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炎の王妃【チャンヒビン】~月明かりに染まる蝶~・第一巻

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 ミニョンはオクチョンを姉妹のように大切な存在だと認識している。十二歳で入宮してからというもの、ミニョンはこの春までずっと見習いでしかなかった。やはり、要領が悪くて仕事ができないのが原因で、通常なら数年で一人前に昇格できるのに、できなかった。
 この春、やっと長い見習いを経て、一人前の女官として認められたは良いが、配属されたのは誰もが敬遠する大王大妃殿だった。
 それでも見習いではなく、いっぱしの女官になれ、彼女なりに張り切っていた。仕事もこれまで以上に頑張ったつもりだったけれど、ここにもやはり大人しいミニョンを虐める輩がいた。
 これまでミニョンは見習いとして、あちこちの部署で働いてきた。大抵、どこの部署でも彼女は厄介者扱いされた挙げ句、先輩たちのいびりに遭った。年嵩の尚宮たちも虐めに気づいていながら、見て見ぬふりをした。酷いときは、尚宮まで一緒になって虐められたこともある。
 けれど、ミニョンは何も言えず、うつむいて泣くだけだった。一人前になったら虐められることもなくなるかと期待していたのに、やはり同じだ。大王大妃殿は若い女官は少ないと聞いていたので、流石に虐めはないだろうとも思っていた。
 それは甘かった。少ないながら十代後半から二十代前半の女官が数人いて、新入りのミニョンは忽ち彼女たちの虐めの恰好の的となる。かえって人数が少ないから、余計に始末が悪い。虐めは次第に酷くなり、ミニョンは思った。
―こんなことなら、見習いでいた方がマシだった。
 いつも一人になった室では膝を抱えて泣いていた。自室に戻るまで我慢できず、空き部屋に飛び込んで泣いたこともある。
 彼女―オクチョンに声をかけられたのは、そんなときだった。それまでも新入りの二人は組んで仕事をする機会は多かった。しかし、これまでの経験上、ミニョンは身の回りに防御壁を築き、必要以上に人と親しくなるのを避けていた。うっかり心を許せば、思わぬしっぺ返しが来るかもしれないのを怖れていたのだ。
 ずっと以前、見習い時代、親友だと信じていた女官がミニョンの動作を真似て他の女官と笑い合っていたのを見たことがある。
―本当に愚図で、みっともない娘ね。
―ほらほら、こんな風に走るでしょ。これじゃ、走っても走らなくても変わらないわよねえ。
 仲良しだと信じていた女官が大仰な身振り手振りで真似し、それを取り巻いた数人の若い女官が大笑いしていた。
 ミニョンは、その場から身を翻し、厠に駆け込んだ。見習いは数人が相部屋だから、自室で泣いているところを見られたら、また馬鹿にされるかもしれない。これ以上、笑いの種にされるのはご免だった。
 それ以来、他人を信じるのは止めた。
 そんなミニョンの堅く閉ざされていた心の扉を、オクチョンはいとも容易く開けた。
 チャン・オクチョンだけは信じられる。ミニョンは彼女の人柄を知るにつけ、オクチョンに心を開いていった。
 オクチョンと本当の意味で友達になったのは、空き部屋で泣いていたミニョンに彼女が声をかけてくれたときだ。その前―入宮したときから、オクチョンはミニョンを庇ってくれ、友達になってからは更に陰になり日向になり、ミニョンを虐めようとする女官たちの前に立ち、楯となってくれたのだ。
 こんな女は、なかなかいない。ついには、ミニョンを虐める集団の筆頭セギョンに面と向かって抗議し、セギョンの恨みを買う羽目にまでなってしまった。そのせいで、オクチョンはセギョンの従姉だという繍房の美しい女官からノリゲを盗んだというあらぬ嫌疑までかけられた。
