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炎の王妃【チャンヒビン】~月明かりに染まる蝶~・第一巻

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 オクチョンは彼の明るい笑みに、身体中の緊張が解(ほど)けてゆくのを感じた。
「逢いたかった」
 スンの直裁な科白に、オクチョンは笑った。
「私たち、昨日、逢ったばかりよ」
 スンが大まじめに言う。
「俺はオクチョンの顔を何度でも見たい。一緒にいたい。オクチョンは違うのか?」
 スンが指し示した場所に、オクチョンは座った。丁度、小卓の一つを挟んで向かい合った恰好だ。小卓の上には酒器と杯が二つ、載っている。スンが手酌で注ごうとしているので、オクチョンは素早く言った。
「私がするわ」
「うん」
 彼は素直にオクチョンに酒器を渡す。スンが差し出した杯が並々と満たされた。
「オクチョンは?」
 問われ、彼女は肩を竦めた。
「私はお酒は苦手なの」
 スンが笑った。
「今夜は俺たちには初めての夜だ。いわば、夫婦になる大切な日だから、少し呑めば良いのに」
「夫婦(めおと)固めの杯なのね」
 オクチョンは頷いた。
「だったら、頂きます」
 杯を差し出すと、スンが注いでくれた。彼はひと息に煽り、オクチョンも彼に見えないようにして杯に口をつけた。貴人に対しては、酒を飲むときは顔を背けるのが礼儀だ。
 だが、やはり止めておけば良かったと後悔しても遅い。ひと口呑んだだけなのに、喉が灼けて息苦しくなった。
「うっ」
 コホコホと咳き込みつつ、オクチョンはその場に打ち伏した。
「大丈夫か?」
 スンが小卓を押しやり、近づいてくる。夜着姿で咳き込む彼女は、いきなり背後から抱きすくめられた。
「口をつけただけなのに、本当に酒が苦手なんだな。―可愛い」
 スンは呟き、オクチョンを助け起こし自分の方を向かせるた。端正な顔が近づいたかと思いきや、貪るように荒々しく唇を奪われる。
「スン、苦し―」
 オクチョンは彼の腕の中でもがいた。それでなくても慣れない酒を呑んで苦しいのに、息もつけないような口吻を仕掛けられたら、死んでしまいそうだ。
「ううっ」
 オクチョンが苦しげに呻けば、煽られたかのように口づけは更に深くなる。舌を差し入れられ、何もかもを奪い尽くすほどの勢いで口中を蹂躙された。
 涙目になって暴れるオクチョンに気づいたのか、スンはさんざん彼女を貪った末、やっと口づけを解いてくれた。
「酷い」
 オクチョンは涙ぐんでスンを見上げた。
「ごめん、でも、夜着姿のオクチョンを見ていたら、どうにも我慢できなくなったんだ」
 スンの美貌もうっすらと上気している。美しい男だけに、長い前髪がはらりと額に落ちた様は凄艶ともいえる色香を放っている。女が漂わせる色香とはまた別の類のものだ。
 この時、オクチョンは男性にも色香があるのだと知った。それにしても、スンも彼女と同様、純白の夜着姿だが、薄い夜着は頼りないほど生地が薄く、肌の色どころか身体の線まで透けて見えている。オクチョンは眼のやり場に困り、狼狽えて視線を逸らそうとして、ハッとした。
 ということは、自分自身も同じようにスンからは丸見えだということになる! 慌てて両手で我が身を抱きしめた彼女に、スンは笑いながら囁いた。
「やっと気づいた? 今更、遅い気もするが」
 更に、彼女の両手に自分の手を重ね、優しく囁いた。
「隠さないで。俺はオクチョンの綺麗な身体を見ていたい」
 強引なわけではないのに、彼に甘く耳許で囁かれただけで、オクチョンの身体はこわばりが解け、自分を守るように抱きしめた両手はスンによって優しくどけられた。
