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炎の王妃【チャンヒビン】~月明かりに染まる蝶~・第二巻

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「私、息の掛かった者をひそかに張尚宮の殿舎に紛れ込ませております」
「間者を使ったのだな」
「さようです」
 つまり、張尚宮の殿舎での出来事は逐一、中宮殿には筒抜けであるということだ。
 大妃は改めて眼の前の女を見た。楊尚宮、恐ろしい女だ。敵に回せば、厄介なことになる。恐らくは今日、ここに現れたのは最初から話をここに持っていくためだったに違いない。
 しおらしげに辞職するなどと言ったが、あれも本心であったか知れたものではない。
 引退するほどまだ、この女の権力欲は衰えてはいまい。新しい王妃付きの筆頭尚宮となれば、我が世の栄華もまだまだ続くというものではないか。
「よもや張尚宮やお付きの者どもに気づかれてはおるまいな」
 この女のことだ、抜かりはないはずと思いつつも念押しをする。
 今度は楊尚宮が勝ち誇ったように言った。
「ございません」
 即答だった。大妃は頷いた。
「張尚宮が占い師に占わせたのは、それだけか?」
「と、言いますと?」
 楊尚宮が細い眼を見開く。大妃は焦れたように言った。
「他に占わせたことは? 或いは、あの女が占い師に依頼したことでも良い」
「いえ、その他には特に聞いておりませんが」
 口ごもった楊尚宮に、大妃は怒鳴った。
「愚か者っ、たかがそれだけで張尚宮の罪を問えるとでも思うてか」
 ハッと楊尚宮が息を呑んだ。
「もしや、大妃さま」
 大妃が深く頷いた。
「お腹の子の性別を訊ねたくらいで、罪にはならぬ」
 しばらく大妃はまた思案に耽った。
「だが、道はある。ここで重要なのは、張尚宮が占い師に訊ねた内容ではない。邪悪なる占い師を後宮に招いたことそのものが決定打なのだ」
 大妃はまたしても冷笑を浮かべた。
「改めて訊く、楊尚宮。張尚宮が占い師に頼んだのは、お腹の子の性別を占わせることの他には?」
 楊尚宮の顔が蒼褪めた。大妃の透徹な視線にさらされ、小柄な身体が震え始める。
「応えよ、楊尚宮」
 これからの応えに、後宮での我が未来がかかっている。楊尚宮は眼を閉じた。
「張尚宮は中殿さまのお腹の御子の性別を訊ねた後」
「その後は?」
 たたみかけられ、後はひと息に言ってのけた。
「畏れ多くも、御子と中殿さまを呪う祈祷を頼みました」
「なるほど」
 大妃は頷き、にんまりと笑った。
「でかしたぞ、楊尚宮。間違いなく、そなたは新しく迎えるであろう王妃付きの筆頭尚宮に取り立ててやろう」
 言質は取った。後は、あの世にも憎らしき女狐を息子の側から追い払うだけだ。
 大妃は綺麗に整えられた指先を顎に当て、ひとしきり勝利の予感に酔いしれた。
 その一方で、楊尚宮の顔は血の気を失ったかのように蒼白だった。己れがなしたことは明らかに?虚偽の讒言?であった。これが明らかになれば、張尚宮どころか自分の方が明日という日を生きることもできないだろう。それほどの重罪を犯したのだ。
 楊尚宮は自分が善人だと思ったことなど、さらさらない。けれども、少なくとも虚偽を申し立ててまで、張尚宮を陥れるつもりはなかった。ただ、占い師が出入りしていた事実を告げれば、大妃が張尚宮を追い詰める一助にはなると思っていた。それが、いつしか自分の虚言が張尚宮を後宮から追放する決め手になってしまっている。
 妊娠中の王妃とその胎内の御子を呪うとは、大逆罪にも値する罪ではないか。下手をすれば、後宮追放どころか、張尚宮はその生命を失うだろう。それほどの重大な罪を自分は嘘の証言によって、張尚宮に背負わせてしまった。