 辛うじて事件は不問に付されたものの、まかり間違っていれば、オクチョンの身柄は義禁府送りになり、処刑されるところだった。彼女は生命を賭けてまで、ミニョンを庇おうとしてくれたのだ。
 あの事件以来、ミニョンは堅く心に誓った。いつか自分も恩返しをしよう、オクチョンの側にいて、彼女のために何かをしようと。
 まさに、今がそのときではないか。ミニョンは自らを励ますように、組み合わせた両手に力を込めた。
 獣でも、受けた恩は返すものだ。ならば、我が身もオクチョンに今こそ恩を返さなければならない。
必死の形相で元来た道を走っていた時、折良く向こうから歩いてくる二人の内官を見つけた。まだ若そうなので、この人たちなら大丈夫だろう。
「人が、女官が蓮池で溺れそうになっています。今すぐ、助けてあげて下さい」
 我ながら、こんな大きな声を出したのは初めてだ。ミニョンの訴えを聞いた内官たちは顔を見合わせ、彼女と一緒に蓮池に向かった。

 しばらく後、大王大妃殿は大騒ぎになった。女官のチャン・オクチョンが瀕死の状態で内官に背負われて戻ってきたからである。
「一体、何事があったのだ!」
 ホン尚宮、コン尚宮ばかりか、大王大妃までがオクチョンの様子を見に室を訪れた。普通なら、大王大妃が一女官の居室に足を踏み入れることなどあり得ない。
 蓮池から引き上げられたオクチョンは、多量の水を飲んでいた。心得のあった内官がすぐに水を吐かせたため、一命を取り留めたのだ。
 大王大妃はオクチョンの身柄を自分の居室の近くの室に移させた。直ちに内医院の医官が呼ばれ、オクチョンの診察に当たった。
「すぐに水を吐いたのがよろしうございました。さもなければ、この女官は生命を失っていたやもしれません」
 初老の小柄な医官は大王大妃に恭しく言上した。暗に内官が救命措置を施さなかった場合、オクチョンは死んでいたろうと告げたのだ。
 枕辺には、大王大妃、ホン尚宮が座っていた。医官が去り、人の気配がないのを確かめてから、大王大妃が深い息を吐き出した。
「これはただ事ではないな」
「オクチョンによほどの恨みを持つ者が後宮にいると見えまする」
 ホン尚宮が応えるのに、大王大妃はすかさず言った。
「心当たりはあるのか?」
「恐れ入りましてございます」
 ホン尚宮が軽く頭を下げる。
「恐らく」
 大王大妃が呟いた。
「そなたと私が考えておることは同じだ」
「―」
 応えはなかった。
「ホン尚宮、私はオクチョンの未来を見た」
 これには、ホン尚宮が愕いた様子を見せた。いつも冷静で、滅多に取り乱さぬ側近の見せた動揺に、大王大妃は笑った。茶目っ気たっぷりの少女のような笑みだ。大王大妃という人の本来の伸びやかな性格を物語るような一面だ。
「観相を、なさったのでございますね」
「ああ」
 大王大妃は鹿爪らしく頷いた。
 何も言わずとも、長年連れ添った主従はお互いの意図が読める。先を促すような視線を寄越され、大王大妃は満足げに言った。
「オクチョンのゆく末に、鳳凰が見えた」
「っ」
 流石のホン尚宮も息を呑んだ。
「それは、大王大妃さま、もしや」
「さよう」
 大王大妃は頷いた。
「鳳凰は王の伴侶となるべき者だけが持つ骨相」
「それでは、オクチョンが、この娘が」
 その先、ホン尚宮は唇を戦慄かせた。あらゆる意味で畏れ多い話すぎて、うかつに口にできるものではない。しかも、十五歳の粛宗には明聖大妃の姪にして権門キム氏の息女たる中殿がいるのだ。
「さりながら、そなたにだけは明かそう、ホン尚宮。私がオクチョンの上に見た鳳凰は片翼しかなく、しかも、その翼も血に濡れていた」