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炎の王妃【チャンヒビン】~月明かりに染まる蝶~・第一巻

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 最近は、陰湿な嫌がらせも鳴りを潜めている。ミニョンは愁いがなくなり、よく笑うよになり、結果としてそれが良かったのか、仕事上での失敗も減った。ホン尚宮もミニョンの最近の仕事ぶりには眼を瞠っている。
「オクチョンは甘いものが好きでしょ。さあ、食べて。このお菓子を作ったのは、私の乳母なのよ。料理が上手なんだけど、特にお菓子作りは上手いの。お店が開けるほどよ」
「お店が開けるって、凄いわね」
 普段は冗談を言わないセギョンの珍しい言葉に、オクチョンは笑った。
 そういえば、セギョンの実家は裕福な商人だという。都でも名の知れた大きな商団の行首の愛娘、それがセギョンの身の上だ。
 身分としてはさほど高くはないが、お金持ちだから、下手な名ばかりの両班の娘よりよほど贅沢な暮らしをしている。その辺り、両班とはいえ零落した家門の出でしかないミニョンを馬鹿にした理由だろう。
「さあ、食べて」
 再度促され、オクチョンは伸ばしかけた手をさまよわせた。セギョンが静かに笑う。
「毒入りだと疑ってる?」
「まさか」
 オクチョンは慌てて否定した。いや、彼女には申し訳ないが、一瞬だけ疑ってしまったのだ。オクチョンがたまに見ていた辻でやる仮面劇や人形芝居では、大抵、こういう場合、ライバルの女に毒入りの饅頭を贈ると筋書きが決まっている。
 ただし、それは王さまの寵愛を受ける側室たちの女の争いという設定ではあったが。しかし、ここも一応、後宮に変わりはないだろう。
―芝居の見過ぎよね。
 オクチョンはふと浮かんだ不安を笑い飛ばし、初めの一個に手を伸ばした。
 と、セギョンも笑顔で手を伸ばす。
「ね、食べてみて。本当に美味しいんだから」
「頂きます」
 ひと口含むと、確かに極上の甘みがひろがった。平たい箱には季節の花を象った菓子が整然と並んでいる。
「これは百合ね」
 自分の手にした饅頭を見れば、セギョンも同じように見る。
「私のは蓮よ」
 二人の少女たちは笑顔で顔を見合わせた。
「どれも今、宮殿の庭園に咲いているわ。そういえば、二日前、大王大妃さまのお伴で庭園に行ったの。蓮がとても見事だったわ。ねえ、セギョン、大王大妃殿の若い女官たちで一度、蓮見に行かない? 昼には花が閉じてしまうから、ホン尚宮さまにお許しを頂いて、早朝に行きましょうよ」
 オクチョンの提案に、セギョンは嬉しげに頷いた。
「そうね。とても素晴らしいわ。他の娘たちにも話してみる」
 セギョンは言い、ひと呼吸おいて続けた。
「それはそうと、オクチョン。庭園といえば、私、こんなものを男のひとからあなたに渡してって頼まれたんだけど」
 差し出されたのは簡素な封筒だ。セギョンの手前であることも忘れ、オクチョンは急いで封筒を開いた。
 咄嗟に浮かんだのは、やはりスンからではないかという想いだった。
 セギョンが睨めつけるような眼で見ているのも気づいていない。
「これをあなたに託したのは、どんな感じのひとだった?」
 勢い込んで問えば、セギョンはいかにも思い出すような顔で言った。
「そうね、とても綺麗な男のひと。かなり若そうだったわ」
 ややあって、わざとらしく手を打った。
「そうそう、蒼色の服を着ていたわね。とても似合っていた」
―スンだわ。
 オクチョンは慌てて手紙に眼を走らせた。
何の変哲もない紙に走り書きがしてある。

