炎の王妃【チャンヒビン】~月明かりに染まる蝶~・第二巻
いつでも止めてやるという意思表示なのだろう。笑わせる。それで情けをかけて、ありもしない罪を無実の人間に背負わせる後ろめたさの贖罪のつもりなのだろうか。
まず最初の一撃が与えられた。両脚の間に刑具を挟み込んで、股をこれ以上ないというほどに無理に開かせるのだ。想像していたより何倍もの激痛が下半身を走った。
それでも、声だけは上げまいと歯を食いしばる。
心の中で呟いた言葉は、大妃に向けられたものだった。
―大妃さま、私は誓って何もやましいことはしておりません。ですから、自白も致しません。
時ここにいたり、オクチョンの心は今、かつてないほど落ち着いていた。スンと出逢ったことも、彼と恋に落ちて大好きになったことも後悔なんてしない。今、ここで、生命絶えたとしても、絶対に後悔はしない。
また二度目の苦痛が与えられた。下半身が焼け付くように熱い。それでも、オクチョンは声を上げなかった。どこからか冷めた眼で自分を見ている大妃に、毅然と面を上げて向かいたかったのだ。
声は上げなかったが、あまりの激痛に知らず両眼から大粒の涙が溢れ出した。涙を流すオクチョンに、取り調べ官が再度訊ねた。
「張尚宮、強情も良い加減になされよ。このまま続ければ、二度と歩くことは叶わなくなりますぞ」
オクチョンはキッと相手を見上げた。
「あなたたちは私に罪を着せて亡き者にするために、自白させるのでしょう。たとえ歩けなくなったとしても、死ぬる運命であれば関わりなきこと」
「何という情のこわい女だ」
彼は呆れたように首を振り、拷問を続けようとした。その時。
鋭い声が響き渡った。
「止めよ」
取り調べ官が弾かれたように顔を上げる。その視線の先に、国王その人がいた。
「そなた、誰の指図で私の妃に拷問などしている」
取り調べ官がハッとしたように居住まいを正し、直立した。
「申せ、一体、誰の差し金でこのようなことをしているのだ!」
普段は穏やかで、臣下にも隔てなく接することで知られる若い国王が今、烈しい眼で取り調べ官を直視していた。普段、穏やかな人であればあるほど、怒れば静謐になることを、長年、義禁府に務めるこの男は知っている。
今、粛宗の全身から凄まじいまでの殺気が立ち上り、背後には怒りが蒼白い炎となって国王を包んでいるようであった。
いわくつきの殺人犯、凶悪犯を数えきれぬほど相手にしてきたベテランの武官でさえ、そのときの粛宗の怒りは恐怖を感じずにはいられなかった。
「朕の質問に答えられぬというなら、そなたにこそ応えられるまで拷問をしてやっても良いが。私の大切な女にそなたが与えたのと同様の拷問をな」
王の言葉に、取り調べ官は顔面蒼白で応えた。
「大妃さまにございます」
王は何も応えなかった。粛宗とて、とうに知っていたことだったろう。
王は静謐な声で言った。
「では、今一度訊ねる。そなたの主は誰か? 国王たる朕か、それとも大妃さまか」
取り調べ官が震える声で応えた。
「国王殿下です」
「おかしなこともあるものだ、何故、国王の臣下である義禁府の武官が王命もなく王の妃を拷問しているのだ?」
「そ、それは」
取り調べ官が口ごもった時、粛宗にホ内官が何事か囁いた。粛宗は改めてオクチョンを見た。可哀想に、オクチョンは烈しい苦痛のために、意識を失っていた。
粛宗は聞く者の背筋まで凍るような声で断じた。
「オクチョンをこのような眼に遭わせた輩を、朕は許さぬ。相応の罰を与えるゆえ、追って沙汰を待つが良い」
ホ内官がオクチョンの縛めを解いている。粛宗は意識のないオクチョンを抱き上げた。