 刹那、楊尚宮は、大妃の高笑いを聞いたような気がした。自分はまんまと大妃の策略に填り、同じ船に乗ってしまったのだ。この船はもうこぎ出し、賽は投げられた。大妃の気が変わり
―張尚宮を偽の証言で告発した者。
 その名前が陽の下にさらされれば、楊尚宮は間違いなく粛宗の怒りを買い、殺される。
―生命が惜しくば、大人しくしておるが良い。
 大妃は無言の中に、そう言っている。その餌として、自分はいずれ粛宗が迎えるであろう新王妃の尚宮という職を与えられたのだ。
 楊尚宮は恐る恐る大妃を見上げた。高笑いこそしていないが、美しき大妃の面には謎の微笑が浮かんでいた。
―げに恐ろしき方だ。
 楊尚宮は最早、我が運命はこの美しき王の母に握られていることを悟った。図らずも、この日、大妃と楊尚宮は相手の底知れぬ恐ろしさを共に突きつけられたのである。
 
 その時、オクチョンは刺繍に夢中になっていた。暦は十月に入ったばかりの朝だった。庭では小鳥たちが囀り、開け放した窓からは気持ちの良い秋の風が入ってくる。
 時折、さわさわと竹林が葉をざわめかせるのも趣があって良い。
 オクチョンは竹の葉ずれを耳にしている中に、ぼんやりとスンを思い出していた。王妃の葬儀も滞りなく終え、宮殿は漸く本来の姿を取り戻そうとしていた。一時は慰めようもなく沈んでいたスンも表面上は元気を取り戻し、また政務に打ち込んでいる。
 けれども、その元気が上辺だけのものにすぎないことを、オクチョンは誰より知っている。スンの訪れは以前に比べると、随分と間遠になった。もちろん、他の女人を召しているわけではなく、大殿の寝所で独り寝をすることが多くなっている。
 数日に一度はオクチョンの殿舎で夜を過ごすものの、オクチョンに触れようとはせず、ただ枕を並べて眠るだけだ。
 それも無理のないことと、オクチョンは思うのだが、お付きのミニョンはしきりに心配して
―もう少し華やかなご衣装をお召しになってはいかがですか?
 と、オクチョンの化粧や髪型、衣服に神経質なほど気を遣っている。
 だが、葬儀が終わったとはいえ、王妃が亡くなってまだ日も浅いのに、側室が派手な衣装を身につけるのはそれこそ誰に何を言われるか知れたものではない。
 王妃が崩御した日の夜、スンがここに来た。スンはもう二度と会うことはできないと失った子を思い、号泣した。そんな彼に
―亡くなった人を忘れない限り、その人は残った人の記憶や想い出の中で生き続ける。
 オクチョンはスンに語った。また、想い出だけでなく、こうした葉のざわめきや風の音にも、確かに亡き人の存在は感じられると。
 オクチョンは溜息をつき、そっと平坦な腹部を押さえた。今月もまた、月のものが来た。月事(生理)は順調な方だから、少しでも遅れれば、もしやと期待するのに、いつも月のものが来てしまう。
 スンの子を授かりたい、子を失ったスンの淋しさを少しでも埋められたらと思うのだけれど、神仏はいつまで経っても大好きな男の子を授けてはくれなかった。
 もしや、自分は一生、子を授かれぬ運命なのかもしれないとさえ思うときがある。
 仁敬王妃はスンとは従姉弟であり、幼なじみでもある。恐らくオクチョンなどにはうかがい知れぬ二人だけの想い出がたくさんあるに違いない。しかも、王妃はスンの子を二度も懐妊した。いわば、深い縁(えにし)があった女性だ。
 我が身がその王妃の代わりになれるなんて、おこがましいことは考えていない。それでも、オクチョンに新たに子ができれば、スンも少しは心が晴れるだろうし、何よりオクチョン自身がスンの子を産み育てたい。その願いは日ごとに強まるばかりだ。