―夕刻、蓮池のほとりにて待つ。

 それだけでは誰からのものかは判らない。けれど、オクチョンはいつも二人で逢うときの彼の用心ぶりを思い出した。きっと、スンに違いない。手紙の差出人が判らないように、わざと名前を書かなかったのだ。
 スンが書いたにしては、あまり上手い字とはいえないのが少し解せなかった。手紙の字はいかにも走り書きしたような、拙い字であったからだ。オクチョンはスンの手蹟を実際に眼にしたことはないが、王族の男性なら、もう少し教養がありそうな気もする。
 けれど、面立ちが美しいのと手蹟が綺麗なのは関係ないし、王族すべてが字が上手いとも限らないだろう。
 と、セギョンの声がオクチョンの物想いを中断させた。
「オクチョン、こんなことを言うのは悪いんだけど」
 わざとらしく言葉を切り、勿体をつけてからセギョンは続けた。
「あなた、女官が男性と交際するのは禁忌だと知っているわよね?」
 そのひと言に、オクチョンは自分でもそれと判るほどに、見る間に蒼褪めた。
 このことが後宮に広まったら、スンに迷惑がかかってしまう。
 だからこそ、彼もまた彼女と深間になったことを努めて他人に知られまいとしているのではないか。
 オクチョンは懸命に弁明した。
「あの方は以前、宮仕えに上がる前、お仕えしていたお屋敷の若さまの友達なの」
「そうなの?」
 セギョンは何とも冷めた眼つきでオクチョンを見下ろしている。だが、混乱しきっているオクチョンは相手の態度に気づく余裕もない有様だ。
 仮にこの時、彼女がセギョンのいつもとは違う様子に気づいていたら、この後の状況はかなり違っていたに違いない。
 セギョンの態度は誰が見ても、明らかに不自然すぎた。冷めた眼をしている割には、視線は終始落ちつきなく泳いでいるし、膝に乗せた両手はずっと組み合わせて握ったり開いたりを繰り返している。
 大体、手紙の中身を見ない限り、セギョンがその内容を知るはずもない。なのに、何故、?庭園?という言葉をきっかけに手紙の話をセギョンが持ち出したのか。よくよく考えれば、それも面妖だと気づくはずだ。
 オクチョンはセギョンを縋るような表情で見つめた。
「このことは内緒にしていて。もし噂が広まれば、若さまにもご迷惑がかかるから」
 オクチョンの予想に反して、セギョンは呆気ないほど、あっさりと首肯した。
「良いわ」
 返事を聞いた瞬間、身体中の力が抜け、その場にくずおれそうになる。実のところ、もっと突っ込んだ事情―例えば、何故、その若さまとわざわざ後宮内で人目を忍んで逢う必要があるのかとか、訊ねられると思っていたからだ。
 もっとも、セギョンの意図はオクチョンと相手の男の仲を追及するというものではなかったから、セギョンがこれ以上、何を言うはずもなかった。
「このことは誰にも言わないでいてくれる? もう二度と若さまとは宮殿では会わないようにするから」
 念を押せば、セギョンは鷹揚に頷いた。
「もちろんよ、私たち、友達ですもの」
 その笑顔と言葉に、心がじんわりと温かくなった。彼女とは色々とあったけれど、これで漸く心が通じ合えたと思えば、泣きたいほど嬉しかった。
 どこまでもお人好しのオクチョンは、セギョンの言葉をあっさりと信じた。その時、もう少し冷静になっていれば、セギョンの双眸が意地悪く様子を窺っていたのに気づいていたはずだ。
 セギョンは菓子を食べ終えると、引き止めるまもなく室を出ていった。まるでオクチョンから少しでも早く逃げたいとでもいうようなその態度にも、不信感はあったのだが―。
 オクチョンはセギョンの存在などとっくに忘れ、眼前に置かれた菓子箱を惚けたように見つめていた。少しく後、饅頭がまだ食べかけであったことに気づき、慌てて残りを口に押し込んだものだから、喉に詰まらせそうになった。
「うぐぐ」