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炎の王妃【チャンヒビン】~月明かりに染まる蝶~・第二巻

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 それでも良い、と思う。たとえ徒労に終わったとしても、我が身はまた明日も懲りもせず、ここに来るだろう。そして、待ち続ける。頑なに閉ざされたあの扉が開くまで、ここに立つ。
 流石に今日はこれ以上は無理だと思い、諦めた。きらびやかなチマチョゴリは汗に湿っている。自分の頑固さのせいで、ミニョンまで、この酷暑の中を無理させてしまった。いや、ミニョンだけではない。すぐ背後に控えるお付きの申尚宮にせよ、同じことだ。
 申尚宮はオクチョン付きの尚宮にして、オクチョンが賜った殿舎の筆頭尚宮だ。普段から表情に乏しい人で、声を荒げて怒ることもない代わりに、笑顔を見せることもない。腹の底が読めないという点では、まだしも剥きだしの敵意を向けてくる大妃の方が判りやすいといえた。
 今のところ、申尚宮が敵なのか味方なのか知れない。けれど、自分付きの尚宮になった人なのだから、心を割って話せる主人関係を築きたいと願っている。今のところは申尚宮の人となりが判らないから、様子見の状態ではあるが、オクチョンは大妃に対するのと同じように真心を尽くせば相手も心を開いてくれるはずだと信じていた。
 そして、ここにも幾ら誠意を示しても、なかなか受け入れてくれない人がもう一人いる。オクチョンは申尚宮を手招きした。
 心得た申尚宮が近寄ってくる。
「もう一度だけ、中殿さま(チユンジヨンマーマ)にお伝えしてくれぬか」
 申尚宮は頷き、短い階(きざはし)を昇った。今、オクチョンたちが立っているのは中宮殿の真正面だ。今、申尚宮が中宮殿の階段を上ってゆく。その後ろ姿をぼんやりと見つめながら、オクチョンはまたしても不快な汗が首筋から背中をつたい落ちるのを自覚した。
 これで何日めになるであろうか。
 毎日ではかえって嫌みになりすぎるからと、オクチョンは月初めに数日間、中宮殿に挨拶に伺うことにしている。だが、この眼前で堅く閉ざされた扉が開いたことは一度もない。
 四年前に特別尚宮に任ぜられてからというもの、オクチョンはずっとこの挨拶を続けてきた。月が変わる度に五日間だけ、ここを訪ねる。だが、いつも同じ結果に終わった。扉はけして開かず、この殿舎の女主人は出て来なかった。
 大妃殿も同じで、月に数日だけ挨拶に赴いても、大妃が現れたことはない。オクチョンはいつも申尚宮とミニョンを連れて、すごすごと自分の与えられた殿舎に戻るのが常だった。
 堅く閉ざされた両扉前には、数人の女官が待機している。両側にそれぞれ二人ずつ配された女官の一人に申尚宮がオクチョンの意を伝えている。
 女官はちらと階段下に蔑むような視線を投げ、いかにも大儀そうに扉を開けて中に入っていった。
 一般に王の住まいである大殿や中宮殿に仕える女官たちは気位が高いと決まっている。それは国王の生母たる大妃の住まい大妃殿も同様である。彼等は我が身こそ?上宮?にお仕えする女官であるとの誇りがある。王室の長老という立場にはあれども、何の権限もない大王大妃殿や、王の母に憎まれるあまり、側室にもなれないオクチョンの宮で仕える女官たちとは土台意識の持ちようが違う。
 オクチョンは、その意味でも申尚宮やミニョン、その他、大勢の女官たちに対して申し訳ないと思っている。主人が後宮において時めけば、仕える者たちも甲斐があるというものだ。それは大王大妃殿で働いた経験があるオクチョンにはよく判っている。
 オクチョンが我が身の不甲斐なさを面目なく思っているそのときだ。いきなり正面の扉が音を立てて開いた。先刻まで中に大勢の人が起居しているのかと疑いたくなるほど森閑としていたのが嘘のようである。
 あまりの勢いに、オクチョンとミニョンは弾かれたように同時に顔を上げた。階段上で待ち受けている申尚宮も珍しく愕きを露わにしている。滅多と動じない申尚宮の驚愕の表情を眼にするのはこんなときでなければ、見物であったに違いない。
 あろうことか、開いた両扉から姿を見せたのは、この殿舎の女主人その人だった。もとより、オクチョンは王妃を見るのは初めてではない。女官時代にも遠目に大勢の供を連れて宮殿内を移動する王妃を見かけてはいた。
 遠くからでも、その花のような美貌はよく判った。楚々とした白芙蓉がはんなりと薄くれないに色づいたような風情、例えるとしたら王妃はそんな女性であった。ただし、外見だけならば、だ。その認識をオクチョンはこの日、骨身に染みるほど植え付けられることになる。
 王妃の正装を纏った中殿は、まるで図画署の絵師が精魂こめて描いた美人画のように美しかった。白皙の美貌というのは、まさにこういう女性のためにあるのだろうか。オクチョンは同性ながら、王妃の光り輝くような高貴な美貌を魅了されたように眺めた。
「中殿さま(チユンジヨンマーマ)」
 惚けたように王妃を眺めていたオクチョンは、慌てて頭を下げた。
 確かに、このように典雅で洗練された?嫁?がいれば、奴婢上がりの野暮ったい我が身など大妃が到底嫁としては認めがたいはずだ。半ば他人事のように考えているオクチョンの頭上に冷えた声音が降ってくる。
「ようも懲りもせず、毎度毎度のこのこと現れるものだ」
 その声のあまりの冷たさに、オクチョンは全身が粟立った。つい今し方まで暑熱に倒れそうだったのに、今や全身を流れるのは冷や汗と変じている。一体、どれだけ王妃に自分は嫌われているのか。
「訪(おとな)いは無用と四年前から申し渡しているのが、いまだに判らぬのか?」
「されど、中殿さまはこの後宮の主にして、内命婦の長におわします。私も国王殿下にお仕えする末端に連なる者として、中殿さまに礼儀をお尽くしするのが当然の務めと―」
 最後まで言い切ることはできなかった。甲高い声が遮ったからだ。
「ええい、煩い。知った風な口をきくでない。まったく、賤しい身分の者ほど、小賢しげにふるまいたがるが、そなたはその好例であるようだな。私はそなたごときと同列に身を落とした憶えはさらさらない。そなたは国王殿下が一時の戯れで手を付けられた女官、私は王妃であり、この国の母だ。そなたに仲間呼ばわりされる筋合いはないッ」
 オクチョンの言葉が気に入らなかったらしく、王妃は芙蓉のように白い面を朱に染め上げている。美しいけれど、切れ上がったややつり上がり気味の瞳は爛々と光って、今やオクチョンを射殺さんばかりに剣呑だ。
 よもや自分の言葉に王妃がここまで激怒するとは予想だにせず、オクチョンは眼を見開き立ち尽くすしかない。
 王妃の正装は、豪奢な金糸銀糸の縫い取りが施されている。チョゴリに覆われた王妃の腹はこんもりと膨らんでいた。そう、王妃は現在、妊娠中なのだ。しかも産み月を翌月に控えている大切なときである。
 オクチョンはこんな状況になってさえ、まだ自分より他人のことを気遣った。
「中殿さま、今はおん大切なるときでございます。そのように激されては、お腹の御子さまに障ります」
「そなたの心配など無用。賤しい者が吾子のことを口にすれば、腹の子まで穢れる。疾く去れ、その目障りな顔を二度と私に見せるでない」
「―っ」