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炎の王妃【チャンヒビン】~月明かりに染まる蝶~・第一巻

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 あたかも蝶が美しい紅蓮の焔に魅せられ、自ら焔に飛び込んでゆくように。
 けれども、焔に魅せられた蝶は無残な最後を迎えることを知らない。どんなに我が身が残酷な運命を辿るかを知らず、蝶は美しい焔に恋をし、引き寄せられてゆくのだ。

 しかしながら、事態はスンの考えていたように容易くは進まなかった。やはり、オクチョンの読みは正しかったのだ。
 大妃は粛宗が女官チャン・オクチョンを側室とすると言いだし、真っ向から反対した。
―賤民上がりの小娘を王室に入れるなど、言語道断。この母の眼が黒い中は、何があっても許さぬ。
 粛宗は、今まで表向き母である大妃の意向に逆らったことは一度もない。いわば、大妃自慢の孝行息子であった王を、オクチョンが誑かした。
 大妃のオクチョンへの憎悪はますます燃え盛り、?放っておいては、刃物を持ってチャン女官を刺し殺しにいきそう?なほどの激高ぶりだと伝えられた。
 だが、この件についてはさしもの孝行息子の粛宗も一歩も引く構えを見せず、順調であった王と大妃の母子仲はここにおいて決裂した。廷臣たちは
―恐ろしきはチャン女官だ。あれほど穏やかで、大妃さまに孝養を尽くされていた国王殿下を別人のように変えてしまった。
 オクチョンが寝所で夜ごと年若い粛宗を手練手管で誑かし、側室になりたいとねだっている。真しやかに伝えられた。この頃からオクチョンを?妖婦?呼ばわりする声は上がっていた。
 紆余曲折を経て、初めて王の寝所に召された十日後、オクチョンは?特別尚宮?に任ぜられた。特別尚宮は、仕事を持つキャリア尚宮とは違い、いわば側室に準ずる立場である。国王の寵愛(承恩)を受けたものの、側室にはなれない女官の呼称だ。そのため、別名?承恩尚宮?ともいわれる。
 仕事を持つ尚宮とは区別され、女官のお仕着せを着る必要もなく、きらびやかなチマチョゴリで美しく装い、一般の女官のように仕事もしない。位階は普通の尚宮と同じ正五品。
 粛宗は結局、大妃の強硬な反対に遭い、愛妃を側室にすることはできなかった。
 この日を境に、オクチョンは大王大妃殿から出て、独立した殿舎を賜る。晴れて王の女と認められたその日、オクチョンは大王大妃殿に挨拶に出向いた。
 オクチョン付きの尚宮には、粛宗の寝所に初めて召し出された夜、付き従った尚宮が任命された。申尚宮と名乗るこの女性は三十路半ばほど、冗談もろくに通じないような取り澄ました態度では、何を考えているか判らない。信頼できる者だと知れるには刻を要しそうである。
 更に、ミニョンがオクチョン付きの女官となった。親友でもある彼女は、オクチョンに絶対の忠誠を誓っている。これから伏魔殿と呼ばれる後宮での日々に力強い味方となってくれるに相違ない。
 挨拶に出向いたところ、すぐに大王大妃の居室に通された。
 シン尚宮とミニョンに両脇から支えられ、オクチョンは大王大妃に拝礼を行った。貴人に対する敬意を表す挨拶である。
 粛宗との初夜を過ごした翌朝、オクチョンは今までは編んで後ろに垂らしていた髪を結い上げた。これをもって成人して一人前の女性となり、国王の所有に帰した証となる。
 漆黒の髪を結い上げ、宝玉の簪を挿した彼女からは初々しい色香が匂い立つようである。
 大王大妃はその様を微笑んで見守っていたかと思うと、満足げに口を開いた。
「とりあえずは、めでたきことだ」
