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炎の王妃【チャンヒビン】~月明かりに染まる蝶~・第二巻

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「おお、何と可愛らしい子だ。中殿、この子の顔、主上の幼顔とうり二つだぞ」
 大妃は刹那、感極まったかのように声を詰まらせた。
「息子があのような女に誑かされ、見たくないものを見るまで長生きした我が身を責めたこともあった。されど、待ち望んだ孫をこうして腕に抱くこともできた。長生きも悪いことばかりではないのう」
 王妃が静かに言った。
「お言葉ですが、お義母上さま、その待望の王子を産んだのは他ならぬ禧嬪です」
「よもや、あの女が私の積年の望みを叶えてくれるとは、これも皮肉ななりゆきだ」
 大妃が王妃を見た。
「中殿、幾ら私があの女を憎もうが、このような孫まで産んだのだ。今更、主上とのあの女の仲を裂くつもりはない。さりながら、私の立場としては認められることと認められぬことがある」
 そのひと言に、王妃は愕然と大妃を見つめた。
「では、お義母さまは禧嬪をこれより先も認めるおつもりはないと?」
「さよう」
 大妃は当然と言わんばかりに言った。
「私は禧嬪のあの取り澄ました態度も嫌いだが、何より許せぬのは身の程を知らぬところだ」
「禧嬪の出自がお気に召しませんか」
「ああ、気に入らぬ。賤しい身分でありながら主上に取り入り、ついには王子を産んで嬪にまで成り上がった。私はこうなるのを何より怖れていた。ゆえに、一時、禧嬪を後宮から追い出したのだ」
「お義母上さま、失礼を承知でお訊ね申し上げます。国王殿下にとって、現在、この王子がただ一人の御子です。幸いなことに、禧嬪は王子を産み奉りました。将来、この子が世子となる可能性も高いと存じますが」
「認めるつもりはない」
 とりつく島もないほど、冷たい声だ。
 王妃は息を呑んだ。
「私とて人間だ。血を分けた孫は可愛い。さりながら、連綿と続いてきた王室の血を汚すことはできぬ。賤しい女の産んだ子を世子に立てるつもりはない」
「―」
 声もない王妃に、大妃は静かに言った。
「そなたには、私がさぞ情のない人間に見えるであろう。されど、それが王室を守る、いや後宮を束ねる王妃の誇りと意地なのだ。中殿、そなたはあまりにも優しすぎる。優しさが悪いとは申さぬが、いつか、その優しさがそなた自身の身を危うくするやもしれぬぞ。あの女狐に心を許すのもたいがいにせよ。賤しい身分から嬪にまでのし上がってきた女だ、菩薩のような仮面の下で何を企んでおるか知れたものではない」
「禧嬪は、大妃さまが思し召しているようなおなごではありませぬ。あの者は自分の立場をよう心得ておりまする」
 王妃が心から言えば、大妃は笑った。
「そなたはまだまだ若い。私は伏魔殿で何十年も生きてきたのだぞ。幸いにも、先王殿下は側室を持たれず、その点は恵まれていた。息子が妖婦に誑かされ、そなたには申し訳ないと思うている。さりながら、私はそなたと同じ正室であった。側妾の腹の内など端から見えておるわ。あの女を信ずるのは良いが、せいぜい足下を掬われぬようにな」
 奇しくも、かつて大王大妃がオクチョンに与えた苦言と同じ言葉をこの日、大妃は王妃に伝えたのだった。
 しばらく重たい沈黙が二人の間を漂っていた。
 意外にも、その沈黙を破ったのは大妃だった。
「とはいえ、それはあくまでも建前だ」
「建前、でございますか?」
 王妃が眼をまたたかせるのに、大妃は頷いた。
「女狐の産んだ子を認めはできないが、私がいなくなれば、後は私の知ったことではない」