「帰ろうな、オクチョン」
声を掛け、後はもう振り向きもせず歩き出す。その後をホ内官が続いた。
取り調べ官はいまだ蒼褪めたまま、惚(ほう)けたように去りゆく王を見つめていた。
オクチョンがスンに抱きかかえられて殿舎に戻る途中、一度意識を取り戻した。
「スン、やっぱり来てくれたのね」
「済まない、遅くなった」
おかしいの、痛いのは私の方なのに、スンの方が泣きそうな表情をしている。そんなに哀しそうに顔をしないで。あなたが辛そうにしているのを見ると、私まで泣きたくなる。
オクチョンは微笑んだ。
「良いの、私、あのまま死んでも悔いはなかったから。スンと出逢えて、一緒に暮らせて。短い間だったけれど、とても幸せだったもの。だから、スンが謝ることはないのよ」
「オクチョン、俺の、俺の母がそなたを―」
言いかけて、スンの声が止んだ。スンが立ち止まり、抱きかかえたオクチョンにほおずりした。
「済まない、本当にごめん。そなたを守れなかった。まさか母上がここまでなさるとは思わなかったんだ」
スンが泣いていた。まだ中殿さまや御子を失ってまもないというのに、また泣いている。ううん、私が泣かせてしまったんだわ。
スンの流す涙がオクチョンの頬をも濡らす。スンの温かな涙は、オクチョンの引き裂かれた心の痛みまで癒すようだ。
「泣かないで、大妃さまもまだ中殿さまや公主さまがお亡くなりになった哀しみから抜け出せないでいらっしゃるのよ。だから、こんなことをなさったんだと思う」
「こんなときまで、そなたは母上を庇ってくれるのか、オクチョン」
「スンの大切なお母さまでしょ。できれば、私も大切にしたいの。これからも、頑張るから。大妃さまがいつか私を嫁として認めて下さる日まで、頑張るから、安心して」
スンが慌てて、あらぬ方を向いた。また泣いてるいるようだ。いつも
―男が泣くのは、みっともない。
と言う癖には、スンは涙もろい。オクチョンを泣き虫だとからかう癖に、自分だって泣き虫ではないか。
スンの泣き虫。
と、ここでまたオクチョンの意識は途切れた。何だか酷く疲れたよう気がする。オクチョンの意識はまた闇へと吸い込まれていった。どこかで自分を懸命に呼ぶ大好きな声を聞きながら―。
次にオクチョンが目覚めたのは、その日の夜半だった。その時、スンは側にはいなかった。代わりにミニョンが付いていてくれたようだ。
この前と同じだ、と、オクチョンはこんなときなのに四年前の出来事をやけに冷静に思い起こしていた。四年前、オクチョンはミニョンを庇って恨みを買い、そのせいで池に突き落とされた。
あのときも意識を失い、生死の淵を彷徨ったのだ。意識を取り戻したときはミニョンが側にいてくれた。
もしかしたら、私はずっと同じことを繰り返さなければならないのかもしれない。自分ではそんなつもりはないのに、誰かの恨みを買い憎まれ続ける哀しい宿命。
それが、私の生まれながらに背負った業なのだろうか。だとしたら、あまりに哀しい宿命だ。
目覚めたオクチョンの傍らで、ミニョンは泣いた。
「申し訳ありません、私が軽率な振る舞いをしたばかりに、尚宮さまにこんな迷惑をかけてしまいました」
オクチョンは淡く微笑んだ―つもりだ。まだ身体中、特に両脚が燃えるように熱くて痛みがあるため、笑おうにも思うように笑えない。
できるだけ笑顔になっていることを祈りつつ、心から言った。
「あなたのせいじゃないわ」
「でも、私が占い師を呼んだばかりに」
作品名:炎の王妃【チャンヒビン】~月明かりに染まる蝶~・第二巻 作家名:東 めぐみ