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炎の王妃【チャンヒビン】~月明かりに染まる蝶~・第二巻

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 いつしかスンがオクチョンの傍らに立っている。しばらく並んで月を見た後、スンは今夜はやはり帰ると言った。
「中宮殿に行って、中殿の側にいるよ。せめて共に過ごせる残り少ない時間、側にいてやりたいんだ」
 オクチョンは笑顔で頷いた。
「そうして差し上げて」
「済まない、オクチョン」
 帰り際、殿舎の階を降り、庭まで見送ったオクチョンをスンは引き寄せた。
「私なら、大丈夫」
 オクチョンは笑顔でスンを見送った。
 オクチョンは殿舎に戻りながら、考えたのだ。もし自分が王妃の立場であったとしても、きっと今はスンに側にいて欲しいと願うはずだ。逆にスンがお産で亡くなった妻のことなんてさっさと忘れて、まだ妻の亡骸があるのに別の女の許で夜を過ごしたと知れば、死んでも死にきれないくらい悔しいだろう。
 オクチョンもそんな薄情な男であれば、スンをこんなにも好きにならなかった。
 スンを見送った後、オクチョンはしばらく庭に一人で佇んでいた。虫が一斉にすだく音色が天から降ってくるようだ。九月半ばの今、昼間はまだ真夏のような酷暑だが、朝夕は早い秋の訪れをはっきりと感じる。
「尚宮さまは本当にお優しすぎます」
 背後でミニョンの声が聞こえ、オクチョンは笑いながら振り向いた。
「こんなときこそ、国王殿下のお心を引き止め、一日も早く御子さまを授からねば。こたびは中殿さまに先を越されてしまいましたが、幸いにも中殿さまはお亡くなりに―」
 言いかけたミニョンに、オクチョンは鋭い声で言った。
「ミニョン、人の死に対して、そのような言葉遣いは許さないわよ」
「申し訳ありません」
 ミニョンは悔しげに唇を嚼んだ。ミニョンがオクチョンのゆく末を思ってくれての発言だとは判っている。しかし、オクチョンには幸薄い王妃と幼い王女の不幸を間違っても?幸運?という言葉で括りたくはなかった。
 もし、この場に大王大妃がいたとしたら、きっと苦笑したに相違ない。
―確かにミニョンの言葉遣いは浅慮ではあるが、何も、そなたが中殿の死を悼む筋合いはあるまい。そなたは中殿から受けた仕打ちを忘れたのか? 中殿の死を?幸運?と評してまずいのは、何も中殿自身が気の毒だからではなく、そなた自身がその不用意な言葉で窮地に追い込まれる危険があるからだ。
 即ち、仕える女官のひと言で、オクチョン本人が王妃の死に何か含むところがあるのではないか。要らぬ勘ぐりを受ける可能性があると、大王大妃であれば指摘するだろう。
 だが、この時、オクチョンはまさに大王大妃が危惧するとおりの事態が迫っていることなど、予想だにしていなかった。

 こうして粛宗の最初の王妃、仁敬王后は崩御した。仁敬王后の葬儀は現国王の王妃の格式をもってしめやかな中にも盛大に執り行われた。
 幾ばくかの日が流れ、その日、オクチョンは申尚宮とミニョンを連れて大妃殿に向かう道を歩いていた。
 申尚宮とミニョンがどれだけ言っても、オクチョンは自分が包みを持つと言ってきかなかった。オクチョンは今、両手に萌葱色のかなり大きな風呂敷包みを持っている。後生大切そうに抱えている様子を見れば、それが彼女には大きな意味を持つものだと判る。
 明聖大妃の健康状態は、依然としてはかばかしくなかった。待望の初孫に続き、可愛がっていた姪にして嫁まで喪ったのだ。無理もない部分はあった。