「大妃さま、そのような不吉なことを」
 顔色を変える王妃を、大妃は片手を上げて制した。
「まあ、黙って話を聞け。そなたの言うとおり、主上には現在、この王子しか御子はおられぬ。されば、必然的にこの子が次代の王位を受け継ぐことにはなろう。私は自分がいなくなった後まで、認めぬと言っているのではない」
 その時、初めて王妃は大妃の真意を知った。大妃は言っているのだ。
 自分の眼の黒い中は、何があっても禧嬪の産んだ子を世子に立てる気はないが、死後は?認める?と。
 大妃がどこか遠い瞳になった。
「私は若い時分から、しばしば目眩と頭痛に見舞われることが多くてのう。最近、それがとみに烈しくなった。念のために御医に問いただしたのだが、もうさほど長うはないようだ」
「義母上さま! それは真ですか? 何か打つ手はないのでしょうか」
 心優しい王妃の動揺と心配は、かえって大妃の方が王妃を気の毒になるくらいであった。
「打つ手はないそうだ。中殿、思えば先王殿下が崩御され、私も長い年月を生きた。ここらで殿下のお側に行くのも悪くはない。ご存命であられるときは夫婦喧嘩もたくさんしたが、今思えば、ひたすら殿下が懐かしく慕わしく思い出される」
 王妃はハッとした。大妃は自分の余命が長くないことを知り、わざと?世子冊立?の話を王妃にしたのだ。もう長くは生きられないからこそ、?王室の血を守る?王妃としての意地と誇りを最後まで貫いて逝くと宣言したのだ。
 王妃は声を震わせた。
「国王殿下は、このことをご存じなのでしょうか」
「いいや」
 大妃は事もなげに否定した。
「主上に話せば、どうせ、あの女狐に筒抜けであろう。主上とあの女が二人で私の亡き後の算段を嬉々として話しておるところはあまり想像したくないでな」
 声もない王妃に、大妃は憑きものが落ちたように晴れやかに笑った。
「まあ、意地を張れるのもあとわずかということだ。年寄りがいなくなった後は、そなたら若い者が好きにすれば良い。私は禧嬪が嫌いだが、孫まで憎むつもりはない」
 大妃は腕の中の王子に優しい笑顔を向けた。
「主上は幼いときから聡明であったが、この子も顔立ちの秀でておること。ゆく末は聖君と呼ばれる王になられるに違いない。のう、中殿」
 その笑顔は紛うことなく、祖母が孫に向ける愛おしさに溢れた表情であった。
 王子をあやしつつ、大妃が王妃を見た。
「中殿、どのように心優しい者でも、子を持てば変わる。子のないそなたには残酷なことを言うようだが、母親の気持ちというのはやはり同じ親でなければ判らぬのだ。これから禧嬪はこの子を守るためなら、生命を賭け鬼にでもなるだろう。そのことを忘れぬようにな」
 大妃殿を後にした王妃の心は来たときとは裏腹に沈んでいた。いつになく心に鉛を抱えたように重い。
 王妃の物想いを敏感に察したかのように、腕の中の王子が泣き出した。王妃は慌ててあやしてみたものの、いっかな泣き止む風もない。
 顔を真っ赤にして泣く赤児に、王妃は心底弱り果てた。この子は禧嬪からの大切な預かりものだ。泣かせすぎて引きつけでも起こしたら、申し訳なくて禧嬪に合わせる顔がない。
「おお、よしよし、どうしたのだ」
 王妃は狼狽え、赤児を揺すってみたが、赤児はますます泣きわめくばかりである。
 と、傍らの年配の尚宮が進み出た。
「中殿さま、もしや王子さまはお腹がお空きなのかもしれません」
 この尚宮は二人の子の母であり、子育ての経験もある。尚宮に抱かれた赤児は直に静かになった。どうやら眠ってしまったらしい。
 そこからは、尚宮が赤児を抱いて禧嬪の殿舎に立ち寄り、赤児を出迎えた禧嬪に返してまた中宮殿への帰路についた。
 先刻まで赤児を抱いていた尚宮に問うてみる。