 とりあえず、というのは意味深な言葉だ。オクチョンにはその意味はすぐに理解できた。オクチョンを側室にするのは何も粛宗の意向だけではない。とりもなおさず大王大妃の強い推薦もあった。
 しかし、王だけでなく大王大妃の後押しもあると知り、大妃はますます頑なになった。何しろこの二人は昔から犬猿の仲だとは後宮中の人間が知っている。
 大妃は先頃、贔屓の女官を大王大妃の一存で辞めさせられた件を根に持っている。チェ女官の刺した刺繍入りの衣装でなければ着ないとまで気に入っていた繍房の女官であった。そのときの恨みは深く、それが今回、まともにオクチョンに向けられたといって良い。
 しかし、オクチョンはこの場でそれを指摘するほど愚かでも慎みがなくもない。彼女は大王大妃の言葉に、微笑みを返すにとどめた。
「なに、オクチョン。焦る必要はない。時間はたっぷりとあるのだ。しかも、主上はそなたに夢中、今や中殿はお飾りの妻でしかない。主上のお気持ちさえ、こちらに惹き付けておけば重畳。いずれ、時は来よう」
 大王大妃はゆったりと言い、表情を引き締めた。
「どうした、この歓びのときに憂い顔とは。やはり、側室になれなかったのが悔しいか?」
 オクチョンは笑って首を振った。
「いいえ、大王大妃さま。私は国王殿下のお側にいられれば、それで幸せですゆえ。特別尚宮であろうが、側室であろうが、拘りはありません、ただ」
 オクチョンが可愛らしい顔を曇らせたのを見て、大王大妃が珍しく焦れたように言った。
「ただ?」
「私のせいで、中殿さまがお寂しく過ごしておいでだと聞くと、何か申し訳ない気持ちになるのです」
 それは心からの言葉だ。オクチョンは確かにスンを愛している。だが、自分の我が儘のために誰かの不幸を望むつもりも歓ぶつもりもない。スンが自分を召し出して以来、中宮殿で夜を過ごすことはついぞ絶えた―そんな噂を聞いて、ひそかに心痛めていたのだ。
 本音をいえば、スンとは毎夜でも一緒に過ごしたい。けれど、彼の妻は我が身だけではないのだから、たとえ毎夜でなくても仕方ないとも最初から諦めてはいた。
 何も善人ぶっているわけではない。スンが他の女人と夜を過ごしたり、優しく微笑みかけているのは想像しただけで哀しいし、嫌な気持ちにもなる。それでも、何人かの?妻?の一人であるのを受け入れて彼の側にいると決めたのだ。辛くとも、絶えねばならない。
 彼女の返答に、大王大妃が溜息をついた。
「そなたは相変わらずだのう。欲がないと申すか、お人好しというか。中殿はあの大妃の姪だ。こたびもそなたが特別尚宮に任じられて挨拶に行っても、顔さえ見せなかったというではないか。いかにも高慢なあの大妃の血筋のやりそうなことだ」
 穏やかな気性で争いごとを好まぬといわれている大王大妃。ではあるが、長年の大妃との確執は噂だけではないらしい。もっとも、大王大妃にとって大妃は立場上、孫の嫁になる。大妃がもっと大王大妃を敬い、気遣うそぶりを示せば、大王大妃もここまで大妃を嫌いはしなかったろう。
 大妃は名門キム氏の令嬢として生まれ、生まれたときから王妃になるべく后がねとして大切に育てられた。若くして世子嬪となり、世継ぎの王子を産み奉り、王妃となった。
 この世に自分の思い通りにならぬことはないと思っているような女(ひと)だ。大王大妃に対してもあからさまな蔑みの態度を取り、蔑ろにし続けた、その結果だ。
「オクチョン、他人の心配より、まず我が身の心配を致すが良い。そなた、今、自分がどのように言われておるか、知らぬわけではなかろうに」
「―」
 オクチョンは、これにも応えようがない。
 夜ごと、ご寝所で若い国王を誑かす妖婦チャン・オクチョン。それが、今の自分に対する後宮の、いや宮廷での認識だ。