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炎の王妃【チャンヒビン】~月明かりに染まる蝶~・第一巻

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 スンの物問いたげなまなざしを受け、オクチョンは続けた。
「そもそも今回はミニョンが受けた虐めに私が抗議したことから始まった。いじめっ子のセギョンが従姉に言いつけて復讐させた。それでまた、事が大きくなってしまったでしょう。なのに、私がまたチェ女官に仕返しなんてしたら、もう際限なくなってしまうわ」
 オクチョンは呟いた。
「憎しみには憎しみで返すなんて、とても哀しい考え方よね。スン。だから、私は仕返しはしない」
「オクチョン、そなたという娘は」
 スンは言葉を飲み込み、オクチョンを感情の読めない瞳で見つめた。
「あなたと二度と逢えないのは辛いけど、どんなに遠く離れていても、スンの幸せだけを祈っているわ」
「オクチョン」
 スンがやりきれないというように首を振った。
「どうしても辞めるつもりなのか?」
「ええ。たくさんの美しい女君が?を競うこの世界は、私には合わないみたい。もっと酷い騒動に巻き込まれない中に消えることに決めたの」
 伯父の家に戻っても、また以前のように伯母に使用人扱いされ罵られる日々だが、少なくとも誰かを策略で陥れたりする後宮での日々よりはよほどマシに思える。
「俺が頼んでも、そなたは行くのか?」
「スン!」
 オクチョンは眼を見開き、彼を見つめた。
「頼む。俺のために辞めないでくれ」
 彼は自分を引き止めようとしているのだ。そのことに、正直、嬉しさよりもオクチョンは愕いた。けれども、オクチョンは気持ちを変える気はなかった。
「スン、引き止めてくれるのは嬉しいけど、私はもう決めたの。それに、後宮を出たからといって二度と逢えないと決まったわけでは―」
 言いかけたオクチョンに、スンが怒鳴るように言った。
「駄目だ! オクチョンはここにいるんだ」
 オクチョンは腰に両手を当て、スンをにらみつけた。
「良いこと、スン。幾らあなたが王族だとしても、私の気持ちを無視して言うなりにはできないのよ」
 そもそも彼は何故、これほどまでに自分が後宮を去るのを嫌がるのか? 彼に言ったように、宮殿ではなくとも逢うことはできるはず。現に二人が出逢った二回ともが宮殿ではなく市井であったというのに。
 と、スンが泣きそうな表情になった。
「頼むから、辞めないで。俺は、オクチョンが好きだ」
「―!」
 オクチョンは息を呑んだ。あまりにも直裁な告白だった。
「私たちは友達だったはずよ、スン」
 何か適当な言葉を探したけれど、浮かんだのは我ながら何とも間の抜けた応えだった。
「そんなものはくそ食らえだ」
 スンは王族らしからぬ品のない物言いをする。
「今、このときから、友達は止めた」
 言葉もないオクチョンに、スンは続けた。オクチョンを無視して一方的に喋る彼は、いつもの思慮深い彼とは別人のようである。
「オクチョンは先刻言っただろ、俺の手巾を持っていれば、俺の側にいられるようだって。あれは、そなたが俺を好きだということなのではないか?」
 痛いところを指摘され、オクチョンは怒りもどこへやら、肩を落としてうつむいた。
「なあ、オクチョン、応えてくれないか。そなたの気持ちを教えて欲しい。オクチョンは俺をどう思っている?」
 スンが近づいてくる。それでも応えない彼女に焦れたのか、顎に手をかけて仰のけられた。
 オクチョンの大きな眼に露の滴が宿っている。スンが眼を瞠った。
「どうして、泣く? オクチョンは俺が嫌い? 俺が無理に迫っているから、泣いているのか」
 オクチョンは泣きながら首を振った。
「好きよ。あなたのことを大好きよ」
「だったら!」
 声を弾ませるスンに、彼女は涙ながらに訴えた。
「私もずっとスンと一緒にいたい。でも、あなたは遠い世界の人だし、私たちは住む世界が違う。それに、あなたには綺麗な奥さまもいるわ、私なんて足下にも及ばないような淑やかな奥方さまよ。きっと名門両班の令嬢でしょう。そんなあなたにどうして、私から好きだと言えるの?」
 スンがたじろいだ。
「妻のことは」
 言いかけ、苦しげな表情で言葉を呑み込む。彼の美しい顔に様々な表情が浮かんでは消えていった。けれど、彼女には一つとしてその感情は何なのかを見極められなかった。
 当然だ。オクチョンが求める幸せとは、夫婦は一対であり、良人となるべき男は自分だけを見てくれる誠実な男性なのだから。けれど、スンには既に正式な妻がいる。彼は妻がいるというのに、オクチョンにも求愛している。
 それは即ち、妻もオクチョンをも裏切る行為ではなかろうか。
 いっそのこと、彼が妻帯者であることを知らなければ良かったのだ。知らずに求愛されていたら、オクチョンも彼の熱意にほだされていたかもしれない。
―馬鹿ね。
 オクチョンは自分を嘲笑った。愚かな埒もないことを考えずにはいられないほど、自分はスンを恋い慕っているのだ。
「妻との結婚は俺が生まれたときから親同士が決めていた。俺自身で選んだわけではない」
「だから? 奥さまを裏切っても良いというの。それは言い訳にはならない、男の勝手な言い分よ」
 スンが傷ついたように表情で眼を伏せた。何かの痛みに耐えるような苦しげな顔で。
 オクチョンはふいに声を上げて泣きたくなった。
 どうして、どうして、こんな風になってしまうの、私は彼を大好きなのに。
 スンが眼を開いた。哀しげな瞳が―大好きな彼の黒い瞳が揺れている。
「好きなんだ、オクチョン。それ以外に、俺は何も言ってやれない。でも、俺は誰より、そなたに側にいて欲しい。いつもオクチョンが側にいて、話したり一緒に何かを愉しんだり、時には喧嘩もして、ごく普通の夫婦のように過ごしてゆきたい」
 オクチョンはハッとした。これは求婚だ。スンは自分に妻になってくれと言っている。いや、正しくは?側妻?というべきか。既に親の決めた高貴な姫君がいるなら、奴婢上がりの自分は側室にしかなれない。
 それを承知で、彼は側にいて欲しいと言っているのだ。
 オクチョンは眼を閉じた。自分だけを見てくれる誠実な男との結婚。それが幼い頃からの夢だった。王族の妻になりたいと願ったことなぞない。貧しくとも夫婦が手を取り合い、二人で歩んでゆく人生を思い描いていた。
 それでも、その夢以上に彼の側にいたいという想いが勝ってしまった。
 オクチョンは、ゆっくりと眼を開く。スンが躊躇いがちに伸ばした手に白い小さな手が重なった。
「そなただけと約束はできない。立場上、俺は何人かの妻を迎えなければならないからだ。さりながら、どれだけの妻を迎えても、いつもそなたをいちばん愛すると約束はできる。それで堪えてくれないか?」
 何という残酷な台詞! 結婚する前から、自分以外に複数の妻を持つと宣言する男を自分は愛してしまったのだ。
 それでも、私はスンを好き。
 オクチョはこみ上げる涙を堪え、無理に微笑んだ。
 大好きな男を困らせたくない。その一心で、オクチョンは言った。
「側にいられるだけで良い」
「オクチョン―」
 何か言いかけたスンに覆い被せるように、彼女は言った。
「側にいられるだけで良いの。それ以上は何も望まないわ」
―嘘つき。