆けつけ、弱り切った王妃の手を握りしめ励まし続けたものの、王妃の衰弱は誰の眼にも明らかであった。
―何とかならぬのか。これほどに中殿が苦しんでいるものを。
 十九歳の王は瞳を潤ませて、御医たちに言った。しかし、彼等は顔を見合わせるだけで、応える言葉を持たなかった。既に考えつく限りの治療も投薬も行っている。後は赤児が自然に降りてくるのを待つしかなかった。
 陣痛は続いているが、さほど強くもなく、また赤児も自然に出てこられる状態ではないようだと御医たちは診ている。さりとて、状況そのままを王妃の出産を待ちわびている王に到底告げられるものではなかった。
―中殿さま、息んで下さりませ。
 お付きの女官たちが声をかける中、大妃も駆けつけて枕辺で王妃を激励する。
―中殿、おなごは皆、通る道ゆえ、そなたも頑張るのです。あと少しで良い、耐えなされ。
 王は男性なので、穢れを伴うとされる出産の現場に立ち会えない。粛宗は中宮殿前の庭で大勢の内官や女官と共に妻の無事な出産を願い、待ち続けた。
 産気づいて六日めの朝、漸く赤児が見え始めた。
「中殿さま、御子さまのおみ脚が見え始めました」
 経験者でもある年配の尚宮が気づき、声を張り上げた。逆子であることは既に判っていた。恐らくはそのために出産がかつてない難産になっているであろうことも察しはついていた。赤児が見え始めたことで、その場の雰囲気が少し明るくなった。
 四半刻後、王女誕生。
 赤児を抱き取った先ほどの女官がすぐに産湯を使わせに走り、王妃の信頼厚い筆頭尚宮が御殿の扉を開け、叫んだ。
「王女さま、ご誕生でございます」
 粛宗は殿舎の階を一段飛ばしで駆け上がり、妻の横たわる産褥に駆けつけた。
「よくやってくれた、中殿。苦しかったろう」
 初めて父となった王の顔は歓びに溢れるだけでなく、感激の涙に濡れていた。
 傍らには放心したような体の大妃が座っている。