「今夜は俺たちにとって記念すべき初夜だ。ゆえに、オクチョンが言ったように夫婦固めの杯は是非とも交わしたかった」
 スンの真摯な声音に、彼の誠実な心と決意が溢れている。ふっと涙さしぐまれ、オクチョンはうつむいた。
「どうした? まだ苦しいのか」
 気遣わしげに問われ、彼女は幼い子どものようにかぶりを振った。
「祝言を挙げるのが夢だったの」
 そのひと言に、スンがたじろいだ。
 オクチョンは涙に濡れた瞳でスンを見上げた。
「五つくらいの頃だったかしら。近所に銀細工職人が住んでいて、そこの娘さんが嫁いでいったのよ。丁度、今の私くらいの歳だった。眼にも鮮やかな婚礼衣装をつけて、目が覚めるように綺麗だった。とても幸せそうに笑っていて。私も大きくなって好きな男ができたら、そうやって花嫁衣装を着てお嫁に行くんだと信じていたの」
 スンがやるせなげな表情でオクチョンを見ている。彼なりに精一杯考え、オクチョンを慰めるつもりだったのだろう。
「結婚式なんて退屈なだけだ。婚礼衣装も冠も重たくて疲れる。俺は一度で十分だと思ったけど」
スンが言い終えない中に、オクチョンは堪え切れず、大粒の涙を流していた。
「私は、私はっ」
 スンが滑稽なほど慌てた。
「オクチョン、俺が何か哀しませるようなことを言ったか?」
 オクチョンは泣きながら言った。
「スンには中殿さまがいらっしゃるから、初めてじゃないかもしれないけど、私は初めてなのよ? そんな無神経な科白、よくも口にできたわね。スンなんて、嫌いよ」
「―悪かった。そうだな、俺は初めてではないが、オクチョンには初めてだものな」
 スンが何かの痛みを堪えるような表情になった。
「女にとっては初めての、一生に一度きりの日なんだから」
「ごめんな」
 スンが手を伸ばし、オクチョンの頭を撫でた。
「祝言を挙げたいか?」
「―」
 オクチョンはスンを見て、躊躇いがちに訊ねる。
「そんなことができるの?」
「王が側室を迎える時、婚儀を挙げた先例は幾らでもあるよ。オクチョンが嘉礼を挙げたいと望むなら、俺は構わない」
「できれば、祝言はきちんと挙げたいわ」
 たとえ側室という立場は変わらずとも、祝言を挙げれば、自分がスンの?妻?になったのだと信じられるような気がした。
「判った。ならば、嘉礼を挙げよう」
 スンはもう決めたようである。若くとも王という立場にある人だけに、決断は早いようだ。
 スンが笑顔で言った。
「ただ、嘉礼を挙げるからには、正式な側室に任命された後でなければならない。今のままではオクチョンは女官だから、無理だ。できるだけ早い中に、オクチョンに位階を与えよう。そうすれば、祝言をすぐに挙げられる」
 だが、オクチョンには気がかりがあった。
「でも、大妃さまがどうおっしゃるかしら」
 側室に任命されるということは、王族になるのを意味する。あの気位の高く気難しい大妃が易々と奴婢出身の自分を息子の嫁と認めるとは信じがたい。
 が、ここで大妃の悪口と取もれない科白を口にはできない。スンにとっては大切な母親なのだ。
 スンは事もなげ言った。
「俺たちの祝言に、母上は関係ないだろう」
「そういうことではなくて」
 やはり、言えない。オクチョンは言葉を呑み込んだ。
 明聖大妃。大王大妃がオクチョンの限りない庇護者だとすれば、大妃はまさに対極の立場にあり、終始、それに徹した人だった。
 オクチョンは寒くもないのに、身体を震わせた。この後の大妃との果てのない確執をどこかで予感していたのかもしれない。
 だが、スンは彼女の怯えを別の意味に理解したようである。
「やっぱり、オクチョンは可愛いな。そなたといると、自分が年下というのが本当に信じられなくなるよ」