 大妃殿の前まで来て、申尚宮がまずは大妃殿の尚宮に用向きを伝え面会を求めた。いつもなら、ここで追い返されるところであり、今回もまた予想に違(たが)わずの反応だ。
「大妃さまは今、御気色悪しくいらせられる。よって、張尚宮にはお引き取り頂きたい」
 無表情の尚宮が出て述べる口上もお決まりだ。だが、今日はオクチョンの方が違っていた。大抵はこれで引き返すのが常なのに、いきなり大声を張り上げたのだ。
「大妃さま、お願いでございます。どうかひとめでよろしいので、お会い頂きとうございます」
 これには、お付きの申尚宮、ミニョンさえもが眼を?いた。
「尚宮さま、あまり事を大きくしない方がよろしうございます。ここはお帰りになられた方が賢明かと存じます」
 母とも信頼する申尚宮である。いつもなら、その忠言に逆らうことはないのに、今日のオクチョンは聞き入れる風もない。
「大妃さま、今日は是非とも大妃さまにお眼にかけたきものがあり、まかり越しました」
 更に声を張り上げるオクチョンを、申尚宮は信じられないものでも見るかのように見ていた。
 何度か大声で呼ばわり続け、漸く先ほどの尚宮が姿を現した。
「大妃さまがお会いになるとのことです」
 オクチョンは薄く笑みを湛えたまま、風呂敷包みを抱えて階を昇ってゆく。主人とは対照的に、お付きの申尚宮とミニョンは不安を隠せず後に続いた。
 両開きの扉を左右に控えていた女官が開け、廊下を横切ればもうそこは大妃の居室に通じる控えの間となる。
 今度の引き戸の前にも数人の女官が頭を軽く垂れて控えており、オクチョン一行のために扉が開いた。オクチョンたちは尚宮に導かれるまま、まずは控えの間に入り、続いて開かれた扉からいよいよ大妃の居室に入る。
 特別尚宮となって四年間、毎日のように挨拶に通い続け、大妃殿の扉が開いたのはこれで初めてである。
 大妃の居室はいかにも派手好きらしく、華やかなしつらえであった。部屋のあちこちに虹を織りだしたような七色に輝く紗の帳が垂れ、蝶の壁飾りが垂れ下がっている。
 壺には深紅の薔薇が数十本ほど束になって無造作に投げ入れられている。その壺も清国渡りらしく、金彩で縁取られた表面には極彩色で精緻な模様が描かれていた。壺一つで平民の一家がゆうに一生暮らせるだけの値打ちがあるくらいはオクチョンにも判った。
 華やかな牡丹色の座椅子にゆったりと座った大妃は、既に四十近いはずだが、本当に美しい。その衰えぬ美貌は、さながら艶やかな緋牡丹のようだ。やはり血を分けた姪と叔母らしく、ちょっと見には亡き王妃が生き返ったかと錯覚しそうになるほど似ている。
 ただ仁敬王后は、楚々とした白牡丹の風情であったのに対し、大妃は婉然と咲き誇る派手やかなピンクの牡丹といったところか。スンもすごぶるつきの美男だし、キム氏の家系が美形揃いという噂はあながち嘘ではないらしい。
 オクチョンが大妃を見ている間、大妃もまたオクチョンを?観察?していたようである。申尚宮とミニョンが両側から支え、最初に拝礼を行った。国王の母にして大妃、至高の女性である人に対しての敬意を表す挨拶だ。
 大妃は拝礼を繰り返すオクチョンを冷めた眼で見ている。
「本日は、お忙しい中、お時間を割いていただき、真にありがとうございます」
 拝礼を終え、オクチョンは大妃と文机を間に向かい合った。丁重に頭を下げると、大妃はその花のような面に冷笑を浮かべた。
「私は何も忙しいと言った憶えはない。具合が悪いと申したはずだが」
 わざとらしく振り向き、傍らに控える尚宮に問いかける。
「そなた、張尚宮に何と申したのだ? もしや、私が伝えた言葉を言い間違えたのではあるまいな」
「いいえ、滅相もございません、大妃さま。私は間違いなく?御気色悪しき?と張尚宮に申し上げました」